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マックの文弊録

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2006.10.15
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◇ 10月15日(日曜日):旧葉月二十四日(丁丑);新宮熊野速玉大社祭、姫路県下祭。

先日気がついた。
最近通勤電車の中で新聞を読んでいる人を見かける事が随分少なくなった。
どうしてなんだろう?以前は、込み合った電車の中で、窮屈そうに新聞を読む人を何人も見かけたものだ。

満員電車の中で、他人に干渉することなく新聞を読むのには高度なテクニックを身に付けなければいけない。新聞の一つの面を真中から縦に折り、更にもう一度折り、縦に細長くなったところで、これを上下に半分に畳む。そうすると横十数センチ、立て三十センチあまりの矩形になる。昔の貴族が儀式に臨んで右手に持って威儀を正した笏(しゃく)の、ちょっと大型のようなものが出来上がるのだ。これを目の前に掲げて、一区画を読み終えると畳み直して次へ読み進んでいくのである。

僕はこれが出来なかった。笏もどきまでは出来るのだが、「ページめくり」ができない。どうしても、ばさばさと、両隣に座った人の顔前にまで広がってしまって収拾がつかなくなってしまうのである。それで、ついに車内で新聞を読むのを諦めて、文庫やハードカバーに切り替えてしまった。あの頃、車内で器用に新聞を読める人は、僕にとって憧れの対象であった。

それが、最近「憧れの君」を見かけることが少なくなった。その代りに圧倒的多数を占めるのがケータイ族だ。これだと、笏より遥かに小さいから、満員電車の中でもお隣さんへの干渉を気にする必要は無い。最近のケータイは、メールは勿論の事、交通情報や、地図情報も取ることが出来る。勿論ニュースも読める。それも前日の真夜中近くに入稿締め切りとなる新聞のニュースと較べれば、即時性において遥かに優れている。何処かで地震があったり、事故があって電車が遅延したりすれば、凡そ十分くらいでニュースとなって流れてくる。株価情報も最新のものが流れている。だから、忙しい都会のビジネスマンにとって見れば、新聞より遥かに情報リッチなメディアだといえる。・・・・筈だ。
ところが、真剣な顔でケータイのキーを操っている人の手元を、ちょいと覗いてみると、何の事は無い、実際にはゲームをやって遊んでいるのだ。そうでなければ、友達(?)同士でのメールのやり取りだ。
つまり、事実は「新聞がケータイに取って代わられた」のではなく、単に人が怠惰に、情報に対して鈍感あるいは不感症になっただけなのかもしれない。

こうして人が新聞を読まなくなると、第二の渡辺淳一君なども出にくくなるのであろう。かつては、日経新聞に連載された「失楽園」を電車の中で読んで、顔を紅潮させているキャリアウーマンが大勢いらして、そのキャリアウーマンを眺めて喜んでいるオジサンも大勢いたものであったのだが。

♪♪今回の厚木語辞書♪♪

『後架の憂え』 - スカトロジー(scatology)という言葉があって、糞尿愛好趣味とか糞尿譚などと訳されている。「汚い!」と眉をおひそめになってはいけない。生来人間は自らの体から生産された糞便に愛着心を持っているもので、これを「汚いもの」、「臭いもの」と忌避するのは、長じるに及んでの教育の賜物である。その証拠に頑是無い幼子は、水洗トイレで自らの産物が轟然と流れていくのを見て、「バイバーイ」と名残惜しげに挨拶を送ったりするのである。
「後架」とは禅宗の言葉で、僧堂の後ろに板を掛け渡した洗面所、早い話が便所の事である。禅僧は、この後架に跨って用をお足しになる。そして、他の生き物より戴いた食物が、その役を果たして土に返るさまに無常を感じ、スカトロジストならずとも、転変極まりない世の儚さを深く憂えるのである。
即ち「後架の憂え」は元来の、糞便への愛惜を感じる意味から、やがて転じて「後腐れ」とか、「過去への心残り」という意味に使われるようになった。
(用)「後架の憂えもなく、新天地へと旅立った」=「糞切り良く、すっきりした気持ちで、新天地へ・・・」

【対応する日本語】 - 後顧の憂え。






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最終更新日  2006.10.17 17:24:13
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