カテゴリ:日ノ本は言霊の幸はう国
◇ 2月28日(土曜日); 旧二月四日 甲辰(きのえ たつ): 大安、鹿児島霧島神宮お田植え祭
誰かが言っていた言葉だけれど、人に付いて唯一確かに言えることがある。それは「必ず死ぬ」という事だ。 別にこれは、人間のみに限ったことではなく、生きとし生けるものに等しく言えることだ。但し植物にとっては個体としての概念は動物よりはやや希薄だし、(切り倒されたり、嵐で倒れた木の株に、新しいひこ生えが見られるのは普通のことですね。)動物も個としての意識があるのかどうか。つまりはやはり文明というものを創り上げてしまい、個という「考え方」を持ってしまった人間についてのみ言える言葉であろうと思う。 しかし我々は、若い時には前方にしかこれを考えない。いつか自分も死ぬ事は分かっているが、そんな事は普段は気にしない。 然し死病を得たり、歳をとって来ると、自分の死ぬ時期が大体見えてくるような気がして来る。そうなると、死ぬ時期を起点にして、後方に人生を考えるようになるようだ。 この「前方」と「後方」の考え方の境目は、何歳位に有るのだろうか? 僕は漱石が生きた人生の長さをとっくに過ぎ、北条早雲が伊豆半島を版図に納めた齢になって、未だに何事かを為し得たという自負もなく、べんべんと時間を送っている気がしてならない。そういう時にはどうしても「後方」に考えてしまう。 しかし一方で、何かちょっとしたきっかけで、気力横溢して「前方」に向けての姿勢に溢れる事もある。この歳にしてまだまだ大悟には程遠い有様である。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009.03.02 19:56:38
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