カテゴリ:日ノ本は言霊の幸はう国
◇ 5月23日(土曜日); 旧四月二十九日 戊辰(つちのえ たつ): 友引
昭和館へ行って来た。 昭和館は九段下の交差点のお濠側の角に在る。 直ぐ傍には旧軍人会館で、2.26事件の時には戒厳司令部としても使われた九段会館がある。この辺のお濠は牛ヶ淵と呼ばれ、東の千鳥ヶ淵ほど有名ではない(千鳥ヶ淵には改修された遊歩道があるが、牛ヶ淵には無い。つまり二人で腕を組んで桜を見ながらそぞろ歩きが牛ヶ淵では出来ない。)けれど、春には桜の名所でもある。 九段坂を挟んで向かい側には靖国神社の境内が広がり、地下鉄の出口から少し九段坂を登れば江戸城の田安門だ。田安門をくぐれば日本武道館もある。 直ぐ傍の九段会館が昭和レトロ風の建物であるのに対して、この昭和館は灰色の歪な茶筒のような形をしている。「チェルノブイリ型の原子炉のようだ」という形容もあるらしい。云われてみれば窓の無い7階建ての「原子炉」は、九段会館との対比が強すぎて少し不気味だ。 僕は九段下界隈には以前から随分何度も訪れる機会があって、この建物があることも、それが昭和館という名前である事も知ってはいたが、中に入る機会はついぞなかった。忙しく目的地に向かう途中であるのが殆どだった事もあるが、昭和館という名前にある種の先入観を持ってもいたのだ。 だって、直ぐ隣が旧軍人会館で、通りの向こう側が靖国神社だ。そんな場所に窓の一つもない「昭和館」という建物があるのだから、これは何となく右翼っぽい、国粋主義の殿堂であるような感じがして、足を踏み入れるのが躊躇われたのも無理はないと思う。 昭和館の中は7階に分かれており、最上階の7階と6階が常設展示スペースになっている。7階は昭和10年代から敗戦まで、6階は敗戦から昭和30年代までの展示物が置かれている。主に当時の庶民の生活道具や当時の子供たちに関する物品が展示物として選ばれている。 僕は勿論戦後に生まれた立派な「アプレゲール」だが、展示物の中に卓袱台や蝿帖、それにストローの付いたブリキ製の霧吹きなどを見つけると、「こういうの、有ったあった!」と無性に懐かしくなる。木製の洗濯盥や蛇腹模様の刻まれた洗濯板を母が使っていたことも思い出す。第一「アプレゲール」という、今や死語を覚えているのだからしょうがない。 コーナー毎にはテレビが置いてあって、当時のニュース映画を観る事ができるようになっている。あの時代の事だ、殆どが「息子が名誉の出征をしてお婆さん一人になった蕎麦屋を手伝う小国民たち」とか、「機関車や自動車の運転を習い、銃後の物資輸送に貢献する娘たち」、「食糧増産に奮闘する農村を慰問する報国文化隊」とか、つまりは銃後の庶民を励まし鼓舞する内容のものばかりだ。この点は靖国神社にある遊就館とはテーマの置き所が異なる。展示物にも千人針があるくらいで、武器や兵器の展示や前線での戦闘の写真などはない。 それにしても、ニュース映画で観る子供たちの顔つきは純粋で明るいのが強く印象に残った。総じて血色が良いし(無論カラーではなくモノクロの映像だけど、血色の良し悪しくらいはモノクロでも分かる)、何より目がキラキラしている。幾ら宣伝のためとはいえ、そういう子供たちばかり選抜して撮ったのだとは思えない。 良くも悪くも、あの頃は皆信じるものがあり、そのために一生懸命だったのだろう。今あの子達と同年齢の子供を映したら、恐らくもっと暗いひねくれた雰囲気の映像しか出来ないだろうなと思う。 あぁいうニュース映画は何となく今の北朝鮮の宣伝映画やテレビ映像を思い出させる。しかし、けんか腰に唾を飛ばしながら喋ったり、少年少女の無理笑いが鼻に付く北朝鮮のフィルムに較べると、日本の方がはるかに穏やかで柔らかい。この点はやはり日本人の国際的な弱さなのかもしれないとも思う。 一つ一つ丁寧に観ていくと結構見甲斐がある。途中で疲れてしまい、又来ようということにして外に出た。何しろ館内には休憩所も喫茶室も無いのだ。この次には6階の展示を中心に見てみようと思う。 昭和館は常設展示の7階と6階だけが有料で、5階以下の映像・音響室や図書室などは無料になっている。常設展示室への入場料は300円である。これは廉いと思うな。 もう少し上手くプロモーションすれば、多くの中高年にはファンが出来て、入場者も増えるのだろう。 因みに、此処は国営の施設で、今の建物は10年前の平成11年に出来たのだそうだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009.05.24 08:48:39
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