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テーマ:ミニ・シアター系映画(152)
カテゴリ:ヨーロッパ映画
77.12人の怒れる男
■原題:12 ■製作年・国:2007年、ロシア ■上映時間:160分 ■字幕:古田由紀子 ■鑑賞日:9月18日、シャンテ・シネ(日比谷)
◆セルゲイ・マコヴェツキイ(陪審員1、日露合弁会社のCEO) ◆ニキータ・ミハルコフ(陪審員2、退役した元将校) ◆セグゲイ・ガルマッシュ(陪審員3、タクシードライバー) ◆ヴァレンティン・ガフト(陪審員4、ユダヤ人) ◆アレクセイ・ペトレンコ(陪審員5、人の意見を信じやすい男) ◆ユーリ・ストヤノフ(陪審員6、1ハーヴァード大卒のエリート) ◆セルゲイ・カザロフ(陪審員7、カフカス出身の外科医) ◆ミハイル・イェフレモフ(陪審員8、ユダヤ人の血を引く旅芸人) ◆アレクセイ・ゴルブノフ(陪審員9、現体制に批判的な墓地の管理責任者) ◆セルゲイ・アルツィバシェフ(陪審員10、現体制に批判的な理屈っぽい男) ◆ヴィクトル・ヴェルジビツキイ(陪審員11、業界の裏を知る建築家) ◆ロマン・マディアノフ(陪審員12、大学の学部長) ◆アレクサンドル・アダバシャン(廷吏) ◆アプティ・マガマイェフ(チェチェンの少年) 【この映画について】 ヘンリー・フォンダ主演で知られる法廷劇の傑作、『十二人の怒れる男』(57)が、ロシア映画としてリメイク。緊迫感溢れる展開と計算しつくされた演出、そして個性溢れる12人の陪審員たちによる時代の風潮を色濃く表したディスカッションを、ロシア人監督ならではの解釈で焼き直した。 体育館から出られないという密室劇でありながら、ダイナミックなカメラアングルと緊迫感で1秒も飽きさせない。オリジナルへの敬意を忘れず、かつ自らの演出で、現代の社会主義国の現状から日本を含む世界の経済状況も投影させている。監督はニキータ・ミハルコフ。 (この項、gooより転載しました) 【ストーリー&感想】 ロシアのとある裁判所で、センセーショナルな殺人事件に結論を下す瞬間が近づいていた。被告人はチェチェンの少年、ロシア軍将校だった養父を殺害した罪で第一級殺人の罪に問われていた。検察は最高刑を求刑。有罪となれば一生、刑務所に拘束される運命だ。3日間にわたる審議も終了し、市民から選ばれた12人の陪審員による評決を待つばかりとなった。 彼らは改装中の陪審員室代わりに指定された学校の体育館に通されて、全員一致の評決が出るまでの間、携帯電話を没収されて幽閉される。 バスケットボールのゴールや格子の嵌められたピアノといった備品に囲まれた陪審員たち。冷静にことを進めようとする男に促されて、12人の男たちは評決を下すためにテーブルを囲んだ。 審議中に聞いた隣人たちによる証言、現場に残された証拠品、さらには午後の予定が差し迫っている男たちの思惑もあって、当初は短時間の話し合いで有罪の結論が出ると思われた。乱暴なチェチェンの少年が世話になったロシア人の養父を惨殺した――そのような図式で簡単に断罪しようとする空気があり、挙手による投票で、ほぼ有罪の結論に至ると思いきや、陪審員1番がおずおずと有罪に同意できないと言い出した。 陪審員1番は自信なさげに結論を出すには早すぎるのではないかと疑問を呈し、手を挙げて終わりでいいのかと、男たちに問いただした。 話し合うために、再度投票を行おうと提案。その結果、無実を主張するのが自分ひとりであったなら有罪に同意をすると言いだした。無記名での投票の結果、無実票が2票に増える。 新たに無実票を投じたのは、穏やかな表情を浮かべる陪審員4番だった。ユダヤ人特有の美徳と思慮深さで考え直したと前置きし、裁判中の弁護士に疑問が湧いたと語る。被告についた弁護士にやる気がなかったと主張した。 この“転向”をきっかけに、陪審員たちは事件を吟味するなかで、次々と自分の過去や経験を語りだし、裁判にのめりこんでいく…。 1957年に名優ヘンリー・フォンダ主演で公開されたアメリカ映画の名作を、ロシアを舞台にしてニキータ・ミハルコフ監督がリメイクした。アメリカ版は夏の暑いさなかにビルの1室に閉じ込められた陪審員12人が議論する。 ロシア版は寒々とした体育館に缶詰めにされた陪審員12人が審議するという違いがある。 ストーリーの流れそのものはアメリカ作を踏襲しているが、ロシア版はチェチェン人少年の殺人事件を裁くと言う少数民族問題がテーマでもある。ロシア版の陪審員12人には退役軍人やユダヤ人など(詳しくはキャスト欄でご確認を)様々な職業出身者で構成されている。 当初は早く済ませたいからと11-1の評決になったが、一人が人間の命を簡単に評決で終わりにして良いのか?と疑問を呈する所から始まるのはアメリカ版と同じ。 ロシア版では審議の舞台が体育館という広いスペースである点は異なるが、白熱してきた議論は体育館にある運動道具を殺人現場に見立てるなど、あらゆる角度から検証をする場面は良かった。 ロシア版のリメイクは、チェチェン人少年の犯行という設定そのものが、大国ロシアが抱える大きな問題を象徴しているように思う。そもそもロシア正教とイスラム教のチェチェンとでは、宗教的な対立が根深いことが背景にあり、旧ソ連崩壊により自分たちもロシアから独立を果たしたいとの民族的な悲願があることから、度々ロシア側と衝突し一部の過激なテロリストが自爆行為に走るなど、泥沼化しているのが現状。 そんな社会的背景を抱えてのチェチェン人少年がロシア人の養父を殺害した容疑での評決だけに、陪審員たちが心の中に抱く複雑な心境が映画には投影されていた。ロシアならではの設定で、日本人には理解し難い面もあるのだが、アメリカの名作のリメイクというよりは、それをモチーフにしたロシア映画と思ってみれば良いと思う。 原題はシンプルに「12」としたのも監督の意図がそこに隠されていると感じました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.12.31 11:34:53
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