カテゴリ:小言こうべえ
◇ 2月11日(月曜日); 旧正月五日 辛巳; 建国記念日、橿原神宮例祭
今日は建国記念日、昔で云えば紀元節だ。2千数百年前に天皇家の始祖である神武天皇が即位した日だと云う。科学的根拠や、歴史書の信憑性などを色々あげつらって、この日に根拠などないと、殊更に言い立てるというのも、最近になるとあまり大人気ないなぁなどと思う。 当時の我国の暦のシステムはどうだったのかとか、第一神武天皇なんて本当にいらしたのかとか。ま、いいじゃないか。何にでも始まりはあるのだから、この国の始まりと云うものをこの日にしたって別にいい。一応それに纏わるお話も、伝説であれ何であれ存在していることだし。 先日の節分の日には関東地方は雪になった。 雪が降ると鬼はやって来ないのだそうだ。どうしてかというと、足跡が雪の上に残って所在がばれてしまうから。なるほど。 鬼というのは「隠」(おん)に通じ、あちこちに潜む物の怪の総称だと聞いた。その足跡が雪の上に刻印されてしまっては、いささか具合が悪かろう。 鬼が来ないのだから、本来戸口に飾って鬼除けにする目刺は要らない。だからこれを焼いて肴にして、酒でも呑むことにするという人がいた。 こういう心持は中々よろしい。鬼の存在根拠など議論しない。しかし、積極的に肯定しているのでもない。そういう議論など超越して、「雪が降ったから、今日は来ないよ。」と酒を呑んでしまうところがいい。 こういうのが伝統であり、昔からの風習の真髄とでもいうのだろう。こういういい加減さは、鬼もそうだが、気まぐれで人間の都合などに頓着しない我国の八百万の神様の風合いには良く似合っている。 こういう伝統や風習はこれからも残っていって欲しいものだと思う。これが制度や儀式になってしまうと鬱陶しくなるが、「ハレ」や「ケ」の行事として伝承されていくのは、祖国というものを継承していく事にもなるだろう。 僕が子供の頃までは、何かにつけて家々の玄関先に国旗を掲げたり、提灯をぶら下げたりしたものだ。国旗が軍国主義の象徴だとか言う前に、何となく掲げてしまっている家が多かったと思う。それが「ハレ」の気分をかもし出したものだ。最近は元旦でも殆ど玄関先に国旗を見ない。町内のお祭の日にも提灯を吊るす家は無くなった。我国から町内というものがどんどん無くなったせいも有る。こういう風習が無くなると「ハレ」も「ケ」も無くなってしまう。これは、ある意味では国の滅びだ。 僕の家にも最早国旗も提灯もないのを棚に上げて、そう思うのである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008.02.11 12:38:36
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