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マックの文弊録

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2009.08.06
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カテゴリ:小言こうべえ
◇ 8月6日(木曜日) 旧六月十六日 癸未(みずのと ひつじ) 先負: 望、広島平和記念日、山形花笠祭、秋田竿灯

今日は「原爆の日」。広島に原爆が投下されたのは、64年前の今日の出来事だ。
広島市長は今日の演説の中で、オバマ大統領の「非核演説」への支持を表明する部分を英語で行った。その中で、オバマ大統領の支持者であるという意味で、Obamajorityという言葉を使っていた。これはもう広く認知された言葉なのだろうか?知らなかった!長崎でも、今秋に予定されているオバマ大統領の来日の際に、是非長崎に来て欲しいと署名を集める活動が始まっているそうだ。

オバマ大統領はわが国ではなく米国の元首だ。
日本のトップを差し置いて、アメリカの大統領を賞賛し、是非会いたいと民草に思わせ、署名活動まで起こってしまうのは、情けない話だ。我が国民は麻生さんだろうが由紀夫さんだろうが、こういう場面になると念頭には浮かばないのだ。

オバマ大統領の件の演説は、今年の4月5日にチェコの首都プラハで行われた。核兵器の廃絶に向けての行動決意を示すと共に、化石燃料依存からの脱却なども語られた。その一部に以下の表現がある。
Just as we stood for freedom in the 20th century, we must stand together for the right of people everywhere to live free from fear in the 21st century. (Applause.) And as nuclear power –- as a nuclear power, as the only nuclear power to have used a nuclear weapon, the United States has a moral responsibility to act. We cannot succeed in this endeavor alone, but we can lead it, we can start it.
これは中々感動的な表現で力強い。特に赤字でハイライトした部分では、「唯一の核兵器を使用した国として米国には道義的な責任がある」と明言している。
無論、こういう演説の常として、一人称単数は使われていない。主語はWeだ。
また、あくまでも「道義的責任」であって、広島や長崎の非戦闘員を核爆弾によって大量殺害した事への謝罪でも反省でもない。その点を論難することは易しい。

しかし、日本の政治家ならこういう時どうか?
先ずは、具体的な事は何も言わないだろう。「両国間に不幸な時代があった」とか「大変な迷惑をかけた」などと言うだろう。
又、「極めて遺憾に思います」などと言って「謝罪」の意味だとするだろう。この点オバマさんの演説に注意して欲しい。彼は「moral responsibility to act」と言っているのだ。抽象的な責任を感じるだけではなく、「実際に行動しなければならない。その責任が合衆国にはあるのだ。」と言い切る。この点わが国のリーダー達とはエライ違いだ。
オバマさんは同じ演説の中で、「Words must mean something」とも言っている。その通り!
「遺憾に思います」などと言えば、「So what?」と言われるだろう。我々自身も「遺憾」という熟語を日本の政治家の口から聞けば、「私自身には悪いところは無いのですよ。でも残念だとは思いますし、何とかしなければなりませんなぁ。」と翻訳して聞くようになってしまっている。

麻生さんは広島での原爆の日の式典の後、またおっしゃってしまった。
「日本にはアメリカの核の傘が必要。だって、核兵器なんてものは、ある日突然『はい止めましょう』といって無くなる訳のものじゃないでしょう。」
又、「(オバマ大統領の訪日の際に)何処に行って誰に会うかは、政府間で決めること。マスコミを通じてあれこれ云うことではない。」

麻生さんは重ね重ね正直な人だ。
とは思うけれど、一国の指導者として、又更に継続して政権を担おうと果敢に遊説をなさっている次期リーダー候補としては、如何にもお粗末ではありませんかね。

「核兵器は一朝一夕に廃絶できるものではない。世界には志を異にする国、ルールに従わない国やテロリストなどの勢力がある。核物質や核兵器そのものの闇市場も存在する。現実がそうある以上、わが国も安全保障上、それに対抗する手段を持たなければならない。つまり、わが国も核の傘を通じて、アメリカとの同盟関係を維持する必要が現実としてある。しかし、その間でも我々は世界唯一の被爆国として、あくまでも核廃絶に向けて努力し、行動しなければならない。そして自民党は具体的に・・・」くらいの事はおっしゃっていただきたかった。(別にこれは僕自身の意見ではありません。自民党だったらこう言うべきだろうと思うのです。)
実際オバマさんのプラハ演説の中でも、こういう主旨の発言がある。だけど彼は「We can change it!」、「We can do it!」というのだ。

政治家は言葉だけではないけれど、政治家の言葉は重要だ。言葉に力があるかどうか、その辺を麻生さんも由紀夫さんも自覚なさったほうが良い。

クリントンさんが北朝鮮に行って、拘束されていた二人の女性を連れ帰ってきた。
これも色々な議論はあるだろう。二人の勤め先が同じ民主党のゴア元副大統領の会社であった。ゴアさんが北朝鮮に断られたから、クリントンさんにお鉢が回ったのだ。そのウラには北朝鮮の思惑が・・・。だから・・・とか。言い出せばきりがないし、そういう議論の、ある部分は真実だろう。

しかし、これを日本に置き換えてみるとどうだろう。
日本の拉致被害者は二人どころではない。それに拉致期間もアメリカの二人の記者とは比較にならない。アメリカの二人の記者は、一応取材に際して越境などの違反が有ったとされている。しかし、日本の拉致被害者は、訳も分からぬ内にいきなり暴力的に、しかも日本の領土から連れ去られたのだ。
日本政府は、日本の政治家は、今までわが身を挺して「敵地」に乗り込み、同胞の救出のために行動したことがあっただろうか?

クリントンさんの北朝鮮訪問は、我々民草には電撃的ではあったが、事前に六カ国協議の関係国には打診と通知があったそうだ。無論日本にも事前の連絡があった事になる。その時誰も、「それじゃぁ私も行きます。私も直接邦人の救出のために行動します。」と言わなかったのだろうか。言わなかっただろうなぁ。
せいぜい「日本の拉致被害者の解放に付いても、クリントンさんから何か言ってください。頼みます。」位のことだろう。

僕が記憶する限り、日本の政治家が身を挺して邦人の救出にあたったのは「よど号事件」の時だけだ。もう39年も前のことだ。

クリントンさんが連れ帰った二人は、共にアジア系で女性だった。
「人種や出自を問わず、合衆国民であればそのために政治家は身を挺する。」そういうメッセージがこの解放劇を通じて、米国民のみならず世界に伝わっただろうなと、強い印象を受けた。それに引き換え・・・。


さてさて、本当はこの稿では昨日に続けて、今度の選挙に向けて盛り上がっている「地方分権」や「道州制」の議論に付いて私見を述べる積りだったが、もう既に充分な文章量になってしまった。
そこで、昨日アップしたリストの中の「財政力指数」に付いてだけ、ちょっとコメントして、後は又他日に送ることにする。

財政力指数とは、ある行政上の単位地域に対して、家計で言えばその支出額に対する収入額の比である。この指数が1.0を上回れば、その地域の財政は黒字である。つまりその地域は経済的に自立できていることになる。
1.0未満であれば、赤字。つまりどこかから借金するか、援助を受けないとやりくりが出来ない。例えば島根県や高知県は財政力指数が0.2である。これは、県の財政を自前で維持できているのは、支出全体の20%だけで、残りの80%は自分では賄えていないということだ。

リストを見ると東京都の指数は1.32、愛知県は1.02で、この二つのみが「自分自身で自分の台所を賄えている」事になる。残りの45道府県は全て赤字だ。
財政の「自給率」が50%未満の自治体は全国で29にものぼる。これは、「支出の半分以下しか自給できていない自治体は全国の約62%」と云うことだ。

財政力指数が1.0未満の自治体は「地方交付税交付金」の交付団体になる。つまり、「国からの紐」がつく。そうなると、東京都と愛知県以外は全部国の紐の下で生きているということになる。

ここで、財政力指数は過去3年間の平均として毎年算出される。
僕が昨日掲げたリストは、昨年発表された数字を渉猟して記載してある。
愛知県は今年の数値では1.0を下回り、従って交付団体に転落したそうだ。これは「トヨタ不況」の所為であるのは明らかだ。従って、今や財政的に「自立できる自治体」は東京都のみと云うことになる。

もう一つ。
都道府県のくくりで財政力指数を見て、全体として黒字だ赤字だというのはいささか早計である。
もう一段下位の市町村のレベルで見ると、同じ県の中でも随分ばらつきがある。ある市は財政力指数が1.0を上回る「リッチ」な市なのに、同じ件の別の市は赤字に苦しんでいるということが、実際には普通にある。つまり財政力指数は市の単位で見ればモザイク模様になっているのだ。

更に。
都道府県単位で見ると、財政力指数は首都圏・関東地区で圧倒的に高く、次いで東海四県、関西の二地域に「まぁまぁレベル」が集中している。
昨日のブログを読んでいただいた方がおっしゃっていた。
「これじゃぁ、東京に核攻撃があるか、或いは関東・東海大地震が来れば、日本は壊滅ですな。」
リストを見てみるとなるほどその通り。
「アメリカの核の傘」に入っていたって、こんな事じゃ日本の防衛上こっちの方がもっと問題だ。

つまり、
圧倒的多数の自治体が財政的に自立できず、国の紐付きの状態にある。
赤字自治体の中でも、黒字の市町村がモザイク上に存在している。
自治体の首長の選挙は、国政のそれとは違い直接選挙である。

そういった事を踏まえ、その上で地方分権や道州制の是非、またその方法論を考えていかないと、どうもだめだ。
石原東京都知事が地方分権に対して静かなのは何故か。
道州制導入に積極的なのが大阪の橋本知事なのはどうしてか?
その辺も考えてみる必要がある。

地方分権は最近選挙に向けて色々取り沙汰されるようになったが、これは「国の責任放棄」や、自治体同士の「現代版国盗り物語」になってしまってはまずいと思うのだ。





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最終更新日  2009.08.06 17:09:22
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