カテゴリ:日ノ本は言霊の幸はう国
◇ 9月19日(土曜日) 旧八月朔日 丁卯(ひのと う) 友引: 新月、子規忌
今日は朔日。従って旧暦では七月が終わり、八月小の月が始まる。旧暦では八月は既に立派な秋だが、それが実感できるような天気が続いている。 今日は又子規忌でもある。正岡子規は慶応三年九月十七日(1867年10月14日)現在の松山市に生まれ、明治35年(1902年)の今日35歳の生涯を閉じた。 (付記:わが国で太陽暦が採用されたのは明治5年の11月9日以来の事だ。だから子規の誕生日の日付で九月というのは、旧暦での日付である。このブログでは以前から旧暦の月日は漢数字で、新暦のそれは洋数字で書くようにしている。) 閑話休題: 「イチョウの木って雄と雌が有るんでしょう?そうなると実をつけるためにはどうやってセ○○○するのかしら?」先日立川にある昭和記念公園に同行した女友達の質問だった。 『草木も眠る丑三つ時、イチョウの木だけは眼を覚まして、雄の木は周りが眠っているのを見定めてこっそりこれはと思う雌の木に近寄って行くんだ。そしてやおら・・・・・』 「ふぅーん。見たの?」 『いや、見たことない。草木も眠る丑三つ時なんだから、僕だって起きてなどいないよ。それに、人に見られている気配を感じるとイチョウの木も動かないのさ。』 「・・・・・」 昭和記念公園の入り口には見事な銀杏並木が続く。ここのイチョウの木には、秋になると実がなる。その数は実に多く、時分時になると実を拾いに来る人も大勢居る。実が落ちる時期にはあの独特の匂いが立ち込めることになる。黄葉した銀杏並木は実に見事だが、あの匂いにはいささか閉口させられる事になる。 イチョウは、大元は中国原産の高木で、針葉樹にも落葉樹にも分類されない原始的な裸子植物だ。雌雄異株であることも学校で教わる。 シダやコケなどの、より原始的な陸上植物は精子を放出する。精子を地上の水分の「海」を泳がせて受精させる。それに対してより高等な植物では、虫などに花粉を運ばせてめしべに付着させる。花粉はめしべの水分を利用して花粉管を延ばし、めしべの奥にある卵細胞を直接受精させる。 この両者の中間にあるのがイチョウで、イチョウの精子は明治29年(1896)に、東京帝国大学助手の平瀬作五郎によって発見された。 精子があるからといって、女友達が想像したようなことをイチョウがするわけは無い。そんなことになると、他に精子を持つ植物、例えばソテツなども同様と云うことになり、丑三つ時の林の中は落花狼藉、淫靡狂乱の世界になってしまう。・・・・ちょっと興味はあるけれど。 因みに、ソテツの精子を発見したのも日本人で池野成一郎という人だ。池野さんは東京帝国大学の助教授で平瀬さんの同僚でもあった。 実は、イチョウにも花粉があって、精子は花粉にくるまれて風で運ばれる。だから、分類上は風媒花といえる。イチョウの花粉は大量に散布され、風に乗って1km程度離れた雄株からでも飛散してくるという。 女友達に、改めてそう説明したら、「まったく!オトコってのはしょうがない生き物よねぇ。」と云われてしまった。 イチョウは銀杏と書く他に、公孫樹とも書く。これは銀杏の苗を植えた人の孫の時代になって、やっとその実が食べられるようになるからだそうだ。 これからギンナン(ギンナンも漢字で銀杏と書く)の新物が出回ってくる。茶碗蒸しに入れたり、殻炒りにしたり、串に刺して炭火で焼いたりなどして食べると、鮮やかな翡翠色にもっちりした食感、そして微かな独特の香りはいかにも秋の風味だ。僕は大好きだ。 ギンナンには薬効もあり。認知症の改善 、記憶改善、脳機能障害の改善、末梢循環障害の改善などが効能として報告されている。ギンナンを食べればボケ防止になり、頭も良くなる!? ただし、薬効が有れば当然ネガティブな効果もあり、食べ過ぎると頭痛や胃腸障害を起こす恐れがある。またギンナンには血液の凝固を促す成分も含まれており、糖尿病患者には余り勧めてはいけない。 八百屋や料理屋に出回るギンナンは、粒の大きい食用種である。昭和記念公園のイチョウは無論街路樹であって食用に植えてあるわけではない。従って実は料亭などでお目にかかるものより小さめだが、それでも拾っていく人が居るのだからちゃんと食べられるはずである。 とにかく、今この連休中は銀杏並木にギンナンが鈴なりになっているのを見る事が出来る。今のうちにめぼしい木にツバをつけておくのも良いかもしれない。 さて、昭和記念公園は昔の大日本帝国陸軍立川航空基地であった。 戦前には、この地に立川飛行機株式会社というのがあって、この飛行場で航空機の開発、研究を行ってきた。 当時「皇国紀元」というわが国独特の暦があって、この紀元2600年は1940年(昭和15年)であるとされた。 これを記念して、国威発揚の下心を秘めた様々な国際友好事業が企画されたが、その中に東京、ニューヨーク間1万5千キロをノンストップで飛べる長距離機を立川航空基地で開発し、米国を友好訪問するというのがあった。乗員5人で、当時としては信じられない航続距離を持つ飛行機で、成功すれば無着陸飛行の世界記録になったはずだが、太平洋戦争勃発のため中止になった。 立川飛行場は、大正から昭和初期にかけて国際空港としても活躍し、世界中から冒険飛行家が小型機で世界一周の途上または太平洋横断飛行の目的で飛来した。昭和8年(1933年)に国際空港が羽田飛行場に移転するまでは、この立川に北ヨーロッパ、ロシア、イタリア、アメリカなどの当時の珍しい航空機が多数着陸したそうだ。 太平洋戦争中を通じて、立川飛行場の工場では合計101機の戦闘機、229機の輸送機が生産され、陸軍の飛行連隊による帝都防衛の要衝でもあった。 敗戦後、昭和20年(1945年)9月13日に立川飛行場は進駐してきた米軍によって接収され、接収期間はその後1977年に返還されるまで32年間に及ぶ。 そしてその跡地は1983年、昭和天皇在位50年を記念して、国営昭和記念公園としてオープンしたのである。公園の立川口から入って件の銀杏並木を歩ききった先に、数人の親子がいままさに鳩を空に放とうという構図のブロンズ像があるが、これは開園に際して改めて平和を祈念して建てられたものだそうだ。 さすがに元飛行場だけあって、広大な園内を歩き尽くすには優に半日全部を費やす事になる。或いはお弁当を持って行けば丸一日ですら遊ぶ事ができる。(園内には食堂や売店もあるが) 今の季節、上に述べたようにギンナンの成り具合を見極めるほかに、「みんなの原っぱ」で寝転がってただボォーッと秋めいてきた青空を流れて行く雲を眺めているのも良い。原っぱの真ん中には思わず「♪この日何の木、気になる木♪」と唄いたくなるような木が植わっていて小さな木陰を提供してくれる。 又、公園北端にある「コスモスの丘」にコスモスが咲き揃うのは少し未だ先の事になるようだが、原っぱ北東の花畑には早咲きのコスモスが既に咲き始めている。未だ「ハッピーリング」という名の一種類だけだが、これから順に開花が進めば、色とりどりのコスモスの文字通り百花繚乱が楽しめるはずである。 とにかく、この連休中格安の高速道路を渋滞に巻き込まれながら地方に出かける人や、重い荷物を携えて海外に行く人も大勢いるらしいが、都心からごく近い所にも楽しめる場所はある。入園料400円はお得だと思う。 是非お勧めしたい場所の一つである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009.09.19 16:31:23
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