カテゴリ:小言こうべえ
◇ 1月22日(木曜日); 旧師走二十七日 丁卯(ひのと う): 黙阿弥忌
オバマ新大統領の演説を聴いた。 NHKがライブで就任式典の中継をすると言うので、DVDに録画しておいた。日本の深夜に起きていてまで聴きたいとは思わなかった。しかし、史上4番目に若い大統領だそうだし、史上初めての非白人の合衆国大統領であり、しかも今このアメリカ発の経済危機をどう沈静できるかが彼の肩にかかっているとなれば、彼の世界に向けた最初の公式の声明にはどうしても興味がある。 翌日DVDを再生して聴いた演説には、しかし、正直云って感動しなかった。それ以前に、NHKの放送には同時通訳(女性が二人?入れ替わり通訳されていた)が入っていて、その声がオバマ氏の声に被さって聴き取り辛いこと夥しい。ここはどうしても本人の声と言葉で聴いておきたい。 そしたらNIKKEI NETのウェブに演説原文全文が掲載されているのを見つけたので、DVDで聴いたのと重ね合わせながら読んでみた。 それでがっかりしてしまった。何だ、まるで生徒会長の演説か、NHKの青年の主張みたいじゃないか。 冒頭で「オバマ新大統領」と書いたが、世界の人々は(全部では無いけれど)まるで彼を自分たちの国の大統領のように見ている。彼のルーツであるアフリカの国でも、日本のどこかの市でも、果ては名前が似ている温泉地でも結構な大騒ぎになっている。 日本のメディア(権威ある主要メディアですぞ!)でもオバマ大統領が携帯メールを使っている(今までは機密上の理由で大統領は携帯メールを禁じられていたのだそうだ)と、どうでもいいようなゴシップが事々しく報じられる有様だ。 現在時点での日本のみならず各国の大勢としては、彼の演説に感動して涙すらしたというものである。だから今やオバマ大統領は「米国新大統領」ではなく、単に「新大統領」と、「米国」の文字を外したほうが良いような雰囲気が世界中にある。 そうであればこそ、彼の就任演説は「世界」を強く意識して、その中での米国の役割をしっかりと見据えたものであるべきではないか?その上で米国民のみならず世界中の人々の精神を鼓舞するものであるべきではないか?それが全体としてどうも内向的である。地味である。格調というものが余り感じられない。 何より百年に一度とか云われる金融危機も、元々は米国の安易な楽天主義に端を発したものだ。その結果世界中に不況が広がり、或いは会社が潰れ、或いは大幅な赤字転落で失業者が続出し、或いは住むところを無くし、或いは就職内定を取り消され・・・・。これは日本だけの事ではないのだ。 つまり、未曾有(最近は「ミゾユー」と読むらしい)の経済不況の「犯人」はアメリカじゃないか。 でもこの「犯人」は断罪できない。結局はこの「犯人」しか現状を解決出来る力を持たないからだ。(少なくとも世界はそう思っている。)だから世界は(無論日本も)「犯人」に依存しなければならない。それが皆分かっているから、「新大統領」に切実に期待するのだ。 そういう期待が僕にも強くあったから、この就任演説にはがっかりしてしまったのだ。間違っているだろうか?何故多くの人達がこの演説を賞賛し、涙まで流したのか、本当に分からない。 彼の演説は、概して話題が卑近であり、文章が長く、リズムが欠けているのだという気がする。あらゆる局面でアメリカの抱える問題が深刻で待ったなしであることを思えば、道路建設や、太陽・風力エネルギー、教育制度の改革などの「卑近な」話題を取り上げるのはやむを得ないかもしれない。それなら、聴いている人を高揚させるのは、文章の力でありリズムだろう。 今回の就任演説で必ず引用されるのは(つまりは最も人々やマスコミの印象に残ったのは)、「新しい責任の年代」(New era of responsibility)という言葉だろう。「今私たちは、新たな責任の時代にいるのだという事を知らなければならない」というほどの意味である。 しかし、この部分の原文全体はこうなっている: What is required of us now is a new era of responsibility - a recognition, on the part of every American, that we have duties to ourselves, our nation, and the world, duties that we do not grudgingly accept but rather seize gladly, firm in the knowledge that there is nothing so satisfying to the spirit, so defining of our character, than giving our all to a difficult task. 長すぎる!まるで生徒に長々と御説教しているようだ。 同じ事をケネディ大統領はこう云った: And so, my fellow Americans:/ ask not/ what your country can do for you/-Ask what you can do for your country. これだけ。 文中スラッシュ(”/”)は「息継ぎ」の場所だと思ってください。実際に声を出して読んでみると、リズムがあって、次第に気分が高揚してくるような気がする。 そしてケネディは、アメリカ国民以外にも呼びかける。 My fellow citizens of the world:/ ask not/ what America will do for you,/ but what together we can do/ for the freedom of man. Finally,/ whether you are citizens of America/ or citizens of the world,/ ask of us here/ the same high standards of strength and sacrifice/ which/ we ask of you./ With a good conscience/ our only sure reward,/ with history/ the final judge of our deeds,/ let us go forth to lead the land we love,/ asking His blessing and His help,/ but knowing/ that here on earth/ God's work must truly be our own. ね?随分違うでしょ? 又オバマさんは演説の初めの方で、 On this day, we gather because we have chosen hope over fear, unity of purpose over conflict and discord. (今日のこの日、私たちが此処に集まっているのは畏れではなく希望を選んだからです、云い争いや不和ではなく目標を調和させることを選んだからです。) と、おっしゃる。 そして、「今まで政治を抑圧してきた、些細な不平やいい加減な約束、非難の応酬、独断は終わったのだと宣言します。」となる。 これと同様なことをケネディは; We observe today /not a victory of party/ but a celebration of Freedom/--symbolizing an end/ as well as a beginning/--signifying renewal/ as well as change. For I have sworn/ before you/ and Almighty God/ the same solemn oath/ our forbears prescribed/ nearly a century and three-quarters ago. といい、更に有名な「炬火のフレーズ」に続く; We dare not forget today/ that we are the heirs/ of that first revolution. Let the word go forth/ from this time and place,/ to friend and foe alike,/ that the torch has been passed/ to a new generation of Americans/--born in this century,/ tempered by war,/ disciplined by a hard and bitter peace,/ proud of our ancient heritage/--and unwilling to witness or permit/ the slow undoing of those human rights/ to which this nation has always been committed,/ and to which we are committed today/ at home and around the world. 如何にも青年大統領の意気込みが感じられて清清しい。特に「to friend and foe alike」など、敵対する側への断固たる自信と恫喝すら垣間見えてカッコいいじゃないか。 東西の冷戦の最中で「善悪」の基準がはっきりしていたケネディの時代と較べると、現代は「敵」の所在が地理的な場所を越えてそこいらじゅうに分散している。色々なものがネットワークで結ばれて「グローバル化」している中で、過去からの集積の結果である問題が複雑に絡まりあい深刻化し、何処をどう押せば解決できるかは非常に不透明だ。そういう中で世界最強の国の首長に就任したオバマさんは、ケネディの時とは環境も立場も違うのは当たり前だ。 しかし、ケネディの時代と同じなのは、世界は否応なくアメリカにその安寧も存在自体も委ねざるを得ない状況にあるということだ。それを思うと、やはり今回の就任演説はどうしても物足りなかったのだ。 最後に、関連する余談を二つ。 アメリカの大統領は演説の際には、「My Fellow Citizens」という呼びかけから始める。このFellow Citizensという言葉は好きだ。特に「Fellow」という言葉が良い。 日本の政治家はこう云わない。第一そういう感覚が全く無いのだろう。麻生さんなど「My Fellow Party Members」というのがやっとだろう。 又、オバマさんの演説の中に; The question we ask today is not whether our government is too big or too small, but whether it works - whether it helps families find jobs at a decent wage, care they can afford, a retirement that is dignified. という部分があったが、何となく小沢一郎氏の口癖を思い出してしまい、彼に聞かせたいと思った。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009.01.23 16:15:27
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