カテゴリ:日ノ本は言霊の幸はう国
◇ 2月19日(月曜日) 旧睦月二日、乙申、雨水。
家の近所を歩いていたら、道の端に瑠璃色の小星の群れを見つけた。オオイヌノフグリだ。 片仮名ばかりで分からん!とおっしゃるのなら、漢字で書けば「大犬の陰嚢」である。 僕は、かねてより「学会の合意事項」のせいで、動植物の和名を片仮名で書くという風習には大文句を言い続けているけれど、この草の名ばかりは片仮名で書いた方が差し障りはないかもしれない。 でも、やんごとなき辺りのお嬢様が、庭の端にこの花を見つけて、意味がお分かりになった上で、「あら清や、随分かわいい大犬の陰嚢がこんなに咲いてる事よ!」などとおっしゃるのは想像して楽しい。 この花は元来ヨーロッパからの転入者で、英語ではBird’s Eyeという。鳥の目だ。東洋では無くヨーロッパの鳥だから、無論目の色はブルーだ。 別にPersian speedwell、つまり「ペルシャの鍬形草」とも呼ばれる。 学名は、Veronica persica。ヴェロニカは刑場に向かうキリストの汗を拭いて慰めたと言う聖女の名前だ。彼の地には、ゴルゴタの丘に至る道の端にこの花が咲き群れて、茨冠の受難者を見送ったと言う伝説でもあるのかもしれない。キリストの処刑の日は、「春分に一番近い新月を基点とする、次の満月の日」とされているから、例えば今年だと4月3日になる。この花は、未だ寒い頃から咲き始め、その後延々と花期が続くから、まぁ理屈は合っている。 鳥の瞳も、聖人の死途を慰めた聖女も、仏教国の我国に来れば男性を「産ませる機械」たらしめる一器官の名前になってしまう。まぁお気の毒様というか、愉快というか。 「大犬の陰嚢」は「大犬の、陰嚢」ではなく、「大、犬の陰嚢」である。つまり日本の在来種に「犬の陰嚢」という近縁種の草があるのだ。しかし明治の御維新と共にやってきた外来種に負けて、この在来種はどんどん衰退しつつあるのだそうだ。花も、我方は外来種に較べて随分小さく目立たない。やはりここでも「攘夷」は失敗しているのである。 片仮名表記の方が望ましい名称は、花の形から来ているのではなく、花の後に付ける実の形に由来する。これはその写真を見れば一目瞭然で、誰もが、その相互に酷似するところに納得されるであろう。人間は、男子であっても自らのモノも含めて「キ××マ」なんかはろくすっぽ見もしない。第一あんなものはまじまじと見るものでもないし、見ても面白くない。しかし、イヌノフグリは誰でもその形を思い描くことが出来る。これもちょっと可笑しい。 この花の受粉システムは昆虫頼みで、いわゆる虫媒花である。 自然は本質的なところでは合理性に拘るから、この花も昆虫が来てくれる可能性のある、陽のある昼間にしか花を開かない。曇ったり日が翳ったりすると、無駄な事はしないといわんばかりにさっさと花弁を閉じて、頑固な蜆(しじみ)貝のような有様になってしまう。 都会の真っ只中では見かけないし、全くの原野にも生えない。里山ならぬ里花である。これも犬族に通じる。それでも、何となく人を慕うように群れるところは、花の可憐さと共にいじらしい。 幸いにして花の盛りの時期の晴れた昼間に、群生している場所に行き会うと、瑠璃色の小花が一面に咲いている様は、まるで濃緑のじゅうたんの上に青い星を散りばめたようだ。 別の和名には、瑠璃唐草、天人唐草、星の瞳とある。ことに「ルリカラクサ」というのは音も響きが良い。この名前が広まっていれば、この花ももう少し人気が高いものになったかもしれない。子孫を残すための実のせいとはいえ、「キ××マ」をその名前として冠せられたのはお気の毒な事だ。 星の瞳というのは、千葉県での呼称だそうだ。「言葉の理屈」は全く破綻している(千葉県らしい)が、イメージとしては中々なものである。然し同時に少し「わざとらしい」、「ケバイ」感じがするのも、やはり千葉県らしい。思うにこれは、高浜虚子の「犬ふぐり 星のまたたく如くなり」という句からのパクリだろう。・・・・千葉県の人には叱られるだろうな。 去年までは、オオイヌノフグリは啓蟄頃からしか花は見られなかった。今年は雨水でもう花盛りである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|