カテゴリ:日ノ本は言霊の幸はう国
◇ 1月20日(日曜日); 旧師走十三日 己未; 二十日正月
新暦で年が改まってからもう二十日経った。今日は昔流に言えば「二十日正月」。 元旦から二旬日も経てば、もうお正月気分もそろそろ御仕舞にしなければというので、この日には正月の祝いに買い込んだ食材などを一斉に食べ尽くしたのだそうだ。上方では正月に鰤を戴く習慣が広く行われているが、その鰤の頭や骨を粕煮などにして食べ尽くすので、「頭正月」とか「骨正月」とも言ったりするそうだ。他にも「乞食正月」、「棚探し」、「伏せ正月」などという地方もあるようだ。 去年は僕にとっては還暦の年であったが、男の還暦が本厄であるとは迂闊にして秋頃になるまで知らなかった。去年は春頃から仕事の方で本当に大変な目に会ってしまい、以降ずぅーっと不如意な状態が続いたままになっている。何でこんな目に会ってばかりなのだろうと、会社の地元の神田明神に参詣に行ったら、境内の立て看板に歳周り表が有って、それを見たら「本厄」と書いてあってがっくりきた。 男の厄年は数えで42歳でおしまいだと思っていたら、まだ後に数えの61歳というのが控えていたのだ。何だか騙されたみたいな気持ちだった。 女性の方は立て看板に書いてあるのでは満年齢38歳が本厄で、それ以上の年齢の記載は無い。これじゃ不公平だ。 その後、お付き合いのある会計士とこの件を話していたら、厄年というのは未だまだ有るのだそうで、古希、喜寿、傘寿、米寿、・・・・と、要するに何がしかの節目に当たる歳は厄年になるのだそうだ。知らなかった。 彼女に(この会計士さんは女性である)、「女性だけ厄年が少ないのは不公平だ」と云ったら、その辺は彼女もご存じなかった。「女性もある程度の歳になったら、要するに男と同じに扱われるんじゃないの?」と、割と剣呑な事を思わず口にしてしまって、後で少しヒヤッとした事ではある。 還暦の厄年というのは、それが体調にのみならず、仕事の方にまで適用されるのであれば、いささかしんどい事になる。普通のサラリーマンとして会社勤めを続け、大過なくこの歳を迎えれば(昔とは違い最近ではこれに、「会社も大過無ければ」という条件を加えなければならない)、無事定年を迎え、幾許かの退職金を手にして自足し、後は孫のご機嫌を取るか、山里に猫の額ほどのやせ地を借り受け、有機農法による蕎麦作りなどにいそしんで生きていくような年齢だ。ところが僕のように北条早雲の年齢で自立し、他に寄る辺も無い会社を立ち上げた者にとっては、様々な災禍に自ら修羅のごとく対応し続けないと埒が明かない。齢60にして相変わらず疾風怒濤の人生を強いられることになるのだ。 そう考えると気が滅入ってしまうので、昨年末頃から自分の実年齢に0.7を乗じて、その歳になりきるよう暗示をかけている。これは別に根拠が無いわけではなく、何人かの方々も同じようなことをおっしゃっている。曰く、江戸~明治時代の男と現代の男性を同列に比較するには、現代男性の年齢に0.7を掛ける位が丁度良いのだそうだ。最近の成人式の光景などを思い起こせば、何となく納得できる気がする。 そうすると、今の還暦というのは42歳だということになる。42歳といえば、我が尊敬あたわざる夏目漱石先生の享年(49歳)までには、未だ7年も有るではないか!そう思うと俄然勇気がわいてくるのである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008.01.21 13:39:53
コメント(0) | コメントを書く |