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つかこうへいさん死去…早すぎる62歳
日本の演劇界に革命的新風を送り続けたつかこうへいさん。 “つかマジック”に魅せられた演劇ファンは数知れない http://www.sanspo.com/geino/images/100712/gnj1007120505007-p1.jpg 日本の戦後演劇界に革命的な一時代を築いた劇作家、つかこうへいさんが10日に 肺がんのため、千葉県内の病院で死去していたことが11日、分かった。 62歳だった。 慶大在学中から学生劇団に加わり、「熱海殺人事件」「蒲田行進曲」などの名作を 次々と発表、爆発的ブームを呼んだ。しかし、今年1月に肺がんを公表。 入院して抗がん剤治療を受ける一方、病室から電話で演出指導をするなど、 最後まで芝居への執念を見せたが、ついに力尽きた。 ------------------------------------------------------ つかさんの芝居は大学生の時によく見た。最初に見たのは1979年の「いつも心に太陽を」。紀伊国屋ホールの公演で、当時は満員になってもキャパ以上に入れるのが普通だった。その結果、ギッシリと人のつまった通路に座って観劇した。 その頃、すでに唐十郎の赤テントでアングラの洗礼は受けていた。だから、大劇場の舞台で見るアングラ芝居は、血のりも飛ばず、汗くささもほどほどで、どちらかというと「笑いの多い新劇」のようにも感じた。笑いよりもむしろメッセージに比重がおかれていたように思う。人と人との関わり方が泥臭く感傷過多で、当時の私でも古くさく感じた。でも役者たちの動きは普通の芝居にないコミカルな動きがあって面白かった。舌を噛みそうな長ゼリフも面白かった。 風間杜夫 平田満 加藤健一 萩原流行 根岸季衣、みんなそのころのつかこうへいの芝居で初めて見た。風間杜夫はいつも二枚目の役柄だが私にとっては全く二枚目には見えなかった。 加藤健一はちんちくちんで足が極端に短く、萩原流行は狐のような顔で、むしろ平田満が好みだった。 「熱海殺人事件」「初級革命講座 飛龍伝」も見た。根岸季衣みたいに鉄火肌の姐御、人情味のある母性の強いタイプがつかこうへいの好みの女性なんだなと思った。小津や黒沢のドラマを見ているような、どこかノスタルジックな感じもした。 「蒲田行進曲」は1982年にヒット映画にもなり、そのころからつかさんはアングラでなくてメジャーになってきたように思う。私はそのころから彼の芝居を見なくなり、そのまま海外に出てしまった。 62歳の死が早かったのか遅かったのか。それはわからない。でも彼にとって作家としてのピークは70年代から80年代の前半くらいまでだったような気がする。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010年07月13日 07時03分56秒
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