カテゴリ:日ノ本は言霊の幸はう国
◇ 6月13日(土曜日); 旧五月二十一日 己丑(つちのと うし): 先勝
五月下旬に足立区の公園に「蚊の羽音」のする装置が設置されたというニュースがあった。年寄りには聞こえない、若者だけに聞こえる厭な音を出すので、若者たちが夜中の公園にたむろして騒ぐのを防ぐためだという。 これを知って先ず「なにそれ!?」と思い、続いてひどく厭な気分になった。 先ずこれは、生物の機能特性を利用して相手に干渉しようとするものだ。だから個人としては抵抗する事ができない。 この装置が追い払うのは、人の迷惑を意に介さない、或いはそれを楽しんだりする若者だけではない。たまたま通りがかった若者や、例えば失恋の痛手を癒そうと散策したり、公園で哲学的な思索にふけろうとする若者にも、区別無く厭な音を聞かせて追い出すことになる。 こういうのはバイオバリアーの一種で、柵や檻のない動物園に使用されているものと同根だ。動物園のそれは動物を閉じ込めるが、この装置は「動物」を排除するところが異なる。 又、人間を個として捉えず、ある年齢の集団としてしか捉えない。そしてその集団に属するものを無差別に排除しようとする。これは大げさに云えば無差別大量破壊兵器や、生物・化学兵器と同じ思想が背景にあるではないか。 もう一つは強者が弱者を駆逐するという自然界の大原則に反する。 加齢によって可聴音の範囲が狭くなってくるのは、生きものとしての人間の持つ宿命である。若い時には低い音も高い音も良く聞こえるが、歳をとっていくとどちらも聞こえづらくなる。僕なども亡き母の晩年には普通に話す声(僕の声は中々素敵なバリトンなのです。新宿二丁目のカラオケの店では「二丁目のペリー・コモ」だなんていわれたりして・・・。)だと聞こえにくいというので、母と話す時には一オクターブ上げて話すようにしていたものだ。 同様に足腰も弱くなり、腰も膝も痛くなる。頭の働きも鈍くなって、昨日の夕飯に何を食べたか思い出すのにも苦労するし、テレビで観るタレントの名前や、ひどい時は知人の名前までも忘れてしまう。 こういうのは生物としては弱者であり、従って高齢者・障害者福祉の対象になり、宿や公共施設にはスロープが作られ、駅にはエレベーターが設置され、バスや電車の料金は廉くなり、・・・要するに保護される立場になる。 そういうハンディキャップを逆手にとって、「年寄りには聞こえない音」で健常なる聴覚を持つ若者に対抗しようとするのは、確かに理屈は通っているけれども、どうにも不健全で姑息な感じがする。 要するにこの「若者撃退装置」の背景には、ユーモアとかウィットというものが全く感じられないのだ。その代わりに「年寄り臭い底意地の悪さ」を感じてしまう。これを考えた足立区のお役人(だと思うが)は、どなただか知らないが、先ず定年間近の出世には最早縁の無い暗ぁーい性格の人じゃないだろうか?(間違っていたらごめんなさい。) この装置の背景にあるのは、イグ・ノーベル賞(「人を笑わせてくれて、考えさせてくれる研究」というのを受賞条件とする。第一回は1991年。)を受賞した技術で、欧米では学生の携帯電話の着信音として使用され人気があるのだそうだ。授業中や講義中に携帯電話に着信があっても、教壇の先生(無論学生よりは年寄りだ)には聞こえないから、携帯電話は講義中でも使い放題。先生に叱られることは無い。ま、これもちょっとユーモアやウィットとは云えないけれど、でも何となく他愛なくてニヤッとは出来る。 足立区の公園の場合、排除したい或いは猛省を促したい対象は「若者」ではなく、本来静かであるべき夜の公園にたむろして騒ぐ若者や、トイレなどを汚したり壊したりする若者であるのだから、例えば要所々にマイクを設置して、騒音がひどくなったり破壊音を検知したら「加齢臭の素」を音源の若者に向かってスプレーしたらどうか? こういう仕掛けなら少しは笑えるかもしれない。年寄りの若者に対する鬱憤を晴らすよすがにもなるだろう。 しかし、考えてみれば公園で迷惑行為をするのは若者だけではない。オジサンが酔っ払って騒ぐ場合だってあるし、オバサンが子供をダシにたむろして大声で話をしているのも(オバサンの場合夜ではないが)僕などは極めて不愉快だ。最近は酔っ払って全裸になるという、ちょっと興味をそそられる人だっている。こうなると蚊の羽音でも加齢臭スプレーでも有効な対抗策にはならない。 つまりは、本来は「諭す」という事だろう。 諭すためには相手に対して自分自身を露出し、相手の非行に対峙しなければならない。 それに対して、機械的な対抗策を用いて問答無用に「厭なもの」を排除するシステムは、相手に対して自分自身を露出しなくて済む。自分はあくまで匿名という安全圏にいられる。 もっといえば、自分自身は安全圏に身を置いたまま、我関せずでいたい。その代わりに機械や公権力に厭なことはやらせる。 「それは役所の責任でしょう!義務でしょう!それをやるのが役人の仕事でしょう!」という姿勢なのだ。この「役所」は、例えば「政治」や「教育」に、「役人」は「政治家」や「教師」に置き換えることも出来る。 足立区のニュースが厭な感じを僕にもたらしたのは、実はこういうやり口が今の社会や庶民の風潮の縮図であるように感じたからだと思う。 -------------- 何しろローカルなニュースなので、ご存知ない方のために下記にてこのニュースの要点を掲げておく事にしよう。 5月21日、東京都足立区の北鹿浜公園に、不快な音で若者を遠ざける「高周波音発生装置」が試験的に設置された。この公園では若者が騒音を出したり、トイレを壊したりする被害が相次ぎ、昨年度は三百万円以上の補修費がかかったという。この装置は英国製で、加齢とともに高周波数の音が聞こえにくくなる性質を利用する。十代から二十代前半には聞こえる17・6キロヘルツの高周波音を発生し、周辺30~40メートルの範囲で、「キーン」という蚊が飛ぶような音(モスキート音)を流すと、若者を近づけない効果があるという。試験運用は来年三月までで、毎日深夜から未明まで実施するのだそうだ。 このモスキート音は「教師に聞こえない」と、携帯電話の着信音として欧米の学生に人気を博し、開発した英国人研究者は2006年、ユーモアがあり意義深い科学研究をたたえる「イグ・ノ-ベル賞」を受賞している。国内では一部コンビニエンスストアの駐車場や入り口などで使われているという。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009.06.16 11:45:35
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