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マックの文弊録

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2009.08.07
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カテゴリ:よもやま話
◇ 8月7日(金曜日) 旧六月十七日 癸未(きのえ さる) 仏滅: 立秋、鼻の日、仙台七夕

暫く総選挙に向けての話ばっかり書いてきたので、少しお休み。

今日は立秋。毎年この日になると、ニュースでも「もう早暦の上では秋になってしまいましたねぇ」などと殊更がましく言われる。暑中見舞いも立秋以降は残暑お見舞いになる。

しかし、誰しもそうだろうけれど、どうもこれは実感にはそぐわない。
今年は東海近畿地方の梅雨明けも遅れ、気象庁から「梅雨明け」の言葉が出たのは未だほんの二日前の事だ。東北地方はもう梅雨明けしたのだっけ?
梅雨明けしたらもう秋だなんて、一体夏は何処へ行っちまったんだ!?

「立○」は二十四気の中で年に4回ある正節だ。秋とはとても思えぬ猛暑の最中に立秋の日がやって来るのと同様に、立冬はまだまだ秋の盛りだし、立春も春とは名ばかりで寒い。立夏も同じで五月晴れで新緑が眩しい頃である。それが実感だ。どうしてそうなんだろう。

二十四気の正節も中気も、黄道上の太陽の位置によって決められる。つまり二十四気は太陽暦である。立秋は太陽の黄径が135°の時。立冬は225°、立春は315°、立夏は45°と厳密に決まっている。

以前このブログに、太陽高度(日照の強さ)の影響は、約一ヵ月半遅れで地表の温度に反映される事を書いた。今年の夏至、つまり黄径が90°で、且つ太陽高度が最も大きくなる日は6月21日だったから、それから一ヵ月半(45日≒黄径差45°)というとちょうど立秋の時期になる。
言い換えると、立秋の頃こそが、一番地表温度が高くなる時期となるのだ。猛暑の盛りでとても秋などといえたものじゃない。

これは日本を含む東洋の暦の考え方によるのだ。
東洋では四季は「立○」から次の「立○」まで。そして四季のピークは「○至」と「○分」であるとされている。だから立秋になると「夏が終わり、秋の始まりとなる」と解されるのだ。

ところが、西洋の暦の考え方は東洋とは異なる。(「立○」も「○至」、「○分」も太陽黄径による「天文現象」なので、西洋と東洋で共通の暦日である。)
西洋では四季は「○至」か「○分」に始まり、季節のピークは「立○」だとされるのだ。従って立秋は夏のピークと云うことになり、こちらの方が実感には合っている。
言い換えると東洋の四季は西洋の四季より約一ヵ月半早いのだ。
この辺を絵にしてみたので、下記を参照されたい。
日本の四季
洋の東西でのこの違いは、どうも季節の感じ方の違いであるように思っている。東洋人は季節の移り変わりを「微分的」に捉えているのに対し、西洋人は「積分的」に捉えているのだろう。

別の言葉で言うと、東洋人は季節の「変化」に敏感で、西洋人は「実感」を重視するのだろう。

そうなると、わが国の詩歌が季節の兆しというものに非常に敏感なのも理解できる。
こういう民族の感性のようなものは、追及すればかなり面白いと思う。

西洋の四季
そう云えば、夜コオロギの鳴き初めを聞いた。
たった一匹ではあったが、確かにコオロギであった。
生き物は本来的に「微分知覚」に優れているのかもしれない。

今年は夏らしいカラッとした晴の日が未だやってこない。
連日どんよりした曇り空が続いたり、どす黒い雲の塊の間に晴れ間が覗き、急な驟雨がやって来たりという天気ばかりだ。
群青の空を背景に、純白の入道雲が天空の遥か高みにまで、もくもくと立ち上がる日が待ち遠しい。
このままでは梅雨模様の天気のまま、西洋の暦でも秋になってしまいそうだ。





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最終更新日  2009.08.08 16:07:42
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