カテゴリ:よもやま話
◇ 3月22日(日曜日); 旧二月二十六日 丙寅(ひのえ とら): 先負、三りんぼう、NHK放送記念日
今日が放送記念日とは、84年前の1925年(大正14年)に、日本で最初にラジオ放送が行われたことに由来する。日本のラジオ放送の歴史が百年未満とは少し意外だ。何となくもっと長いという気がしていた。最初のラジオ電波は東京の芝に在ったNHK東京放送局からの試験放送によるものだった。 家にテレビが来たのは、僕が中学生の時だったと記憶する。僕ではなく妹が何かしたお祝いにと云う事で、父が教え子のやっていたオリオン電気という店から購入した。それまでは僕にとっては放送というのはラジオ放送でしかなかった。 ラジオの放送は良く局符号の名乗りを行った。これはコールサインといって、NHK名古屋のコールサインはJOCK。日本で最初にラジオ電波を飛ばしたNHK東京放送局のコールサインは、想像通りJOAKだ。そうなると、JOBKは大阪放送局だなと思ったらその通りだった。この3局は全て同じ大正14年の開局だ。今ではコールサインなどに注意を払う人も少ないだろうが、昔は「こちらはJOCK。NHK名古屋放送局です。」でその日の放送が終了し、テレビの場合には君が代の演奏と共に日の丸の旗が翻ったように記憶する。 さて、となるとJODKは何処だろうと思ったら、福岡でも札幌でもなく朝鮮のNHK京城放送局のコールサインだったそうだ。JOEKは欠番だそうだが、これはやはり当時朝鮮と並んで日本の統治領であった台湾のために取ってあったのかもしれない。更には、JOFK 広島、JOGK 熊本、JOHK 仙台、JOIK 札幌、JOJK 金沢、JOKK 岡山、JOLK 福岡と続いて、JOZK 松山まで至る。途中JOMK、JOWK、JOYKは何故だか欠番である。 これら22局の設置は松山を除き、1930年代の始めまでに完了している。一番遅い松山放送局でも1941年だ。この時代、日本は軍部主導の下で来るべき戦争に向けて突き進んでいた。その中での放送網の整備は、庶民にとっては娯楽が増えるという楽しみを以って迎えられたが、国にとっては軍事的な急務だったのだろう。 今日行われた東京マラソンも、首都有事の際の広域交通規制実施のための予行演習だという話もある。世の中の事は中々額面どおりにとっているだけには行かないのである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009.03.23 13:46:48
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