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テーマ:相撲(1769)
カテゴリ:スポーツ・格闘技
大相撲の横綱朝青龍(本名ドルゴルスレン・ダグワドルジ、高砂部屋)が、現役引退を表明し会見した。 朝青龍は初場所中の先月16日、西麻布の路上で泥酔し、知人に暴行。鼻骨骨折で全治1か月のけがを負わせたとされている。被害者が麻布署に被害相談をし、警察は朝青龍の元マネジャーの一宮氏や運転手などに事情聴取。横綱本人への聴取も検討してきた。 当初、被害者が元マネジャーだったとするなど朝青龍側がうその報告を協会に行ったことなどもあり、横綱としての資質に大きな疑問が投げかけられていた。理事会では解雇処分が出される見通しだったが、先手を打つ形で処分が発表される前に自ら引退を決意したようだ。 朝青龍の電撃引退表明には驚いたが、引退しなくても解雇通告が発せられるのは時間の問題であり、横綱が解雇されるという失態だけは回避したが、優勝した場所直後に引退を余儀なくされた相撲協会にとって、横綱という看板を失った打撃は計り知れない。本場所はおろか、地方巡業などの興行にも影響が出るのは否めない。今回の件で、高砂親方には処分が下されない見込みだが、横綱を守れなかった師匠の責任も重大である。 朝青龍は、日本国籍がないため相撲協会には残れないことから、引退は相撲界からの決別を意味する。会見で今後の身の振り方を問われると、「暫く休みたい」と語っていた。協会からの退職金は1億3千万円とも言われているが、まだ29歳と若いだけにプロレスなどの格闘技団体からの出場要請も予想される。 <朝青龍が起こした主なトラブル> 2003年5月 旭鷲山に敗れた後、蛇の目の砂を指さして「物言い」をアピール。さらに土俵上ですれ違ったとき肩がぶつかった旭鷲山をにらみつけ、さがりを振り回すなどした。 03年7月 名古屋場所の旭鷲山戦でまげをつかみ、横綱として史上初の反則負け。取り組み後、旭鷲山の車のサイドミラーを破壊 03年12月 無断でモンゴルに帰国、先代高砂親方(元小結富士錦)の葬儀を欠席 06年5月 夏場所中、支度部屋でモンゴル巡業開催見送りの再考を求める署名活動を実施 07年3月 春場所で稀勢の里を下した後、土俵に倒れている相手の背中にひざを入れる 07年4月 時津風部屋への出げいこで豊ノ島にプロレスまがいの技をかけ、右足に全治2週間のけがをさせる 07年7月 腰骨の疲労骨折などを理由に夏巡業を休場しながら、モンゴルでサッカーをしていたことが発覚。2場所出場停止処分などを受ける 07年8月 国税当局からテレビ出演料など3年間で約1億円の申告漏れを指摘されていたことが判明。追徴税額は過少申告加算税を含め約3000万円 08年5月 夏場所千秋楽結びで白鵬を引き落とした直後に上からダメを押し、両横綱がにらみ合う 09年1月 初場所で優勝を決めた後に土俵上でガッツポーズ 09年5月 夏場所初日の2日前にモンゴル出身力士と懇親ゴルフを開催 09年9月 秋場所で優勝を決めた後、再び土俵上でガッツポーズ 【横綱・白鵬、朝青龍引退について語る】 横綱白鵬(宮城野部屋)は、朝青龍の引退表明を受けて宮城野部屋で記者会見を行った。 朝青龍の引退についての率直な感想を聞かれると涙を流し「さきほど知りました。(朝青龍の涙に)まだまだ(やり)残すことがあるんじゃないですかね。思い出は初めて勝った時ですね。一番印象的」と肩を震わせながら泣き続けた。結果的に最後の取り組み相手となったが「自分はただ良い相撲を取ることだけを考えて土俵に上がっている。それだけです」と言葉を詰まらせるなどショックを隠せない様子だった。 (この項のみ、日刊スポーツより転載しました) ブログランキング参加中です。ぜひ、1票を投じて下さい。(又は、見出しをクリックして下さい) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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