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マックの文弊録

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2009.03.13
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◇ 3月13日(金曜日); 旧二月十七日 丁巳(ひのと み): 赤口、奈良春日大社祭

曇天。予報では低気圧の所為で関東地方も夕刻から風雨が強まると。

千駄木から団子坂へ行こうと思った。このところ漱石の三四郎を読んでいた所為だ。千駄木というと最寄りのJRは山手線の西日暮里駅だということが少し意外。千駄木はもっと上野寄りだと思っていた。東京メトロの駅が構内にあるが、これは千代田線。これまでの頭の中の地図なんて随分いい加減なものだった。やっぱり歩く機会でも無いと分からない。乗り物で地理感を養えるのはせいぜいバスか都電である。

駅構内の大江戸屋という蕎麦屋に入った。駅蕎麦の店も勢力範囲があるのだろう。池袋の辺りは「あじさい」という実に不味い蕎麦屋が入っているが、大江戸屋というのは初めてだったから入ったのだ。天玉蕎麦400円也。あじさいよりは不味く無い。無論美味しいと感動はしない。蕎麦などは元来グルメぶって食べるようなものではない。小腹を手軽に満たしてくれれば良いのだ。だから、あじさいの不味さは半端では無いということになるのだ。

それより店の中の二人のオバサンが「いらっしゃいませ今日は♪」、「ありがとうございました♪」、「又お待ちしています♪」などとのべつに掛け合いで唄うように唱えている。誰か相手が居て言っている様子では無い。第一店内に客は3人程度で僕も入れて3人とも既に自分にあてがわれた丼を抱えている。新たな客が入ってくる様子も、店内の客が出て行く気配も無い。
特に出入りは無いのに二人は上の文句を適当に入れ替えながら唄っているのだ。
二人の唄はつまりは、客寄せと景気づけらしい。「なるほどね。皆努力しているんだ。」とちょっと感心した。しかし、これで誰も店内に居なくなったらどうなるんだろう。未だ唄い続けるんだろうかと、試してみたくなったけれど、これは出来ない相談だ。

高架になった線路の下を線路に垂直にくぐる通りは権現山通り。これを山手線の内側に向けて、つまりは南西に辿ると、やがて不忍通りに交わる。
その表示の有る交差点に至る手前で左に折れ、昔の商店筋に入り込む。車の往来の盛んな大通りを歩くより、こういうところでは路地に入って、昔の道筋の面影を辿るのが面白い。

案に違わず道筋の両側には、如何にも昔からだろうと思われる小店が並んでいる。八百屋、肉屋、床屋、食堂、豆腐屋など。時々唐突に並びに稲荷の祠があって、幟がはためいていたりもする。
途中ですずらん小路というのを見つけたから右に折れて小路に入り込む。両側には蕎麦屋、めし屋、居酒屋など押しなべて間口の小さな店が並んでいる。とんかつという暖簾を出した和幸という屋号の店があったが、無論方々に支店を持つあの和幸などではない。唯一無二、一店ぎりの和幸だ。
三四郎の時代には、木造の安普請が軒を並べていたと思う。店筋の裏手に回ればもう家並みも無く、野っ原か畑が拡がっていたはずだ。僕はこういう道を歩く時は、後になって立て込んできた家やビルなどを無理やり取り去った姿を頭の中で想像することにしている。
そうすると、三四郎や漱石が生きて親しんだ光景が、上手くすれば忽然と再現されてくるのだ。

すずらん小路はすぐに終わりになって、いきなり不忍通に飛び出す。出ればもうすぐそこが東京メトロの千駄木駅だ。その先が札の辻で「団子坂下」とある。頭の中では団子坂はもっと先の不忍池辺りだと思っていたので意外だったが、表示の方が正しいに違いない。
団子坂を登ろうと札の辻の信号待ちをしていたら、向こう側に和服に割烹着を付けた女性が信号待ちをしている。美禰子には程遠い年齢の女性だったが、和服に割烹着の女性なんて見かけたのは随分久しぶりのことなので、思わず見入ってしまう。
このオバサンは、玄関が引き戸の古い家に帰って、部屋にはきっと長火鉢などがあるんだろう。長火鉢には鉄瓶が乗っかってちんちん音を立てているのに決まっているのだ。さすが漱石や三四郎に縁のある団子坂だと無闇と嬉しくなった。

今の団子坂は対向二車線の舗装された立派な道路である。しかし三四郎の頃は幅がやっと二間程で両側は食べ物屋や茶屋が並ぶ狭い道だったようだ。無論舗装などは無く、雨が降れば泥濘、晴れれば土埃の立つ道だったはずだ。
三四郎は美禰子やよし子、それに廣田先生や野々宮宗八君と連れ立ってこの団子坂を下り、菊人形の展覧会を観に行くのだ。三四郎達は横丁の細い路地から大観音の前に出て団子坂下に向かう。つまりは僕とは逆の方向から来たのだ。

団子坂下から登っていくと、緩やかに左に逸れていって団子坂上という札の辻に出る。今の交通の表示は即物的だがそのまんまで分かり易い。そこで来た方向を振り返る。

『坂の上から見ると、坂は曲がっている。刀の切先の様である。幅は無論狭い。右側の二階建てが左側の高い小屋の前を半分遮っている。其後には又高い幟が何本となく立ててある。人は急に谷底へ落込む様に思われる。』
きっと道の拡幅工事がされたに違いないが、其の工事も道の形までは変えなかったようだ。但し道の幅が拡がった所為で、上の表現よりは勾配は遥かに緩やかにしか見えない。坂上から下を見ると確かに道は右に切れ込むように見える。但し刀の切っ先のような鋭さはない。人も車も谷底に落込むのではなく、長閑に坂を下ってやがて見えなくなる。
ここでも想像をたくましくして道幅を半分以下に切り詰め、両側の建物を取り去り、よしずの小屋掛けを配置して、三四郎たちの見た光景を頭に作り出してみる。それで密かに嬉しくなる。

団子坂上を更に少し先に行くと駒込学園というのが有って、そのすぐ向こうが大観音らしい。かなり広い敷地にお寺が二つあって、更にその道路際に十二面観音堂がある。となると、廣田先生の下宿はもうすぐ近くにあった事になる。しかし小説の中の話しだし其処までは捜しようが無い。
同じ道を逆に辿って不忍通りに戻るのは芸が無いから、又路地に入って適当に当たりをつけながら歩く。

東京は坂の町だ。それと路地の町だ。
路地は昔の道筋や土地の境界をなぞっているはずだから、律儀に縦横に交差などはしていない。いい加減にくねったり、急にくの字に曲がったりする。そういう細い路地を辿っていくと、昔から代々この辺に住んでいるんだろうと思わせる家に出会う。
路地に入り込むと東京ではどこでも付いてくる騒音が無い。独りで歩いているのが心配になるほど静かだ。時々塀の上に猫がとまっていて、胡乱なやつだとばかりに視線を投げられたりする。婆さんが独り掲示板を覗き込んで丹念に何か読んでいたりもする。

やがて又路地から飛び出るような感じで、根津神社の北門に行き会う。此処まで来れば既にもう既知の世界だ。境内には名物の躑躅の群落が外の道に続く斜面を埋めているが、未だ躑躅の花には遥かに早いから経路を散策する人も居ないし、花の頃には薄謝を徴収する小屋にも誰も居ない。

境内を抜けて権現坂に出会う鳥居の辺りでちょっと考える。坂をちょっと登れば大学の地震研究所だ、其の先は農学部。其の辺りから構内に入り、三四郎池まで行けば何となく今日の物語は完結するような気もするが、流石にもうそんなにゆっくりしては居られない時間でもある。
それで結局権現坂を下って不忍通に出てそれを突っ切り、芸大の辺りを抜けて駅に向かうことにする。
こうして見ると不忍通は昔は谷底を伝う筋であったことがよく分かる。三四郎の時代には谷底には小川が流れていて根津と谷中を分けるような形になっていたらしい。此処で三四郎は菊人形展の雑踏を抜け出した美禰子と二人きりになって、ちょっとばかり有るのだ。当時は周りは野っ原でしかない。今はもうそんな面影は望むべくも無い。

この後精養軒に向けて歩き、暗闇坂から鴎外の居住地跡(今はホテルになっている)を通って、精養軒の脇の長い石段を登って東照宮の境内から公園内に入り、文化会館の向かいの公園口の改札に行った。
途中の噴水は高く吹き上がると折からの強風で霧になって吹き飛ばされる。風下に居るとずぶ濡れになるだろう。寒緋桜は濃紅色の重たい花を咲かせていた。

長く鬱屈した不如意の中で、否応なく時間だけはあるから本棚から漱石の本を順に抜き出して読んでいた。最初に三四郎を読んだのは多分中学か高校の頃だった。その後大学の研究室時代にも読み耽った。しかし、其の頃は東京の地理には不案内で有ったから、小説の中の人物の挙措や心理は読み取れても、周囲の町並みなどにまでは理解が及ぶべくもなかった。上野精養軒が団子坂とどういう位置関係にあり、三四郎が美禰子や與次郎君とどう歩いて何処に至ったかなどはさっぱり没交渉だった。

こちらに来てもう30年余りになり、東京に土地勘も出来てきたが、今度は逆に三四郎を読み返すことなどは無くなった。

半ば余儀なくという状況の中とはいえ、今回この両者が再び出会ったのだ。そうして、歩いてみるとまことに面白い。僕は銀座や赤坂、六本木などという、田舎者にとって「東京らしい」場所には一向に感動も感心もしたことは無い。しかし今日の千駄木や根津、それに入谷の辺りには(特にその路地と、スーパーやコンビニを見かけない商店筋には)随分懐かしいものを感じさせてもらった。
僕には東京の中でもこういう辺りが合っているように思う。

長きにわたって鬱屈の原因となっているRMからの話は、来週の火曜日にはいよいよという事だ。RMの言語感覚と世界観は僕とは(というよりは「世間一般とは」とすら云えるはずだ)全くずれているから、こちらの物差しに合わせようとするとイライラが募るばかりだから、もうあるがままに聞くことにしている。「そうなって欲しい」とは切実な願いだし、今後に向けての生存の必然だが、こちらの論理では最早追求はしない。

だから、そういう中での今日の団子坂と割烹着のオバサンは、僕の心にとっては大いなる慰藉であり、感謝の対象ですらあったのだ。






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最終更新日  2009.03.15 01:16:45
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