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写真美術館では昔の侍の写真が面白かった。他にドイツ在住の日本人写真家の回顧展、報道写真展があった。ドイツ在住の日本人写真家の回顧展は、多大に自殺したドイツ人妻の身体の持つドラマ性に依存しているように思えた。森美術館の現代作家のグループ展はあいかわらずだったけど、今の日本の作家の閉塞感が分かってよかったと思った。ボストン美術館展はレンブラントからゴッホまでたくさん良い作品が来ていた。森美術館の底力か金力か。現代美術館の公募展も面白かった。写真作品を日のあたる窓辺においているのが気になった。
現代美術館の周辺の深川は歩いて心地よい下町情緒があった。 近代美術館の本屋で買った藤田継冶の伝記が面白かった。エトランゼという言葉がこれほど似合う人もいない。今も昔も日本人が異国に根をおろすと似たようなことがあるなと思った。100年前の人なのに今のニューヨークの日本人とどこか似ている。フジタは末っ子で、父親が大好きでかわいがられて育った。彼は父に、そして日本という国に自分を褒めてほしかったんだと思う。 米原万里の本を読む。これほど面白い本を読んだのは久々だ。この人も正直なだけに日本では生き難いタイプだったかもしれない。がんになり、温熱治療について医師に説明を求めただけで出入り禁止になったという。日本は従順でない人には生きにくい世界なんだなと思った。 行きのJALで日本映画を二本見る。その中で「時をかける少女」の現代版がとても良かった。今の若い人にとって私たちが青春を過ごした70年代や80年代がノスタルジックに見えるのだろうか。パソコンと携帯なしなだけで、たいして今と違うとも思えないのだが。 「つり馬鹿日誌」には驚いた。こんな旧態依然な会社があるんだ。美人だねと女子社員に言葉をかけることがセクハラにならない世界なんだ。その中で細身ショートカットの石田ゆり子はいわゆる美人ではなく、ファニーフェイス。現代風の外観だが、昔でいうと職場の花、アイドルのような役を演じていた。上司に娘のようにかわいがられ、男性社員にあこがれられ、女子社員に姉のように親しまれ、、こういう世界もあるんだ。 ギャル曽根という大食い女性の食べる量に驚く。気持ちが悪くなる。 マザーというドラマに田中裕子が出ていた。彼女も昔は年齢不詳だったが、すっかりおばあさん役がはまるようになっていた。地味な顔だけにリアリティがある。ありすぎかもしれない。テレビの世界で一人だけ違う世界の役者のように見えた。昭和のにおい?高畑淳子と同世代だけど、 母が大好きな「げげげの女房」、これは女優がいまどきのモデルさんすぎてリアリティがなかった。貧乏な設定なのに眉毛が今風にグルーミングされている。 上沼恵美子は海原千里の時代しか知らない私にはびっくりだった。怪獣おばさんに変貌している。 NHKが民放のようなゆるい雰囲気になっていた。男性アナも七三分けでなくてシャギーでおったったヘアだったり、どうしたんだろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010年07月06日 12時31分49秒
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