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テーマ:プロ野球全般。(13397)
カテゴリ:野球全般
俊足巧打でプロ野球の阪神、大洋(現横浜)などで活躍した加藤博一氏が21日午後零時54分、肺がんのため横須賀市内の病院で死去した。56歳。 1970年に佐賀・多久工高(現多久高)からドラフト外で西鉄(現西武)に入団。1976年に阪神へ移籍し、1980年にはリーグ5位の打率3割1分4厘をマークした。 1983年に大洋に移籍すると、当時の近藤貞雄監督に見出されて快足の高木豊選手、屋鋪要選手とともに「スーパーカートリオ」を結成。江川キラーとしても名を馳せた。 1986年にはプロ17年目で初めてオールスターゲーム出場を果たした。 1990年に現役引退後は野球評論家としてだけではなく、現役時代の明るいキャラクターでバラエティ番組などでも活躍していた。野球解説者として分かりやすい切り口での説明は、野球音痴の女性にも受入れられた。 加藤さんの姿を最近TVで見かけていなかったし、マスターズリーグでも高木氏や屋鋪氏は出場しているのに加藤さんの姿が無かったのはそうした理由からだったとは...とても残念です。 「スーパーカートリオ」の機動力は近藤監督のアイデアと、選手の特色を最大限に生かす監督のカラーとが見事に一致した結果でした。 西鉄では黒い霧事件の後遺症でチームが停滞するなか入団したものの、1軍の戦力としては全く見られていなかった加藤さん。 それでも腐らず阪神、大洋と移籍する毎に自らの特徴を生かしたプレイが花を開いた。 ◆元大洋・高木豊氏 「自分にとって、兄貴みたいな存在でした。若くして逝ってしまわれて、とても残念です。でも博一さんのことだから、あまりメソメソしているとおこるでしょう。博一さんの遺志を継いで、今後も野球の素晴らしさを伝えていきたい」 ◆元大洋・屋鋪要氏 「最後に会ったのは去年9月の横浜スタジアムでした。がんだったことも聞いていた。加藤さんがスーパーカートリオのリーダーで『飯に行くか!』とよく誘ってくれ、野球のことも他のことも酒を交わしながら話した。亡くなったことはニュースで知った。苦楽を共にしてきたかただけに、ショックが大きい」 ←「加藤博一氏、逝去!」のブログ満載! ←西武ライオンズのことならここ ←「プロ野球、メジャーリーグ」の情報満載 人気blogランキングへ←映画の話題がザクザク お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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