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カテゴリ:野球・西武ライオンズ2007
2008年、埼玉西武ライオンズは、「自分自身に対して、チームに対して、そしてファンの皆様に対して限界など決めることなく、自分の可能性をどこまでも追い求めていきます。」という理念の下に2008年のスローガンを発表した。 ファンとしては「限界を決めることなく」練習をし、「限界を決めることなく試合を戦い抜く」ことを求めたいと言うのが本音ですね。 渡辺監督コメント 「プレーだけではなく、パフォーマンス、そしてファンサービスにおいても、それぞれの選手の個性や長所を、思う存分、発揮して欲しいと思っている。そういう雰囲気づくりに対しても、自分は惜しみなく力をつくしたい。 私も現役時代、『新人類』とよばれたように、自由闊達にやってきた。そしてそれが、ファンにとって魅力に感じてもらえた理由のひとつだと思っている。 だから、私は今の選手たちにも、それぞれに個性を発揮して、たがいに切磋琢磨してほしい。ほかの球団、監督、選手たちが、やったことがないような新しいことをどんどんやっていきたい。いい意味で、何をしてもいいと思っている。」 西武が前読売の三浦貴外野手を獲得することが分かった。和田(裏切り者・恩師知らず)がFAで中日、福地がFAの石井一獲得の人的補償としてヤクルトに移籍するなど、外野手が流出したことを受けての補強となった。 和田だけなら諦めも付くけど、福地をプロテクト外でヤクルトに引き抜かれたのは痛かった。28盗塁もマークし、西武が掲げる機動力野球の先頭を走っていた福地の移籍は痛手である。 ナベQ監督は2軍監督時代、イースタンリーグで対戦した三浦のプレーを見て「打つのは弱いけど、走って、投げて、守るのは平均以上。戦力になると思う」と期待を寄せているそうだ。 この前、夜にTBSで解雇された選手の特集を放送していた。冒頭の10分ほどは見損なったが、主に藤田(千葉ロッテ→読売)と柴田(前西武)とこの三浦貴に密着しての取材だった。 三浦貴は読売に投手として入団し1年目は主に中継ぎで登板していた。2年目に頭部死球を与えて以来イップスに陥り、投手失格となり打者転向となった。 打者転向を薦めたのが確か原監督だったと記憶している。1年目は2軍で長打力を発揮し、シーズン閉幕前には1軍昇格のチャンスを与えられた。所がスタメンの機会を与えられながらも、「失投の直球」しか打てず変化球は全く打てず翌年からは1軍の厚い選手層に阻まれて今オフに自由契約となった。 TVでは2度のトライアウトが9打数1安打で肩を落としていた姿や、妻子に励まされている様子が放送された。そして、トライアウト後も声が掛からず「ユニフォームを脱ぐ!」と自宅で妻に告げていた。 そんな三浦貴に対して、急転直下西武が救いの手を伸べた。 三浦貴のプレイをナベQ監督がイースタンで観ていたことと、地元浦和学院出身で石井義人と同級生だったことも決め手になったようだ。 しかし、三浦貴が福地の穴埋めになるとは到底思えないので、「補強」というより「補充」との表現が適当であろう。年明けにも正式に契約する模様だ。 人気blogランキングへ←映画の話題がザクザク お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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