カテゴリ:日ノ本は言霊の幸はう国
◇ 1月24日(土曜日); 旧師走二十九日 己巳(つちのと み): 仏滅、初地蔵
一月は初の字の付く行事が多い。 初詣(以上1日)、初夢、初荷、書初め(以上2日)、初水天宮(6日)、初薬師(7日)、初金比羅(10日)、初観音(18日)、初大師(21日)、初地蔵(24日)、初不動(28日)。 その他、初の字は付かないけれど、一月には七草、どんど焼き、鏡開き、蔵開き、小正月、うそ替えなどの行事もある。 更には暦には選日というのが定まっていて、一粒万倍日、不成就日、八専、三隣亡、天一天上、天赦日、土用、十方暮などがあり、それぞれに何をして良い日とか悪い日とかが決められている。 又々、六曜といって、大安、友引、先勝、先負、赤口、仏滅などというものもある。六曜は「お日柄」といって、今でも婚礼や法事の日にちを決める参考にされる。 昔の人は暦を見ながらこういう様々(細かく云えばもっと色々な要素があるようだ)を考慮して予定を立てたり、その日の行動を決めていたのだ。 迷信だといってしまえばそれまでだが、暦を睨みながらあれこれの要素を考え合わせていくのは、中々知的な作業だったはずだ。 今の我々の生活には、こういう暦を考えるという「しきたり」が廃れてしまったから、自分や相手の都合だけで色々決めていく。昔と較べれば合理的だということになろうが、合理的とは一方では伝統や文化というものから疎遠になるという事でもある。 子供の頃に、お正月の二日になると書初めだといって、墨をすり、馴れない筆を持って半紙に「お正月」とか「たこあげ」などと書いた。女の子は、「すごろく」とか「はねつき」などが定番だった。 それを神社の境内などで行われるどんど焼きに持っていって、お正月の飾りなどと一緒に焼く。焼いた灰が天に向かって高く舞い上がると字が上手になるなどといわれた。 床の間に飾った鏡餅が段々ひび割れて行くと、鏡開きが待ち遠しかった。鏡餅は砕いて生醤油で付け焼きにすると美味しくて、僕は大好きだったから、早く食べたくて仕方が無いのだが、「鏡開きまではダメ」といわれで許されなかったのだ。 今の子供たちには、こういった「しきたり」の記憶は伝承されては行かないのだろうと思うと、寂しくもあるし、可哀相な気もする。 さて、今日は初地蔵。 地蔵尊は道の辻などに良く立っていらっしゃる。関西では特に子供たちの守り仏とされているそうだ。「お地蔵さん」と云って親しまれる身近な仏様で、赤い頭巾や笠などを被せられて昔話にも登場する。 大伽藍の奥深くというより、戸外のそこいらに普通に見られるからといって、軽んじてはいけない。仏様の階層の中では、菩薩といってかなり高位にいらっしゃるのだ。 仏教の教えでは、お釈迦様が亡くなった(入寂という)後、弥勒菩薩が出ていらっしゃるまでの56億7千万年(!)の間、現世には仏が居なくなってしまう。この間人間たちは、六道(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道という、要するに世間や世界のことです。)を迷い、悩みながら輪廻しなければならない。それをお救い下さるのがお地蔵様だ。だから、昔の街道筋や道の辻など、「分かれ道」がある場所に置かれていることが多い。 つまりは、実務型、現場型の仏様だといえる。 お地蔵様の縁日は24日。だから1月の24日は初地蔵だ。 東京では巣鴨のとげ抜き地蔵尊の例大祭が有名だ。巣鴨の旧中山道筋は、今年に入って二度目の大賑わいとなり「じじばばの原宿」が出現する。 同じ人混みでも、巣鴨のそれは例えば新宿歌舞伎町辺りの人混みとは全く趣も違うだろうから、又行ってみたい気がする。 但しこの日は六曜では「仏滅」。 こういう時には、お地蔵様はどうされているのか、よく分からない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009.01.25 14:03:13
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