カテゴリ:よもやま話
◇ 7月16日(木曜日) 旧五月二十四日 壬戌(みずのえ いぬ) 仏滅; 盆送り火、薮入り
今日は新暦では盆の送り火。 お迎えしていた先祖の霊の皆様には、ご機嫌よくとっとと冥土に旅立って貰おうというので、軒先に改めて送り火を焚いてお送りする。 暦ではこの日は薮入りでもあった。 昔は、士分でない家の子供たちは小さい頃から働きに出された。これはお金を稼ぐというよりは、口減らしと云う形で生家の経済状態に貢献させたのだ。 勤務形態は住み込みで無給である。 しかし、衣食住に掛かる費用は雇用側の負担だったから、実家の側からすれば、経済的には大いに助かったのだ。これを関東では小僧、関西では丁稚と呼んだ。 昨日まで親に甘え、近所で遊び呆けていた十歳になるやならずのチビが、いきなり親元から離され、大人たちや先輩に混じって暮らす。その中で規律、礼儀、そして行儀や言葉遣いまで叩き込まれ、必要に応じて読み書きそろばんまで、商いに関する教育も実地で施される。 要するに全寮制の社会・職業訓練学校のようなものだ。教育や人格育成と云う意味では今より却って良かったのかも知れない。 小僧は十年ほど経つと手代という立場に出世する。今で言えば係長から課長クラスなのかもしれない。しかし手代も住み込みのままだった。 その後お互いにしのぎを削って番頭に出世して、ここで初めて住み込みでない通勤が認められる。給与もでるようになる。通い番頭という。番頭になると結婚も許されるようになったそうだ。そして更に実力を認められれば、暖簾分けといって独立が可能になった。 これが当時の民草の世界でのキャリアプランだったのだ。 昔の職場は今とは違い年中無休の勤務形態だった。それが、正月と七月の十六日と、年に二日だけ公休が与えられる。この日には主人側でプールしておいた形の「働き賃」を持たせてやった。だから小さい小僧ほど、喜び勇んで懐かしい実家の親元に飛んで帰った事だろう。 子供もそうだが、親の方がむしろ子供との再会を心待ちにしていた。 成長の早い次期だ、半年前とは見違えるように大きくなって、挨拶も言葉遣いも大人びてきている。 薮入りで帰ってくる子供を今か今かと待ちながら、あそこへ連れて行ってやろう、あれも食べさせてやろうと色々考える親の様子は、落語の「薮入り」にも描かれている。 薮入りは親元へ宿帰りするという意味から、「宿入り」が訛ったのだろうとも言われている。 薮入りの日は賽日である。これは呉音で「さいにち」と読む。賽日も従って正月と七月の十六日で、年に二回ある。 この日は閻魔賽日といって、地獄の釜の蓋が開く日だそうだ。何やら恐ろしげだが、実は地獄の休日なのだ。地獄でずっと煮えたぎってきた釜の蓋を開けて火を落とし、閻魔様も鬼もお休みをする日なのだそうだ。亡者はお盆で帰省なさっているから、送り火に送られ馬や舟に乗って戻ってくるまでは地獄も閑古鳥なのである。お客が居なければこの機にお休みしてしまおうというのは、地獄でも同じらしい。 賽日には閻魔堂にお詣りして十王図や地獄相変図を拝んだりしたそうだが、今はどうだろうか? あの世よりこの世の方が地獄だといえるからと、このご時勢ではもうそんなしきたりは廃れてしまったかもしれない。 「地獄の釜の蓋」という凄まじい名前の草がある。名前に反して春に可憐な青色の花を咲かせる。しそ科の草だが、花には罪はないのに可哀相な名前を付けたものだ。花や木の名前には、時々命名者の意図や心根を疑いたくなるようなものがある。 薮入りも同様に、もう言葉としても死につつある。 今では、猛暑の中汗まみれであくせく働く父親を尻目に、年中休日みたいな豚児共は親の金を使って遊びまわる。嗚呼。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009.07.17 11:23:56
コメント(0) | コメントを書く
[よもやま話] カテゴリの最新記事
|