カテゴリ:日ノ本は言霊の幸はう国
◇ 3月19日(月曜日) 旧如月朔日、壬子。
昨日は春の彼岸の入り。ところがこの数日、日本の上空にはシベリアから寒気団が流れ込み寒い。列島あまねく寒い。 北陸地方は大雪に見舞われた。雪不足で早々にシーズンを閉じてしまったスキー場では、皆さんさぞかし臍を噛んでいらしたことだろう。金沢の兼六園では、一向に大雪の兆しのない暖冬のせいで、名物の雪吊りを早々に取り払った直後のこの雪だ。この間ニュースで観たら、皆さん総出で枝に積もった雪を竹箒で払っていらした。気を利かしての早仕舞いの所為で、ご苦労様な事であった。 この暖冬をもたらした元凶とされるペルー沖のエルニーニョの消滅が、暫く前に報告されたが、この寒気がその所為だとするのなら、エルニーニョ君の力恐るべしとしなければならない。 エルニーニョとは現地の言葉で「神の子キリスト」のことだそうだ。このところ殊更に神をも恐れぬ人間どもの所業の行き着く末を、神がお示しになった挙句の、時ならぬ寒気の再来なのかもしれない。 しかし、時ならぬ春の寒気、春の大雪というのは、過去にも何度か例がある。比較的新しい例では1986年(昭和61年)の3月23日だ。この日、列島南岸に接近した低気圧の所為で、首都圏一帯は大雪に見舞われた。そのお蔭で西武新宿線では列車同士が衝突し、着雪の所為で送電鉄塔が倒壊し、330万所帯が停電、断水は50万戸、無論東京を中心とする首都圏の交通網は大混乱になった。 更に遡ること百二十余年。 安政七年(1860年)三月三日(現行暦に翻訳すると3月24日)の朝。江戸城桜田門外に、時の大老井伊直弼が登城の途中、水戸浪士の急襲を受けて殺害された時も時ならぬ大雪であった。早朝から降りしきる春の大雪に、大老の警護の侍達は太刀も槍も出掛けに雪支度に固めていたため、予期せぬ襲撃に迅速に応戦することもままならず、むざむざと十数人もの死傷者を出しながら、大老の暗殺を防ぐことが出来なかった。 因みに、東京の気象庁の深雪記録によれば、上記の他に3月以降、相当の雪に東京が見舞われたのは、明治41年(1908年)4月9日(20cm)、昭和44年(1969年)3月12日(30cm)などが記録されている。数センチ程度の積雪記録なら、首都圏の「春の雪」も、もっと数が多いことだろう。 まぁ、桜田門外の変まで持ち出すのはちょっとやりすぎかもしれないが、春の彼岸頃から4月の上旬くらいまでの思わぬ寒気や大雪は、首都圏では大いにあり得ることなのである。 時にこの日曜日は、当社創立の記念日であった。 現社名での登記を完了してから三年が経ったことになる。未ださして誇るべき実績を残し得てはいないけれど、それにしても吹けば飛ぶような微小資本に耐え、我国のベンチャーに対する金融事情の冷たさに凍傷になりながら、「とにもかくにも良く生き延びた」というのが心底からの実感である。 「3日、3ヶ月、3年」という言葉があるが、3年生存し続けた小企業の次の節目は何年だろう?まさか30年ではあるまい。僕自身がそんなに長い間今の位置を占め続けることはなかろうし、第一生きていられるかどうかも心もとない。 「一つのことを一生懸命やり続ければ、10年すれば大抵のことはモノになる」と何人かの人がおっしゃるのを聞いたことがある。そういうことなら、後7年ということになるから、それ位ならなんとか我慢できそうだ。まぁそう思い定めて後暫くは奮闘することにしよう。 それにしても、創業記念日が今年は日曜日だった所為で、何のイベントもしなかった。家の自分の部屋で一人密かに祝杯を上げた程度である。折角だからこの日「春の大雪」でも降ってくれれば、せめて雪見酒にはなったものをと思うのに、ままならぬものではある。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007.03.21 01:58:51
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