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マックの文弊録

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2009.10.04
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カテゴリ:よもやま話
◇ 10月4日(日曜日) 旧八月十六日 壬午(みずのえ うま) 大安: 望

昨日は旧暦の八月十五日、つまり昨日の夜は十五夜だった。
此方では空の大半は雲に覆われていたが、それでも月が昇ってくる夕刻には西空にも雲の切れ目がところどころにあって、十五夜のお月様は時折顔を出してくれた。

昨日NHKアーカイヴスという番組で、キューバ危機に関するドキュメンタリーの再放送を観た。
キューバ危機は1962年の10月のこと。昭和37年である

キューバ危機というと、ソビエトのフルシチョフ首相が覇権主義の野望にとらわれてアメリカ合衆国の裏庭と云われるキューバに核ミサイルを配備。時のケネディ大統領が、キューバの海上封鎖を実施し、一挙に核戦争の恐怖が広まった。それをケネディの苦悩の末の決断で回避した。
そういうイメージが僕の中には定着していた。ケネディは世界を救った英雄だと、それが「伝説」の基調だった。

ところがこのドキュメンタリーではそうではなく、フルシチョフのギリギリの決断で核弾頭とミサイルの撤去命令が出て、危機が回避されたのだという。

キューバは1902年以来軍人出身のバチスタによる独裁政治が続き、これに乗じた当時のアメリカ政府が不平等条約を強制して、結果としてバチスタ政権、アメリカ政府、アメリカ企業(特に精糖業)、マフィア(麻薬)の四者連合によって、キューバの富がアメリカに流れる仕組みが出来上がっていた。
これに反対した弁護士出身のフィデル・カストロがバチスタ政権に対する戦いを挑み、幾多の辛酸を経て1959年にバチスタを国外追放にした。

革命政権の首相に就任したカストロは、飢えた国民を救済するために、食料にならない砂糖キビの栽培から穀類の栽培へと農地改革に取り組む。そして、政治体制も社会主義へと転換する。つまりは、それまでキューバの利権を簒奪し放題だった合衆国に対して公然と楯突いたのだ。

眼と鼻の先のCash Cowの「裏切り」にあったアメリカは、革命によってアメリカに亡命したキューバ難民に密かに軍事訓練を施す。キューバ難民はバチスタ政権時代被っていた恩恵を革命によって失ったインテリや政治家、そして富裕階級など、革命政権に恨みを抱く人々が大半だったそうだ。
そして、アメリカは自国を表に出すことなく、革命政権を打倒するために亡命キューバ人による新造の武装勢力をキューバに送り込む。これが所謂ピッグズ湾事件である。

このピッグズ湾侵攻は惨めな失敗に終わり(アメリカは約束した援軍を送らなかったのだそうだ)、政権初期のケネディを手酷く痛めつける。そしてケネディ大統領はキューバ革命政権の打倒を公然と政策に掲げるのだ。そして様々な破壊活動と云う形で、これを実行していく。カストロの暗殺計画も、結局失敗したがこの時期にCIAによって実行されたのだそうだ。

カストロはこれに対抗しようとするも、国民は飢え、カネもなく進退窮まる。それでも諾々とアメリカに屈する事無く、アメリカの圧倒的な軍事力の前に抵抗して「玉砕」まで覚悟する。

ここにソビエト連邦が登場する。
折りしも東西冷戦の気運盛んな頃である。ところが核ミサイルの配備においてソ連は米国に圧倒的な遅れをとっていた。世界の社会主義国の盟主としてソ連としては何とかしてアメリカ合衆国に拮抗しなければならない。そこでキューバに目を付ける。何といってもキューバはアメリカの裏庭だ。そこに核ミサイルを配備すれば、アメリカにとっては未曾有の脅威になる。フルシチョフは「キューバをハリネズミにするのだ。アメリカがキューバを飲み込もうとすればエライ事になる。」といったそうだ。

カストロも核ミサイルを渇望した。核ミサイルさえあれば、アメリカも易々とキューバには手を出せない。「近くの国はわが国から全てを搾り取ろうとしている。そこに手を差し伸べてくれる国がある。私は1千発でも核ミサイルを配備してほしいと望んだ。」後年、カストロはそう述懐している。

以来キューバへの核ミサイル配備を急ぐソ連と、打倒キューバ革命政権を掲げるケネディ政権との暗闘が始まる。アメリカはキューバ上空に頻繁に偵察機を飛ばして威嚇偵察を実行する。キューバ軍はソ連よりの指示で迎撃を禁じられている。眼と鼻の先を半ば公然と飛行していく偵察機を目にしながらキューバは苛立ちを募らせる。

当時既に核兵器の使用に際しては「相互確証破壊」という考え方が有った。これは英語ではMutually Assured Destruction、略してMADという。つまり、一旦核兵器をぶっ放すと、相手方は生き残った基地から核による報復攻撃を行う。すると今度は別の側が又生き残った基地から核報復攻撃を行う・・・。その結果お互いに壊滅的な状態に陥るまで、歯止めの無い破壊が続くことになるという考え方である。まさにMADであるが、核保有国はそういう推移になることを熟知しているため、その故に核兵器は戦争の抑止力になるというのだ。
まことに危うい考え方だが、当時の米ソの首脳の頭にMADが有った事は事実である。

つまりフルシチョフがミサイル配備を督促・推進しながらも、キューバ軍による攻撃を禁じたのは、アメリカとの全面核戦争の引鉄を自らが引くのを畏れたことによる。
しかし、現場のカストロの苛立ちは募り、ついにキューバ軍はアメリカのU2偵察機を撃墜してしまう。
それ以前の偵察飛行により、アメリカは既にキューバにミサイル基地の建設が終わっていることを知っていたから、ケネディはカリブ海全域に渡る海上封鎖を発令する。同時に欧州のNATO軍と国内の米軍にも「デフコン2」を命令する。デフコンとはDefense Controlの略で、デフコン1になると最早現実の核戦争状態である。デフコン2はそれに次ぐレベルで、簡単に言えば米国とNATO軍全軍が臨戦態勢をとるということになる。
一方のフルシチョフは、ミサイルと核弾頭を海上輸送中の全ての艦船に対して直接命令を出し、「海上臨検中の米国艦船に停船を命じられたら、その時点で攻撃を受けたと看做せ。」と指示する。
所謂キューバ危機である。

この危機は、アメリカの偵察機がキューバにミサイル基地を発見した翌日の1962年10月15日から13日間続く。この間、アメリカ国民はもとより世界の人々は初めて現実の核戦争危機に直面し、尋常ならざる恐怖を味わったそうだ。アメリカ国内では缶詰や水などの買占め騒ぎも起こったという。ソビエトでもヨーロッパでも、人々は固唾を呑んで事態の推移を見守り、祈ったのだそうだ。

上にも述べたように、最終的にはフルシチョフの譲歩によってキューバ危機は一応回避され、従って我々は未だに生きている。
カストロは最終局面では全くつんぼ桟敷におかれ、自国の運命を大国間の頭越しのやりとりで決められたことに激怒し、核攻撃を声高に叫んだそうだ。実際には、U2偵察機による発見以前にキューバの核ミサイル(の少なくとも一部)は発射可能の状態になっており、発射しようとすれば出来たのだそうだ。そうなると、大陸間ミサイルの能力に劣るソ連は、ヨーロッパでの戦端を開くことを迫られ、第三次世界大戦が勃発することは避けられなかったという。

果たしてケネディが英雄だったのか、そうではないのか。
歴史は多面的なものだから、単純な善悪はいつまで経っても定めがたいところである。
しかし、僕としてはこのドキュメンタリーを観て幾つか印象に残ったことがある。

(1) 1962年というと僕は中学生か高校生だった筈である。しかし、キューバ危機の期間中の事は全く記憶にない。世界中の人が恐怖に怯えたというのに、これはどういうことであろうか?或いは日本では第三次世界大戦や核戦争の恐怖は真剣に、深刻に取り上げられなかったのであろうか?或いは僕だけが脳天気な少年だったのだろうか?

(2) 自国の利害や損益に係る事であっても、「自由と正義(と民主主義)のため」と大義名分に転換し、圧倒的な国力と軍事力を以って他国を事実上蹂躙していくのはアメリカ合衆国の本能のようなものである。「勝てば官軍」であるし、「歴史は勝者が創る」ものであるから、何れ何事も正当化できる。しかし、キューバ危機の後十年間にわたるベトナム戦争で大きな挫折を味わった。その後もイラク戦争への介入などでも痛い目を見たのに、基本的にその姿勢は大きくは変化しなかったように思える。それが、米国史上初の黒白混血のオバマ大統領の登場によって、変化し始めたように思うのだが・・・。そうであれば、今後の世界にはいささか希望が持てるようになったとも思えるが、果たして本当にそういえるのだろうか?

(3) キューバ危機でのキューバの立場は、北朝鮮の状況に非常に良く似ている。切羽詰った時に核というカードを求めるのは、かの国においても全く同じだ。今度は世界は、これに対して上手く対処出来るのだろうか?

(4) 時のケネディ政権の枢要な位置を占めた人間たちは、皆若く才気に溢れ理想と希望(そして野望でもあるが)に燃えた者ばかりであった。ケネディ大統領は45歳、マクナマラ国防長官は46歳、ラスク国務長官は53歳、大統領の弟のケネディ司法長官に至っては37歳の若さであった。若さの裏面は自信過剰、そして性急さと経験不足である。この辺、今の政権与党である民主党に何となく共通するところは無いか?

久しぶりに一生懸命観てしまった番組だったが、色々考えるところが多かった。
こういう番組(一言でいえば一般ウケのしない堅い番組)はNHKの独壇場である。民放ではどうしても途中にコマーシャルが入って白けてしまう。最近は芸能ゴシップまでトップニュースで取り上げるところも目立つようになったNHKだが、こういう番組には手を抜かず力を入れて欲しいと思う。そうすれば心置きなく受信料を払える。





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最終更新日  2009.10.08 18:16:38
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