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マックの文弊録

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2007.02.07
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カテゴリ:小言こうべえ
◇ 2月7日(水曜日) 旧師走二十日、壬申、北方領土の日

ひどい話だ。
「女性は子供を生む機械」と発言したとかで、そこいらじゅうで吊るし上げにあっている柳沢厚労相が今度は「又失言!」したという。昨日6日の閣議後の記者会見の席上のことだ。
どういうことかと、新聞記事を読んでみれば、柳沢さんは、「若い人たちは結婚したい、子供を二人以上持ちたいという極めて健全な状況にいる」とおっしゃったという。
それに対して野党などは、「子供がいない場合や一人の場合は『不健全』とも受取られる」(社民党福島党首)などと一斉に反発したという。
馬鹿馬鹿しいを通り越して恐怖すら感じる。いつからこの国はこんな体たらくになってしまったのだ。

ちょっと、誤解のないように申し上げるが、僕は柳沢発言に怒っているのではない。マスコミと与野党の一部の連中に対して怒っているのである。
今回の柳沢発言は、正確に再現すると、「結婚し2人以上の子どもを持ちたいという(若い人の)極めて健全な希望にフィットする政策を考えていかないといけない」だったそうだ。

それがどうして、福島党首のような「見解」に繋がるのか、全く理解に苦しむ。福島さんは弁護士だから、それなりの知的水準をお持ちの筈だ。「言葉」というものが、それが使われた状況や文脈を外れて一人歩きし始めた時に、どれほど恐ろしいことが起き得るかを理解できる程度の能力はお持ちなんだろう。にもかかわらずこういう揚げ足取り以下をおやりになるのは、要するに阿部政権を為にしようという本音が透けて見える。小沢君や他の野党の連中だって、柳沢厚労相の辞任を求める与党の人間だって、同類だ。野党は次の選挙で議席を伸ばすために、与党は保身のために騒いでいるだけで、共に実は少子化問題の解決なんかはどうでもいいのだ。そう断ぜざるを得ない。

柳沢さんの最初の「失言」である「女性は子供を産む機械」発言は、1月27日に松江市で開かれた自民県議の決起集会でのことだ。僕が記憶するこれに関する最初の報道は、ご本人が講演中にも何度か、「機械に喩えてごめんなさいね」と自らの表現に脚注を入れていたことにも触れていたし。講演後、記者団から「『子供を産む機械』発言は、今後物議をかもすのでは?」と問われて、「人口統計学の話をしていて、イメージをわかりやすくするために子供を産み出す装置という言葉を使った」とご本人が説明したことも報道していた。
それが、いつの間にか「女性は子供を産む機械」だけの報道に収斂して行った。地方選挙を控えて、野党が騒ぎ出せば、そっちの方が面白いし、ニュース性も格段に強くなるからだ。そうに決まっている。

共に言葉を商売にする政治家と報道機関が、こんな体たらくでは情けないこと夥しい。他人の言葉尻を捕らえて、ハリネズミのように反応し、ヒステリックに喚き、個人の人格まで忖度し、社会的な制裁を加えようと云うのは「言葉のファシズム」に他ならない。

本来言論の府の住人である筈の政治家やマスコミが、こういう状況では、もう誰も「無難で常識的な」言葉以外は発言しなくなる。文章にもしなくなる。何しろ相手は文脈も理解できないどころか、それを平気で踏みにじって恥じない輩である。バカを相手に戦うのは危険だ。そのバカが徒党を組んでいれば、もっと危ない。

冷静に見てみる。
第一の失言は、人口統計という、中々万人には直感的に理解しがたいものに対して、「機械」という分かり易いモデルを使ったに過ぎない。その適用範囲は、「出産という機能」に係る範囲に限定されており、女性の「人格」なんてところに及ぶものではないことは当然のことだ。

こういう「モデル化の手法で、複雑な事象を単純化して、現実の解釈、理解のよすがにする」と云うのは科学の世界でも、最近では経済の世界でも日常に使用される方法として認知されている。
これに対して、ハリネズミ側は、軸を「女性の人格」に移し変え、「出産と云う機能」をそれとつなぎ合わせてしまった。本来別物の二つを、ここでイコールで繋いでしまった。
そういうことだ。

第二の失言は、「少子化を防ぐ」という観点から見て「健全」という、再び境界条件が設定された中での言葉を、大べらぼうにも無限低に拡大して、「人間としての健全、不健全」の問題にしてしまったのである。こんなものは牽強付会の最たるものである。こんなことを「弁護士先生」が云うか?

国家や個人にも品格があると同様、「視線の品格」と云うものもある。歪んだ視線で人を見れば、その人を歪める事は容易である。しかしその視線の持ち主こそ、最も歪んでいるのである。我々民草には、政治家やマスコミを経由してしか知りえない事柄がある。そういう時に、無闇と煽るような言葉には余程注意しなければならない。人の言葉を鵜呑みにしてはいけない。違和感を持ったら、個人として覚えた違和感のよって来たるところに敏感であるべきだ。自分の感性を経て検証されない限り、他人の言葉の尻馬に乗るのは、ファッショの世界に巻き込まれ、いつの間にか自分も提灯持ちの一人になってしまう恐れがあるのだ。

柳沢さんは、おそらく言語感覚においては素朴で無頓着な方なんだろうと推察する。人格は残念ながら僕は知る機会を持たない。しかし、通常国会の議場から退出する際に、人目につかぬようハンカチで涙を拭う姿を拝見したのは、お気の毒な事であった。「そんなつもりで云ったんじゃない。悔しい。」と思いながら、自由に自分の言葉で反論する機会も与えられないのは、愚か者によるイジメだな。

ところで、柳沢伯夫さんは、昭和10年(1935年)生まれの静岡県袋井市の出身で、東大の法学部→大蔵省を経て政治家になった、典型的な地方出身のエリートである。
奇しくも昭和10年の干支は猪である。つまりは柳沢さんは亥年でいらっしゃる。
先ずは「亥年の災難」の第一号におなりになってしまった。






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最終更新日  2007.02.07 18:31:33
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