361438 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

マックの文弊録

マックの文弊録

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X
2009.02.28
XML
◇ 2月28日(土曜日); 旧二月四日 甲辰(きのえ たつ): 大安、鹿児島霧島神宮お田植え祭

誰かが言っていた言葉だけれど、人に付いて唯一確かに言えることがある。それは「必ず死ぬ」という事だ。
別にこれは、人間のみに限ったことではなく、生きとし生けるものに等しく言えることだ。但し植物にとっては個体としての概念は動物よりはやや希薄だし、(切り倒されたり、嵐で倒れた木の株に、新しいひこ生えが見られるのは普通のことですね。)動物も個としての意識があるのかどうか。つまりはやはり文明というものを創り上げてしまい、個という「考え方」を持ってしまった人間についてのみ言える言葉であろうと思う。

しかし我々は、若い時には前方にしかこれを考えない。いつか自分も死ぬ事は分かっているが、そんな事は普段は気にしない。
然し死病を得たり、歳をとって来ると、自分の死ぬ時期が大体見えてくるような気がして来る。そうなると、死ぬ時期を起点にして、後方に人生を考えるようになるようだ。
この「前方」と「後方」の考え方の境目は、何歳位に有るのだろうか?

僕は漱石が生きた人生の長さをとっくに過ぎ、北条早雲が伊豆半島を版図に納めた齢になって、未だに何事かを為し得たという自負もなく、べんべんと時間を送っている気がしてならない。そういう時にはどうしても「後方」に考えてしまう。
しかし一方で、何かちょっとしたきっかけで、気力横溢して「前方」に向けての姿勢に溢れる事もある。この歳にしてまだまだ大悟には程遠い有様である。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2009.03.02 19:56:38
コメント(0) | コメントを書く


PR

プロフィール

求連帯而懼孤立!

求連帯而懼孤立!

ニューストピックス

カレンダー

バックナンバー

2024.11
2024.10
2024.09
2024.08
2024.07

カテゴリ


© Rakuten Group, Inc.
X