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◇ 7月6日(月曜日) その2: 東京入谷朝顔市
選挙とか政治の話ばかりを書いていると、何となく身が穢れてくるようで気持が悪い。 今日は入谷の朝顔市の初日だ。しかし、折柄の雨模様で空は剣呑な様子なので残念だが、それでも朝から賑わっているらしい。そのアサガオの話を書いてみる。 アサガオは子供の頃毎年育てていた。春になると種を貰ったり、買ってきたりして庭先の土をほじくり返し、板塀の表側に沿って播いた。播くのは必ず塀の表側。つまりアサガオは家内ではなく、通りすがりの人に観てもらう花だったのだ。前の年に集めて取っておいた自家の種を播く事もあった。 アサガオの花は牽牛花、その種は牽牛子(「けんごし」と読む)といって薬として用いられた。アサガオは日本の原産ではなく、遣唐使が持ち帰ったといわれる中国産の薬用植物だったのだ。種を乾燥させたり、炒ったり焼いたりして粉末にして、下剤や利尿剤として用いられる。中々薬効に優れ、従って人気のある生薬だったそうだ。 夏になると塀沿いに張った紐につるを絡ませたアサガオは葉を茂らせ、毎朝沢山の花を咲かせた。朝ラジオ体操に行く頃元気に咲き競っていた花は、昼過ぎにはもう萎れ、やがておちょぼ口のようにすぼまってしまう。 アサガオの花は赤、白、青、紺、斑入りなど色々なものがあるが、これは品種改良の結果作られたもので、原種は青色の花のみであったそうだ。 昔の陶製小便器は、その形からアサガオとも呼ばれていたが、東京のさるすき焼き屋のトイレにも「急ぐとも心静かに手を添えて、外に漏らすな朝顔の露」などと貼り紙がしてあった。 虫に噛まれたり刺されたりした時には、アサガオの葉っぱをむしって揉み潰したのを摺り込むと 痒みや腫れもとれるのは祖母に教わった知恵だ。 そのアサガオを商うのが朝顔市だ。朝顔市は全国で開かれているが、入谷のそれは特に有名だ。これは明治の中頃まで遡る事が出来るそうだ。当時の入谷は東京の北の郊外で都心からのアクセスが良かったのと、すぐ近くの上野のお山で出来る腐葉土がアサガオの栽培に良かったというのがあるらしい。色々変わった形や色の変種アサガオが話題を集めたようだが、その後廃れてしまった。 戦後、荒廃した人の心を癒すためにと復活され、現在の朝顔市になった。昭和23年の事だそうだ。アサガオを牽牛花というのに因んで、七夕を挟んだ三日間開催される。 東京では色々な行事は律儀にも新暦で行われるが、七夕も同様だ。従って未だこの頃は露地のアサガオは花を付ける時期ではないので、朝顔市に花を出す人達はハウス栽培するなど、苦労をなさっているそうだ。 やはり、自然に因む行事は旧暦で行うべきで、旧暦の七夕(今年は8月26日)はアサガオの花繚乱の頃だ。 俳句では朝顔はやはり秋の季語である。 漱石も朝顔の句を12首読んでいる。彼は「朝貌」と例によって彼の発明になる(と思う)当て字を使っている。その中から僕が勝手に気に入ったものを、年代順に適当に選んで掲げておく。句を詠んだ時の漱石の満年齢も掲げておく。 朝貌に好かれそうなる竹垣根 (24歳) 手をやらぬ朝貌のびて哀なり (29歳) 朝貌の葉影に猫の目玉かな (38歳) 朝貌や惚れた女も二三日 (40歳) 朝貌や鳴海絞を朝のうち (44歳) 朝貌にまつはられてや芒の穂 (49歳=最晩年) 尚、漱石29歳の句に、「朝貌の黄なるが咲くと申し来ぬ」というのがある。 アサガオの花の色で極めて珍しいのは黄色と黒色で、江戸時代文政期でこれが作られたという記録があるそうだが、その後は「幻の朝顔」と呼ばれて、未だに園芸家の夢とされているらしい。漱石の時代に黄色のアサガオが再現されたという記録は無いようだから、誰かが「黄色っぽいアサガオ」の話を聞き込んで、新し物好きの漱石先生にご注進に及んだのだろう。 29歳の漱石は熊本第五高等学校の教師をしていたから、東京ではなく熊本での話だろうと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009.07.06 18:15:19
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