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マックの文弊録

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2008.02.12
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カテゴリ:小言こうべえ
◇ 2月12日(火曜日); 旧正月六日 壬午; 初午

昨日建国記念日についてブログを書いたら、「ルルさん」と云う方からコメントを戴いた。
と、いってもこの楽天のブログではない。「50歳未満お断り」という年齢制限の付いたブログがあり、僕は殆ど毎回このブログを書く都度、そちらの方にもほぼ同じ内容を載せている。

「楽天・・・」の方はアクセス年齢がかなり低いようで、僕のブログには釈迦楽先生とおっしゃる大学教授以外コメントを下さる方は殆どいない。それ以外のコメントは、有ったとしてもはっきり云ってどこかのチンピラによるもので、内容に関係ない卑猥なコメントばかりだ。おまけにBBSに書き込まれているのも同じようなもので、うっかりサボっているとこういうコメントやトラックバック、書き込みがわんさと増えてしまい、削除するのに手間がかかる。
全くヒマ人というか何と云うか、こういう傍迷惑を平気で、且つ熱心にやっている連中の親の顔が見てみたいと思う。(親の顔を見たら見たで、「なるほど・・・!」と云うことになるのかもしれない。だから、実はこういう連中の親の顔なんか見たくはありません。)

尤も、こういう「ジャンク」は、一々キーボードを叩いて打っているのではないのかもしれない。プログラムを書いて、新しいブログを察知すると自動的に書き込むような仕組みを作っているのかもしれない。ブログのみならず、メールにもやたらと届く「ジャンク」を見ていると、文章やタイトルなどが類型的なので、プログラムから自動的に送られてくるのかもしれないと思うのだ。
それにしても、わざわざそんなプログラムを作っている連中を想像すれば、あほらしさと空しさには変わりはない。

釈迦楽先生の最近のブログでは、卒業生からの謝恩会への招待状が届いたが、先ずのっけから「先生各位」という書き出しでがっかりしたとか、文面も「出席か欠席か」などと云う調子で、「こういう連中が明日から社会に出て行くのかと思うと・・・・」と、憮然とされていた。まことにその通り。
しかし、これは若者だけのことではなく、我周辺にも結構年齢は行っているのに、読んでいて「無礼千万!」と怒鳴りたくなるような文章を書く連中が沢山いる。

猥褻なだけで意味不明な文章を、平気で公に曝す輩は、ありゃぁ人間じゃない、エイリァンだとでも思えば、鬱陶しさは消えないけれど無視はできる。しかし、一応意思伝達の意向はありながら、とんでもない用語や、「先生各位」などと書いてくるヤツバラには、腹立たしさを通り越して哀しくなってしまう。

要するに、「語感の欠如」なのだ。
単語や言い回しにはそれぞれ由来と云うものがある。それが時代を経るに連れて、徐々にその意味を変えていくのだが、それでもその使い場所、使い方に係るところでは、本来の由緒由来が隠然と潜んでいるものだ。それが「語感」というものの本質だ。

語感は読書によって継承されていく。逆に云えば、読書によってしか継承されない、そう云ってもいい。本を読まなければ、日本語を特徴付ける語感はどんどん失われていく。日本語だけではない。英語だってフランス語だって、およそ国語というのはそういうものだ。語感が継承されない言語は滅びるのだ。
我国においては、学校で文語教育を疎かにしだした頃に、国語の滅びの発端がある。そう思う。

言葉が滅びれば、国は滅びる。
これも真理である。
戦時中ドイツ占領下のフランスでは、初等教育へのドイツ語の採用を強要する占領政府に反抗して、密かにフランス語を教え続けたと云う。
帝国日本陸軍はそれを知っていて、韓国や中国などの占領地で日本語教育に固執した。それによって八紘一宇という理念の名の下に、現地の人々に皇民思想を植えつけようとした。そして、戦争に負けたら、今度は自ら日本語を捨てて、占領国の言語に迎合しようとした。例の「ゆとり教育」だか何だかの一環として、「国際人の育成」を眼目に、小学校で英語を教えるなどと云う愚行は今だって健在だ。日本の歴史も知らず、日本語もロクにできないガキ共が、英語をペラペラやって、お母さんたちが「ウチの子の発音はいつも先生に褒められますのよ。」などと自慢するのは、これこそ非国民である。亡国の輩である。第一、自分の国の歴史も成り立ちも知らない人間が「国際人」などとは噴飯ものであること夥しい。

ところでふと気付いたのだが、携帯電話メールの絵文字には本のシンボルマークがない!
絵文字といっても括弧や何かの記号を組み合わせたものではなく、最初から小さな絵として用意されているものだ。雪だるまや傘のマーク、それに泣き顔や冷や汗顔など色々なマークがあって、自分の気分をメールに織り込むのには重宝で、僕自身もよくお世話になる。其処には電話や携帯電話のマーク、カップやナイフなどの食器のマークなどはある。しかし、本のマークだけは無いのだ。
この間、友人に「この本は読んだか?」というメールを送る際に捜してみて気が付いた。
まぁ、この辺が万事国語の衰退を物語っているもののようですな。


さて、「ルルさん」のブログである。
このブログ(http://www.stage007.com/)は、50歳以上の年齢制限があるだけ、流石に迷惑なコメントは皆無だ。その代わり僕の文章にコメントを下さる方も、皆無に近い。これは寂しい。

「ルルさん」ご自身は、随分歴史に造詣が深い方のようで、僕の書いた「今日日本が出来た!」と云う掲載記事にコメントを下さったのだが、ご本人のブログを読んでみて驚いた。その中身が実に包括的であるのもさることながら、表題「紀元節・・・」へのコメントが無慮30数通も届いていたのには羨ましくもあり、驚きもした。

嫉妬を抑えてざっと眺めてみると、「紀元節賛成」という方が相当多い。
但し大半の方が、「本当にこの日に日本という国が出来たのだ」と信じての賛成ではなく、昔からの伝統だから続けた方が良いという主旨で賛成されているようだ。これは何もこのブログが「中高年向け」であるせいだけでは有るまい。要するに、多くの方が日本の伝統や風習に対する喪失感をお持ちなのだろう。

今日は初午の日だが、初午なんて子供時代にはちゃんと一つのイベントとして身近に存在していた。今の人はもう殆どが記憶の彼方だろう。ついこの間の節分だってそうだが、こう云った伝統や風習は、我日本の民が八百万の神様たちと共に在った頃に遡るものなのだ。

一神教は砂漠のような貧しい土地柄に発し、復讐の教として、後には統治の便法として発展した。
それに対し多神教は豊かで人心の穏やかな土地に発し、周辺の万物へのおそれと謙譲な心を以て生きよという心の現われとして信じられてきた。
そういう神様が、八百万もいらっしゃる国は世界広しといえ我国くらいのものであろう。そういう神様たちや、それに纏わる物語は、大切に継承されていかなければならない。そうでないとバチが当たるぞ!

最後に、ご興味のある方のために、「ルルさん」のブログのアドレスをご紹介しておきましょう。
http://salon.stage007.com/header1000011/





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最終更新日  2008.02.12 19:41:40
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