カテゴリ:よもやま話
◇ 6月22日(月曜日); 旧五月三十日 丁酉(つちのえ いぬ): 仏滅
【時間つぶし:1】 龍の契り この土曜日曜はわりと怠惰に過ごしてしまった。 怠惰にというのは、つまり小説を読んだりテレビを観たりして過ごしたということだ。 小説は香港返還の際の色々をテーマにしたものだ。 あの頃、僕は香港に行く用事が何度かあって、返還直前と直後にも訪港した事がある。 それまでの知人や友人がどんどん香港から居なくなって、消息を聞いたら「アイツはシドニーに行ったよ」とか、「あの人はカナダに移ったよ」とか、そんな話ばかり聞いた。 それで、「これじゃぁ香港は火が消えたように寂しくなってしまうかも」と思っていた。 人工的に造成された資本主義のメッカのようなあの小さな地域には、ヨーロッパと、大阪と、昔ながらの(と我々が勝手に思っている)中国が、表通りと裏通り、ビルの外と中、島と半島にそれぞれモザイクのように入り組んでいて、圧倒されるような猥雑さと活気があった。 どうしても国際的にはナィーブなとしか言えない、僕のような平均的な日本人からすれば、のべつに東洋人としてのアイデンティティを詰問されているようで、又スマートに欧米化したような気分になっている自分の甘さを突きつけられるようなところがあった。 香港には、「嫌いだけど、好き」という微妙に軟弱な気分を抱いていた。「香港はアジアの宝石」には異論がなかったけれど、それはダイアモンドとかサファイア、ルビーなどというものではなく、玉髄、つまり様々な色彩の交錯する瑪瑙であった。その瑪瑙は微かに八角の香りがしていたのだ。 そういう香港は「赤尾の豆単」みたいな手帳を振りかざし、カーキ色の詰襟服を着こんでひたすら邁進する、眦を決した青年たちのイメージとは到底相容れぬものだと思っていた。 ところが返還直後に行ったら拍子抜けした。空港には詰襟服がいたし、ワンチャイだかネイザンロードだかの地味な建物に五星紅旗が翻っていたがそれだけの事で、それ以外は特段の変化も(少なくとも外見上は)なく、香港は相変わらずの香港に見えた。 香港のその後はともかくとして、服部真澄の「龍の契り」は、丁度その頃の香港を巡る各国の思惑の錯綜を題材とした、いわば国際謀略小説だ。 アヘン戦争の結果香港は大英帝国に租借されるが、何故その租借期間が99年という半端な長さになったのか。英国は香港を単なる東アジアの荒蕪地から、資本主義経済中心にまで、金を惜しみなくつぎ込んで大事に育て上げてきたが、その背景には一体何者のどういう意図があったのか。サッチャー首相の訪中の際、当時の大方の予想を裏切って、何故そんなにまでして育ててきた香港の返還をすんなり受け入れてしまったのか。 こういった背景に様々な国の様々な人間が様々な行動を展開していく。 ある勢力による日本バッシングの話も出てくる。海外に端を発した金融不安と不況・株安、そして歩調を合わせて進展する急激な円高。これなど世紀末のころの話だけではなく、今現在も我々が直面する現実である。この小説を読むと、現在でもその「ある勢力」が暗躍しているのではないかという気がして来る。 この小説は、国際謀略小説とは言っても、マッチョな連中が入り乱れるようなものではない。 登場人物それぞれが、愛国、憂国の情を胸に置いているというウェットな側面も持っている。 作者の服部真澄の作品は他には知らないが、僕は普通の読者以上の思い入れを以って読んだ。 しかし自分の思い入れを除いても、充分に読み応えのある物語だと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009.06.25 11:58:59
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