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テーマ:マイケル・ジャクソン!(174)
カテゴリ:芸能ニュース
「スリラー」などが世界的にヒットし、「ポップス界の王様」と呼ばれたマイケル・ジャクソンが、ロサンゼルス市内の自宅で倒れ、救急車でUCLA病院に運ばれたが心不全で死亡した。 兄であり「ジャクソン5」で一緒に活躍したジャーメインが記者会見でため息を付きながら発表した。50歳だった。 ロサンゼルス・タイムズ紙などによると、午後0時26分、高級住宅街にあるマイケルの自宅から通報があり、救急隊が駆け付けたが、既に呼吸をしていなかった。 近くのUCLAの付属病院に搬送中も救急隊員が心肺機能の蘇生(そせい)を試みたが、同2時26分、医師が病院で死亡を確認した。 朝、いつも通りに起床して朝のワイドショウを見ていたら「マイケルが病院に運ばれた」→「既に呼吸停止状態」→「ロスの新聞(電子版)が死亡を伝えている」→「死亡情報は未確認」など情報が錯綜している中、通勤のため自宅を出て会社に着いて携帯のニュースサイトを覗いたら「マイケル死亡!」となっていた。 それにしてもビックリして言葉にならない。現時点では、マイケルの死因は不明とのことだが、過去にも薬物摂取や整形手術の失敗と整復手術でウィルスに感染しているなどマイケルを巡っては様々な報道がなされていた。 私生活そのものが謎に包まれている上に、最近は目立った音楽活動がないことで彼の生活はベールに包まれたままだった。 私は彼のコンサートには2度行った。最初の時は確か1987年の「後楽園球場」だった。?スリラーが大ヒットした後に「BAD」が発売された直後に行った覚えがある。 その次は東京ドームが開場した1988年のツアーだったはずです。どちらも計算尽くされたライヴで人気絶頂だったマイケルのステージを体験できて満足した記憶が今でも蘇ります。 1980年代の音楽の象徴だったマイケルは、当時、開局したばかりのMTVと共に成長した。「音楽を見る」という新たなマーケットを開拓したのもマイケルの功績だ。名プロデューサーのクインシー・ジョーンズの力を借りながら、彼は、「オフ・ザ・ウォール」「スリラー」「BAD」などのモンスター・アルバムを発表し、憧れだったポール・マッカートニーとは「SAY SAY SAY」や「ガール・イズ・マイン」で共演していた。 1980年代のアメリカはレーガン大統領が強いアメリカを掲げていた時代だった。その文化的象徴だったマイケルが50歳で亡くなるとは...未だに信じられない。 冥福を祈ります。 ---------------------------自己PR-------------------------------- WBC東京ラウンド写真集はこちらでどうぞ WBC準決勝戦写真集はこちらでどうぞ WBC決勝戦写真集はこちらでどうぞ ブログランキング参加中です。ぜひ、1票を投じて下さい。(又は、見出しをクリックして下さい) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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