カテゴリ:日ノ本は言霊の幸はう国
◇ 1月20日(火曜日); 旧師走二十五日 乙丑; 大寒、二十日正月
今日は二十四気の大寒とは名ばかりの暖かさだ。 ある人が、「今年の1月20日が大寒だ、というのは本当なのでしょうかね? 大寒だの何だのってのは、旧暦をもとにしているのではないの?旧暦と新暦の、この一月弱のズレ。これを踏まえた上で大寒だの何だのって言っているのか、それとも、そのズレをほったらかしにしたまま、そのまま新暦の日付に当てはめているのか・・・。」とおっしゃった。 昔の日本の暦は月の満ち欠けを基本にした太陰暦だ、これが明治になって外国とのやりとりに不都合になって、欧米で広く使われていたグレゴリオ暦、つまり太陽暦に変更された。それ以来太陰暦を旧暦、太陽暦を新暦というようになったのは良く知られている。 太陰暦は電灯の無かった時代には夜の明るさ(月の満ち欠け)を知る目安として便利だった。潮の満ち干を知るにも便利だ。又、海がめや蟹の産卵、珊瑚の放卵のように、動物や人間の体の具合にまで月の満ち欠けの影響は大きいから、日頃の生活や漁師の人々には役に立つ暦だった。 しかし、月の満ち欠けの周期(およそ29.5日)は太陽の運動(=地球の公転周期、約365.2日)とはずれている(365は29.5では割り切れない)から、太陰暦では太陽が支配する季節からずれて行ってしまう。だから太陰暦では閏月などをねじ込んだりして辻褄を合わせていた。 これだと、気温の寒暖や雨量などに大きく頼っている農業には不都合になってしまう。それで採用されたのが二十四気なのだ。 地球は一年間をかけて太陽の周りを一回転(360度)する。これを地球上から見ていると、一年間で太陽は天球上を一周すると言い換えられる。この時天球上を太陽が通っていく道を「黄道」という。 昼と夜の長さが等しい春分の時に太陽が居る黄道上の点を「春分点」といって、これを「黄経0度」と決める。黄経は0度から360度まであって、黄経360度は黄経0度と同じ春分点である。 さて、黄経を均等に24分割すると一つの分割単位は15度になる。太陽は黄道上を一日にほぼ1度ずつ進んでいく(黄道の周囲は360度で、一年は365日だから)。つまり、太陽は一つの分割単位をほぼ二週間かけて進んでいくのだ。 これ位に分けると、大まかな季節の指標になるので、それぞれに名前を付けて出来上がったのが二十四気で、これは月ではなく太陽の動きを基にした太陽暦だ。それも太陽の動きに忠実な立派な太陽暦である。 昔の日本人は太陰太陽暦を使っていたのである。 二十四気の名称には、その季節をイメージさせるようなゆかしいものが多い。 僕が中でも好きなのが、 雨水(二月中ごろ。それまでの雪や氷が融け雨水になっていく頃。)、 清明(四月始め。万事清浄明潔。新芽が何の草かを知る頃。)、 白露(9月始め頃。暑気が漸く衰え始め、朝には露凝りて白色となる頃。)などである。 ところで、冒頭の方の「大寒だ、というのは本当なのでしょうかね?」というのは、二十四気と実際に体感する季節のずれをおっしゃっているのだと思う。実際「立春」の頃は未だ寒さの強い時期だし、8月の初めに「立秋」だと云われても「このクソ暑いのに!」とピンと来ない。 東洋(昔の中国文化圏)では、冬は立冬に始まり冬至にピークとなって立春で終わるとされる。同様に春は立春から春分を経て立夏まで。夏は立夏から夏至を経て立秋まで、そして秋は立秋から秋分を経て立冬までとなる。つまり冬至と夏至の「二至」、春分と秋分の「二分」を軸として四季の中央を「二至二分」としたのだ。再び、これは黄道上の太陽の動きを基にしたものであることに注意して欲しい。 ところで、太陽の動きは地面や海水を通して、約1ヵ月半後に日中気温に反映される。だから例えば太陽が一番高くなる夏至(例年では6月21日)は、それから約一ヵ月半を経た立秋(例年では8月8日ころ)に体感上の盛夏をもたらすのである。 言い換えると大寒の気温をもたらしたのは、昨年の12月初め頃の日照なのだといえる。 西洋の季節は東洋とは異なり、「二至二分」ではなく「立」を四季のピークとする。つまり、西洋では冬は冬至に始まり立冬をピークとして春分で終わる。春は春分に始まり立夏を経て夏至までの事をいう。 冒頭にご紹介した方が「立春なんて一番寒い頃でしょう!」とおっしゃるのは西洋流の季節の感じ方、つまりは体に正直なご意見なのだ。 「立春正月」といって、日本人は西洋の真冬に正月を祝った。この立春の日は日本人には特別の日で、前日の節分の日には玄関にヒイラギの枝や鰯を差し、豆を播いて旧年の邪気を払った。穴八幡宮の一陽来復のお札を貼って金運を願うのも節分の真夜中、つまりは大晦日の真夜中、年が改まる瞬間だ。 八十八夜とか二百十日もこの立春を基準にしている。 日本人(東洋人)は、西洋の真冬のさなかを立春として春の兆しを感じ、クソ暑い中でダラダラ汗をかきながら秋の兆しを看ようとする。 この「兆し」に敏感なところが、日本人が本来持っている「ゆかしさ」の心に通じるのだと思う。日本人は西欧人と較べて積分値より微分係数に敏感なのだ。そこが僕は好きだ。 農作業は、太陽の動きを見て種を播いたり収穫の段取りを決める「先行型の作業」だから、体感上はともかく、太陽を基にした指標が定まってさえいればよろしい。 しかし、二十四気の二週間という間隔は精密な農作業には粗過ぎるもののようで、昔は更に七十二侯という区分が設けられていた。 これは二十四気の間隔を更に「初候」、「次候」、「末候」と三等分するものである。つまりは一つの「候」は黄道上の5度になり、日数としてはほぼ五日間である。 例えば、立春の七十二候は、初候が「東風凍りを解く」、次候が「鶯鳴く」、末候が「魚氷に上がる」などとなっている。これくらい細かく分割して季節の移ろいに敏感でいないと、温室やハウスなどの人口環境など無い時代にはちゃんとした農業を営むのは難しかったのだろうと思う。 最後に、二十四気ではなく「二十四節気」と云われる(日本語の基準を定めるとされているNHKでも「二十四節気」と云っている)のが普通だが、本来は「二十四気」が正しい。 一年十二ヶ月(旧暦では十二節月という)の中で、例えば立春は「正月節気」、次の雨水は「正月中気」というように、二十四の区分はそれぞれ「節気」と「中気」を交互に繰り返して現れる。 この「中気」は所属する十二節月が決まっている。つまり春分は旧二月、夏至は旧五月というように、「定住月」が固定されていて、これを外れてはいけない。 太陽暦である二十四気が太陰暦とずれていって、その月の中気が隣の十二節月に入ってしまうような事になると、そこで閏月を置いて調整し、ちゃんとその月の「中気」が所定の節月に収まるようにしたのだ。 ともあれ、「節気」は年に12回しかない。残りの12回は「中気」である。両者に共通するのは「気」であるから、二十四節気ではなく「二十四気」が正しいのである。 これは別に屁理屈ではなく、中国でも日本でも暦に関する古い本には皆「二十四気」と書かれているのだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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