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マックの文弊録

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2009.01.12
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◇ 1月12日(月曜日); 旧師走十七日 丁巳; 成人の日

昨年は僕の「後厄」の年だった。
厄というのは前厄、本厄、後厄と都合三年の間続く。だから後厄が終わった今年は、僕は晴れて完璧に綺麗な身になったという訳だ。
厄年というのは、その昔、一定の年齢になると神社の祭礼や式典などの「役」が巡ってきたのが起源だとか、或いは陰陽道の考えに依るものだとか云われる。いずれにしても厄年の歴史は平安時代にまで遡るそうで、そんなに歴史が長いとなれば、無闇と無視をしてはいけない気持ちになる。

僕自身前厄の頃から事毎についていない。色々な問題がこれでもかという位に出てきて、特に昨年は殆ど進退窮まるような状況にまでなってしまった。「誕生日が過ぎれば後厄も明けるから」と我慢していたが、誕生日が過ぎても運が好転した兆しはちっとも無い。

よく考えると、厄年は誕生日を境にしているのでは無さそうだ。
厄年は満年齢ではなく数え年で決まる。数え年は誕生日ではなく、お正月が来るたびに一つ齢を重ねることになる。だから同じ年の一月早々に生まれた子も、師走ぎりぎりに生まれた赤ん坊も、年が改まれば、元旦に等しく2歳になる。
つまりは、誕生日が来てもダメで、暦が改まらないと後厄は明けなかったのだ。なるほど。
そう納得したから、このお正月は後厄明けのお礼とこれからの開運のお願いに、出来るだけ多くの神様や仏様に詣でようと思い立った。
それも大きな寺社だけではなく、近所の辻などに見かける小さなお社も疎かにしないように。

初詣というものは、地元の鎮守様から始めて、近隣の主だった寺社を一通りへ巡ってするものだと、昔母親に教わった記憶がある。それに、大きくて著名な寺社だと、訪れる人も大勢居て、神様や仏様も大忙しだ。忙しさにかまけて、此方のお祈りも疎かにされてしまうだろう。その点小さな祠であれば、お詣りする人の数も少なかろうから、神様だって嬉しい筈だし、こちらのお祈りにも注意を向けてくれるだろうと、そういう作戦でもある。

そんな訳で、年明けから今日までにお詣りした寺社を数えてみると;
芝増上寺、狭山不動尊、山口観音、狭山湖傍の名も無い小さなお稲荷さん、通りすがりの路傍にあった氷川神社の祠、藤森稲荷、曹洞宗梅林山全徳寺、穴八幡宮、巣鴨刺抜き地蔵、王子神社、王子稲荷、鳥越神社、靖国神社、明治神宮、東京大神宮などなど。
一日でこれだけ行った訳では無いけれど、初詣のハシゴをしてしまった。

まだまだ行き漏らしているお社は沢山あるが、これは立春正月までには極力お詣りいたす事にしようと思っている。

今日は成人式で祝日だったので、都心に出かけたついで(といっては叱られるが)に、明治神宮に詣で、その後所用で行った先の近くの靖国神社(明けて以来二度詣りになった)へ行き、最後に飯田橋駅の近くの東京大神宮に詣でて来た。

こうしてみると、わが国には大から小まで、本当に沢山の寺社がある。これだけの数の寺社がそれぞれに古くから崇められ、そして未だちゃんと残っているのだから、日本人は本来は信仰心が篤い民族なのだろう。信仰心というよりも、もっと素朴な「畏れ」の気持ちと云った方が良いかもしれない。

寺社の方もそれぞれに細かい工夫を凝らしたり、差別化を図っているようで注意してみると面白い。

明治神宮の御神籤は、お札を授けてもらうと、明治天皇か奥さんの昭憲法皇太后の御製の歌が書いてあって、それが人生に於ける諌めや諭しになっている。大吉とか小吉、凶などという直截な判断が書かれていないから、何となく物足りない。もっと白黒はっきりしろよ!と云いたくなってくる。
こういう御神籤でも専用に設けられた針金に結び付けていくのが何人もいるのがおかしい。アレは縁起でもない御神籤を授かってしまった時に、神域の木の枝などに結んでおくことで、悪運を消し去り、運を清めてもらうおまじないだ。それなのに、白も黒も無い諭しの詞を結んで置いて来てしまっては、ちょっとまずいじゃないか。

靖国神社の御神籤には、大吉、中吉、小吉だけが有り、凶の札は無いのだそうだ。何となく衆におもねる気がするが、あそこは戦没者を慰霊する神社だ。だから、戦争で命を落とした身内や先祖の霊に手を合わせに来た人には、凶運に値するものは居るはずが無い、という前提があるのかもしれない。
但し、祀られているのは「天皇のための戦」に「天皇のために戦って落命した人」の霊だ。だから、鳥羽伏見の戦いや、その後の上野の山や奥羽戦争、函館戦争で幕軍の側で命を落とした人や、西郷隆盛さんの霊はあそこには無い。

驚いたのは東京大神宮だった。
お正月の三日に別用で九段下の田安門から飯田橋駅へ抜ける道を通った時には、東京大神宮へ続く道に無慮長蛇の行列が続いていて、とにかく行列に並ぶのが大嫌いな僕としては参詣を失礼させていただいた。今日はもう初詣の時期は殆ど終わっているからと思って行ってみたら、それでも随分の人がいて、入り口から手水場、そして本殿に続く参道に粛々と列を成している。それも、女性が圧倒的に多い。皆妙齢の方々ばかりである。神社や仏閣の常連であるオバチャン達は全くと云って良いほど姿を見かけない。そう云えば三日に通った時も、行列の大勢は若い女性が占めていた。
リビドーが匂いたつばかりの若い女性の群れに混じって、遅々としか進まぬ参詣の行列に並んでいるのは、中々独特の気分である。
それでもオヤジ独りのお詣りはちゃんと済ませて帰って来た。
インターネットで調べてみたら、日本で最初に神式結婚式が行われたのがこの東京大神宮なのだそうだ。それをネタに10年ほど前から神官の方々が、ご利益の前面に「縁結び」を掲げ、様々なメディアでこれを宣伝してきた。それが、数年ほど前からインターネットやブログ、口コミで広がって、今では此処にお詣りすると恋人が出来る、好きな人と結ばれる、と若い女性の人気を博すようになったのだそうだ。なるほど、これは神社のマーケティングの成果だったのだ。

最初から知っていれば・・・・・





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最終更新日  2009.01.13 17:09:07
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