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カテゴリ:野球/パ・リーグ
23年間のプロ野球人生に別れを告げるオリックス・清原は、今季最終戦に「4番、DH」で先発フル出場、4打数1安打1打点、2三振で最後の試合を終えた。ホークス先発の杉内は全球ストレート勝負で清原に応えた。 第1打席:カウント2-0からの3球目、インコースの143キロストレートを打ち上げ右飛。 第2打席:カウント2-1からの4球目、140キロの真ん中ストレートを豪快に空振り三振だった。 第3打席:カウント2-1からの5球目、外角高めの甘く真ん中に入ってきた杉内の失投であるストレートを振り抜き、右中間を破る適時二塁打を放った。 第4打席:カウント2-2からの6球目、真ん中高め139キロのストレートに空振り三振だった。 プロ23年間の成績は通算2338試合出場、2122安打、525本塁打、1530打点。 (以上の記事は「スポーツ報知」より一部転載しました。) 清原はPL学園時代に5度全ての甲子園大会に1年生から出場し、1年夏3年夏と2度優勝をして桑田との「KKコンビ」で全国ファンから注目を浴び「13本塁打」という伝説的な記録を残した。 ドラフトでは読売からの指名はなく、当時の根本管理部長が6球団との競合の末、抽選で引き当て西武ライオンズへ入団した。 西武では1年目の終盤から4番に定着し、秋山(次期SB監督最有力候補)にデストラーデを加えた「AKD砲」でチームの黄金期形成に大きく貢献した。入団当時の森監督は清原を厳しく指導しながらも、温かくチームへ溶け込ませ実力を遺憾なく発揮させた。 森監督は清原に「チーム打撃」に徹することを叩き込んだ。もし、清原が黄金期の西武ではなく、万年Bクラス球団の4番としてプロ生活をスタートさせていたら「自分の打撃」に専念出来て打撃タイトルの幾つかも獲れていたかも。そう、落合が注目度の低い川崎球場時代のロッテの4番としてガンガン打っていたように。 管理人は清原が西武に入団した1年目、度々、球場へ足を運び彼の本塁打を直に見る機会に多く恵まれた。当時の印象は「高卒新人とは思えないほど堂々としていて、右打ちもプロのベテラン並み上手かった」。 その西武では11年間を過ごし、FAで「憧れの」読売に移籍して9年プレイして「戦力外通告」を受け、体調不良で退任したばかりの仰木監督から「花道を作ってやる」との殺し文句でオリックス入団を決意して3年を過ごした。そして、京セラドームで最後の試合に臨んだ。その相手が、自分をドラフト指名しなかった王監督率いるホークスだったのは何か因縁を感じさせる。その王監督が清原に「2人が生まれ変わったら同じチームで本塁打競争」をしようと言ったと言う。王監督の人柄を感じさせるような一言ですね。 こうして23年間を振り返ると、やはり清原が一番輝いていた時代は「西武ライオンズ時代」だった。読売のユニフォームを着てプレイした9年間、西武時代のような輝きは無かったが東京ドームでの満員のファンの声援は嬉しかっただろう。 オリックス移籍1年目に引退の原因となったヒザを痛め、2年目はリハビリに費やし、3年目の今季は開幕をサーパスで迎えた。途中、コリンズ監督が帰国し大石監督に代わってから徐々にチーム力も上がり、清原も1軍復帰を果たして最後は2位で終えた。 チームはCS進出を果たしたが清原はCS出場を辞退して、本拠地最終戦を最終舞台に選んで引退した。 清原の進路は未定だが、彼はプロ野球界で「無冠」に終り「記憶に残る男」としてファンの記憶に残り続ける存在となるでしょう。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 自己PRコーナー:今度、「旅行ブログ」を開設しました。徐々に旅行記を増やしていきますので、宜しければご覧下さい。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ←「清原現役引退!」関係のブログ満載! ←西武ライオンズのことならここ ←「プロ野球、メジャーリーグ」の情報満載 人気blogランキングへ←映画の話題がザクザク お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.10.06 06:51:32
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