カテゴリ:日ノ本は言霊の幸はう国
◇ 3月2日(月曜日); 旧二月六日 丙午(ひのえ うま): 先勝、旧初午
僕が日頃愛読させていただいているブログがある。 ペンネーム釈迦楽さんという方がお書きになっているブログで、釈迦楽さんは名古屋の大学で英文学の教鞭をとっておられる教授先生だ。色々な題材を取り上げて、時に鋭く、又洒脱な文章をものされるので、ついつい刺激されてコメントを何度も投稿させていただいている。 時節柄先生の大学では期末試験を終えられた由にて、これはご同慶の至り。そこで、学生諸君の答案から珍妙な誤字を選び出して「誤字大勝」なるものをブログにアップしていらっしゃる。僕が目にしたのは今回が初めてだったが、何でも釈迦楽さんのブログでは恒例の事らしい。 見ていると当節の学生諸君(英文学専攻だかられっきとした文化系ですな)の「漢字熟語感覚」なるものが仄見えて面白い。僕が見て「フム、中々!」と思ったものを適当に選んで此処に再掲させていただく。 先ずは、「決局」⇒正しくは「結局」。(以下同様にて) 「登上」⇒「登場」、「衝激」⇒「衝撃」、「集収」⇒「収集」、「復襲」⇒「復讐」、「異和感」⇒「違和感」。 この辺りは「なるほどさもありなん」という程度で、言葉の意味を考えれば「そう書いてもいいかも」などと思えなくもない。 「要訳」⇒「要約」などは、やはり英文学の学生さんなのかなとも思える。 ちょっと面白いのは、「刑部」⇒「警部」。これは史学専攻の学生が混じって試験を受けたのかなとも思ってしまう。勿論「刑部」を「ぎょうぶ」と読んでの話だけれど。 それにしても当たり前だけれど、未だ試験は昔ながらの筆記でやっているんですなぁ。ワープロを使うと衝撃は笑劇などと出てきて時に笑わせられるけれど、上のような誤字、当て字というのは出てこない。 さて、釈迦楽先生が今期の「誤字大賞」に選抜されたのは「子供の鳴き声」! これは無論正しくは「泣き声」だが、「鳴き声」と書くことには僕なぞ中々深い含意を見てしまう。「泣き声」には子供の悲嘆の様子が窺え、聞き手の感情が動かされているのが感じられるが、「鳴き声」となると聞き手は中立的で感情移入は感じられない。 昨今問題の幼児虐待も、親や身内のものが子供の泣き声を「鳴き声」と聞いている所為かもしれないなどとつい思ってしまう。(釈迦楽さんの当該ブログ原文はこちらです。) さてさて、こういう「新造語」や「当て字」に於いては、我が敬愛する夏目漱石先生をもって嚆矢とする(と僕は思っている)。待てよ、この「嚆矢」という言葉は、釈迦楽さんの講座の学生さん達にとっては最早死語なのではないかしらん?第一今時のフツーの学生たちはこれを読めるかなぁ? 近代日本語の書き言葉の創始者は漱石、鴎外、直哉あたりと云われるが、他のお二人がどちらかと云えば生真面目なスタイルだったのに対し、漱石先生は(不真面目というわけでは決して無いけれど)縦横無尽に新造語や当て字をお使いになった。 漱石先生の発明になる当て字を、これも適当に列挙してみると、 「瓦落多」⇒読みは「がらくた」(以下同様にて)、 「仮令」⇒「たとえ」、「喋舌る」⇒「しゃべる」、「草臥れた」⇒「くたびれた」、「八釜しい」⇒「やかましい」、「糠る海」⇒「ぬかるみ」、「婆かす」⇒「ばかす」、「巧果」⇒「こうか=効果」、「鈍栗眼」⇒「どんぐりまなこ=団栗眼」、「蹴爪づく」⇒「けつまづく」、「寸断々々」⇒「ずたずた」、「迂路つく」⇒「うろつく」、「反吐もど」⇒「へどもど」、「涙が煮染む」⇒「にじむ」、「出鱈目」⇒「でたらめ」、「お菜」⇒「おかず」など、有るわあるわ! 「草臥れた」は如何にも疲れきった様子が窺われるし、「八釜しい」もなるほど!だ。「蹴爪づく」も「寸断々々」も秀逸だし、「出鱈目」などは今時のパソコンのMIMEの変換でちゃんと出てきてしまう! 学生諸君の誤字は「あ、そう」くらいのものだが、さすが文豪、上のどれを見ても、何がしに「フムなるほど!」と思わざる含意にニヤリとさせられたり、「上手いっ!」と思わずつい手を打ってしまう。 ところで、「うるさい」をMIMEで変換すると候補に「五月蝿い」とちゃんと出てくるが、これも漱石先生の発明なのだそうだ。今ではちょっとした街中の家に蝿なぞ見なくなってしまったが、漱石先生の生きた明治から大正の始めのころは、首都東京にも蝿が我が物顔に群れ飛び、五月の頃にはさぞかしうるさかったのだろうと想像できる。 誤字や当て字だって恥ずることは無い。それが人をして思わずニヤリとさせてしまう「深さ」があれば、暫くすればワープロの変換候補にまで出世して皆に使われるようになるのだ。 釈迦楽先生もその辺りを学生に説いて、いっそ高等な当て字創りを督励されては如何なものだろうかと考えるが如何に。 ※ここで、お断りしておきますが、上の漱石の新造語や当て字は僕が直に渉猟したものではありません。出所は、「半藤一利著 漱石先生大いに笑う 講談社1996年」です。因みに著者の半藤(「はんどう」とお読みするそうです)さんは、漱石の長女である筆子さんの娘婿でいらっしゃる由。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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