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マックの文弊録

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2006.10.01
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カテゴリ:小言こうべえ
◇ 10月1日(日曜日):旧葉月十日(癸亥);北海道で鳥獣狩猟解禁、秋の共同募金、東京都民の日、法の日。

金木犀の香りは、急にやってきて、いつの間にか去って行ってしまう。今年の9月も金木犀の香りと一緒に行ってしまった。
久しぶりに土曜日ゆっくり出来て、体がびっくりしたのか、とんでもない時間に目が覚めてしまい、そのまま思い立ってブログを書き始めたのだけれど、網戸にして開け放った窓の外の虫の音も、この頃心なしか少しずつ細くなってきている。今年も後三ヶ月しかないものなぁ・・・。

毎年この日になると、中学時代(だったと思う)に読んだ、フレッド・ホイルの「10月1日では遅すぎる」と云う本を思い出す。時間というものをテーマしにしたSFである。
フレッド・ホイルはイギリスの天文学者で、大勢に反して「定常宇宙論」を唱え続けた人だ。「定常宇宙論」は「我々の宇宙の始まりにはビッグバンはなかった!」というもので、「宇宙が膨張していくのは、常に新しい物質が作られ、供給されているからだ」というのである。
彼は恒星の内部での元素合成過程を明らかにするという、立派な仕事をなさったのだけれど、どういうわけだかその業績は「忘れられ」、別の学者(ファウラーとチャンドラセカール)に、この一件でノーベル賞が授与されてしまった。それに、実はビッグバンという言葉を最初に使ったのはフレッド・ホイルその人なのだ。期せずして自分が反対した理論の名付け親になってしまった訳だ。こうしてみると、ホイル君には是非お会いしたくなるのだけれど、もう5年ほども前にお亡くなりになってしまったから、これは難しい。

確かに「何もないところからいきなり宇宙が始まった」というビッグバン理論より、悠久流転を感じさせる定常宇宙論の方が東洋的で、なんとなく安心できる。しかし、最近の物理学は「普通にイメージし易い」理論など大抵間違っているとされてしまう。今の物理学の最先端は、純粋に数学的思考で「イメージ」しないと「誤解」に至るような、高度に抽象的なものになってしまってつまらない。

この本、もうとっくに絶版になっていると思っていたら、ハヤカワ文庫に未だあるのだそうだ。最近どうでも良いような本ばかり沢山出てきて、昔読んで感動した本を、改めて読んでみようと探してみると絶版になっていることが多いから、ちょっと嬉しい。そういう意味では「10月1日も遅すぎはしない」のだ。

【閑話休題】
ウチは出来て未だやっと二年半の小さなベンチャー企業だが、ドイツの会社とお付き合いしているせいで、一ヶ月ほど前からドイツ人の「インターンシップ」を受け入れている。二十歳代後半の紅毛碧眼の青年でクリス君という。クリス君は、下町の安アパートに住んで、会社まで毎日一時間ほどの時間をかけて電車で通勤してくる。無論日本は彼にとって初めての東洋の国である。

先日お昼を一緒にした際、「日本に来て一番不思議に思ったことは何だい?」と聞いたら、暫く考えた後で、「電車を待っている人たちが、ちゃんと列を作って並んでいること。」との答えが返ってきた。ドイツ人は整然と隊列を組み一糸乱れず行進して行く、規律正しい「カタイ国民」というイメージが何となく我々には染み付いている。しかし、実際には雑然とたむろしているところに電車がやってくると、乗り口にわらわらと殺到するもののようである。これにはちょっと「へぇー」であった。

しかし強制されたわけでもないのに、見ず知らずの人同士が自然に粛然と行列を作って電車を待っているというのも(電車だけではない、銀行のATMの前もそうですな)考えてみれば気味の悪い話ではないか。この「習慣」、そんなに古いことでもないと記憶する。僕が東京都内に仕事を得た頃(もう30年以上も前のことだ)は、未だ押しなべて皆「ドイツ流」だった。その内こういう習慣が徐々に普及してきたのだが、それは未だ東京だけの話で、当時名古屋に出張した際、名鉄電車に乗る時にこの「ドイツ流」に巻き込まれて、「このド田舎モノめらが!」と内心激怒したことを覚えている。

飛行機の搭乗口にチェックインする際には、カウンターの直ぐ傍に立つことは出来ない。少し離れた場所でカウンターが空くのを待つのだが、昔そういう時に空いたカウンターに駆け寄っていって、おっかないオバサンに「あんたじゃないでしょ!あんたより前の人が居るでしょ!」と叱られていたのは、大抵日本人だった。
列を作るのを英語で「align」というが、順序を無視して我先にチェックインカウンターに駆け寄る同胞を目にして、「日本人はalignmentを取れないのだから」と恥ずかしい思いをしたものだ。(しかし、何を隠そう僕自身も同じことをやって周囲の顰蹙を買った経験が2度ほどある。)

こうして思うと、alignmentをとるという動作は、人間としての本質的なものに反する行動なのだろう。倫理的な内発行動や、「紳士淑女としてのモラル」から出た動作などではなく、他から矯正された結果だと思う。実際、野道や草原を歩く時、人々は自然に三々五々群れて歩くものである。決して一列では歩かない。そういう時でもきちんと整列して歩くのは分裂病(今は統合失調症と云うんだっけ?)患者に特徴的なのだそうだ。

つまりは電車を待つのに粛然と整列するようになったのは、日本人に海外渡航者が急増した(そして、方々の空港でおっかないオバちゃんに叱られた経験者が増えた)時期と一致するのではないだろうか?それと東京のように、人間が高密度にひしめき合う異常な環境で、見ず知らずの他人との軋轢を避けてストレスを緩和しようとする自己規制が働いたせいであろうと思うのだが、どうだろうか?

黙然と電車を待っている人の列。他人と体を接しあうほど混み合っているのに異常に静かな電車内。クリス君を感動させたそういう光景を改めて見直してみると、日本人(特に東京人)の生物的活力は相当弱まっているのだという気がしてくる。台湾や中国などに行けば、人々は実におおらかで、道路を隔てても平気で大声で話をし合っている。信号で停車する車の前後左右はたちまち二輪車で埋め尽くされてしまうし、道路を渡るときでも青信号など待たない。車が来なければ渡るだけだ。時には車が来ていたって、堂々と渡ってしまう。電車だろうが食堂だろうが、行列して順番待ちすることなど気にもしない。すべて「早い者勝ち」が大原則である。
既に生物的には弱体化してしまった僕としては、こういう環境に巻き込まれると圧倒され、辟易して、疲れてしまうのだ。日本人は確かにこんな面でも弱くなってしまったのかもしれない。

【閑閑話休休題】
クリス君を日本に来させたインターンシップというのは、研修と勤労を一緒にやるというようなものである。わが国では、中国や東南アジアなどからの受け入れが多いようで、町場の工場などでは「廉い労働力」を調達できる方便のようになっていると聞く。この方式で外国の若者を受け入れているわが国の企業がどれほどあるのか、又何人くらいの外国人がこの方式で来日滞在しているのか良く知らないが、今回クリス君のお蔭で初めて経験した日本の入国管理制度や、所得税法は、決してわが国がこのインターンシップの受け入れに積極的であるとは感じさせない。

又、日本の若者がインターンとして積極的に海外に出て行くという話も聞かない。
一方でNEETや30歳代の被雇用人口の多さ(10~8年ほど前の「就職冬の時代」が原因なのだそうだ)は、今大きな社会問題になっている。この際、政府は何らかの優遇措置を講じて、こうした若者達の海外向けインターンシップをどんどん推進したらどうか。国内に就職先もなく、希望を失って覇気もなく、若老人化しつつあるだけの若者達をどんどん海外に出して、勤労経験と共に「世界の広さ」を体験させるのである。僕自身が海外に仕事で「放り出された」のは28歳の時だったが、その時の体験や感動は今でも鮮烈で色褪せない。当時は色々大変で泣きそうになった(実際にも泣いた)こともあるが、その後は、そういう体験を与えてくれた「冷たい」会社に大いに感謝している。

「明日は、カセットコンロを買って、スパゲティを作ります。“カセットコンロ”って、発音は“car-set con-raw”ですか?それにしても日本のトマトはどうしてあんなに高いのでしょう?え、缶詰がそんなに廉く買えるのですか?生より缶詰が廉いのはどうしてでしょう?」と屈託もなく話しかけてくるクリス君を見ると、本当にそう思うのである。

【閑閑閑話休休休題】
10月1日は、わが国でも色々な記念日になっているが、中国ではこの日は国慶節(建国記念日)である。但し、これはPRC、つまり中華人民共和国の話で、ROC、中華民国(=台湾)のそれは10月10日である。
PRCでは、毛沢東が1949年に天安門で建国宣言をしたのを記念しての国慶節であり、ROCでは1911年の10月10日に辛亥革命が始まったことに由来する。「10」がぞろ目で並ぶから、こちらは「双十国慶節」ともいう。
何れにしても、10月の始めは中国の人たちにとっては「ゴールデンウィーク」であるのだ。


♪♪今回の厚木語辞書♪♪

『ショッピング・ピンク』 - 時々厚木は言語上独立国にしても良いかもしれないと思える。「ショッピング・ピンク」は日本語の「ショッキング・ピンク」に由来するのだと思うが、実際どんな色なのかは判然としない。厚木語にはこういうような言葉が多く、たとえば他にも「くすむったい」(くすぐったい)、「しゃごむ」(しゃがむ)などと云うのがある。ひょっとしたら厚木人には、聴覚上の特異性があるのではないかとも思われる。
【対応する日本語】 - 自明である。






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最終更新日  2006.10.01 05:46:12
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