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マックの文弊録

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2009.10.08
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◇ 10月8日(木曜日) 旧八月二十日 丙戌(ひのえ いぬ) 先負: 寒露

今日は二十四気の寒露。太陽の黄経は195°にまでなった。春分を起点とする太陽の暦年も過半を過ぎた。そろそろ秋たけなわのニュースが各地から聞こえてくるようになった。この辺でも二三日前からキンモクセイの香りが其処ここに漂っている。

【厚木憧憬】 - 続き
コスモス(1)さて、厚木市は神奈川県のほぼ中央を占める街で、新宿から小田急の特急に乗れば約45分の距離(駅は本厚木)にある。

富士山麓の山中湖に源を発した相模川に、東丹沢山地に発した中津川、鮎川が相模川に合流して市中を南に向けて流れている。街の南では玉川も合流している。このため、複数の河川による侵食が複雑で、厚木付近には台地と侵食盆地が交互に入り組んでいる。大まかに云えば厚木の街は相模川による沖積平野の上にあると云ってよい。つまりかつて海進が大きかった時代には厚木の辺りは海だったのだ。

西の方角には丹沢山地(最高峰丹沢山は標高1567m)が広がり、その東端には江戸市民の信仰を兼ねた行楽の対象であった大山(別名雨降山、標高1246m)もある。この一帯は丹沢大山国定公園に指定されてもいる。

余り知られていないかもしれないが、厚木周辺には温泉地も多く、ざっと並べてみると厚木温泉、厚木酒井温泉、飯山温泉、かぶと湯温泉、七沢温泉、広沢寺温泉など七箇所もの温泉地がある。総じて泉質はアルカリ性低伸張泉という、つまりは浸かっていると、つるつるすべすべする、所謂「美人のお湯」である。しかし当世人気のあるような形での温泉宿や温泉地の開発は余り見られず、よく言えば鄙びて素朴な、意地悪く言えば投げやりで工夫のない温泉地ばかりであるように思える。この辺革めて当世化の努力をすべきか、或いはそのままにしておく方が良いのか、判断が別れ悩ましいところである。

厚木の辺りの相模川には、流路に沿って自然堤防が発達しており、旧厚木町や岡田の集落がその上に立地している。厚木神社の辺りで川原に降り、視線を低くして上流の方角を見はるかすと、人の手で弄繰り回される以前の相模川の景観が偲べるような気分になる。
本厚木駅の周辺は、かつて稲作が盛んであり一面の水田地帯であったが、市街域の急速な発達によって水田が埋め立てられため、1970年代以降地盤沈下が深刻な問題になっている。

ここで厚木周辺の歴史を概観してみよう。
厚木の辺りでのヒトの暮らしの歴史は縄文時代にまで遡る。県立厚木北高等学校の付近には縄文集落の遺跡も発見されている。
中世に至ると厚木付近は大江氏(鎌倉幕府の政治家)から別れた毛利氏の所領となる。毛利氏はやがて厚木を離れて広島(安芸の国)に移り、やがて戦国の大大名になって関が原の戦いでは西軍の総大将になった。(そして負けた)

14世紀頃の厚木はわが国最大の梵鐘生産地であった。つまりお寺の鐘を作る事にかけては、厚木はかつて日本一だったのだ。何故此処でお寺の梵鐘の生産が盛んになったのかはさっぱり分からない。

近世になると、厚木は幕府領(天領)・旗本支配地、そして下野烏山藩や相模小田原藩、下総佐倉藩、武蔵金沢藩などの数多くの藩領に細かく分割され、その支配区分も錯綜した。幕末の頃はこの付近の村のほとんどが複数の領主により支配される有様で、一体オラが村の支配者は誰であるのか誰も知らないという状況であったのだそうだ。

1868年になって、厚木の旧旗本支配地が神奈川県に属す事になり、その後の廃藩置県による統廃合を経て現在のような形になった。尚厚木市としての市制発足は1955年(昭和30年)の事である。

古来厚木地域は相模川を利用した水運・交通の要衝であり、津久井-平塚間の中間交易や、大山街道に至る大山詣の宿場町として発展した経緯がある。そのため、中卸業者が多く、かつての旧厚木町市街地域には問屋街が形成されていた。
水運が盛んであったことにより、川沿いに木材の集散地があり、厚木の名は「集め木=アツメギ」が転化したことに由来するといわれている。

現在でも厚木は神奈川県央地域の物流拠点となっていて、東名高速道路と小田原厚木道路のインターチェンジや、国道129号、国道246号、合同バイパス、国道412号バイパスなどの主要国道が存在し、それぞれが市内で交差している。ところが皮肉なことに、そのこと自体が市内での慢性的渋滞の主要原因になっている。また、129、246、412の三国道が合流したバイパスは、市の中心部の商業地域(旧厚木町)とその他の西部地域とを分断する形で作られてしまったせいで、厚木の商業地域の発展と拡大を妨害している。

これを解消しようと20年余り前には「厚木都市モノレール構想」が模索されたが、バブル経済崩壊と地元バス会社の大反対によってあえなく中止。今でも一部の厚木市民の見果てぬ夢として、その資料は厚木市立中央図書館に所蔵されているそうだ。
モノレール構想はかつて我が郷里の岐阜市にもあった。市電を廃止するに際して市内の交通手段として構想されたようだ。「岐阜にモノレールが走っとったらえぇがね。名古屋にもモノレールはあらへんで。」と構想されたのだが、結局沙汰止みになってしまった。多分やはりお金の問題だったろうが、バス会社が大反対したかどうかは知らない。いずれにしても岐阜の街には渋滞するほどの車は走っていなかった(今もそうだろう)から、「モノレールなんかカネばっかかかってとろくさいで止めよまいか」となったのだろう。いずれにしても、モノレールと云う乗り物は日本の街にはどうも馴染まない。立川のモノレールも決して元気では無さそうな様子だし、浜松町から羽田に通じているような、特殊事情があるところにしかおそらくは向かないのであろう。厚木にもモノレールはどうにも似合わない。本厚木の駅前から森の里まで、田圃や民家の上を高架にぶら下がるか或いは跨るかしたハコに運ばれていくのを想像すると、却って時代錯誤の駕籠道中のような気がする。これが中止されたのは厚木人の英断といえる。
また、同時期に小田急線の本厚木駅から愛甲石田駅の間に新駅を設置するという動きも厚木市が中心になって進められたが、これもあえなく中止となってしまった。

厚木は、縦横に伸びる幹線道路、東名高速道路など広域的な交通利便性には優れている。しかしその一方で、足下の市中心部では交通渋滞が慢性的で、市民は等しく迷惑している。
特に鉄道駅が2つしかないため、厚木市民の日常の交通手段としてはバスが偏重される。バス路線網は、旧厚木小学校の跡地にある厚木バスセンターと本厚木駅を中心に放射線状に展開している。しかし前述の慢性的渋滞と、環状路線網が造られていない事により、都心など他の街に仕事のある厚木人は朝夕の混雑と渋滞に、慢性的に難渋を強いられている。
他人に尽くして自らの苦難に耐える。厚木人の多くに共通する美風は此処にもあるのかもしれない。

それからちょっと意外であった、厚木は大学、短期大学が多く設置されており、小田急線沿線の大学・短期大学の学生が集まる街でもある。上にも述べたとおり(厚木人には素直に喜べないだろうが)広域交通の面からは便利な街であり、また首都圏に近いことから研究開発、流通およびサービス業などの企業も集まっている。

神奈川県内の他の街は、東京都心部への通勤通学者のベッドタウンという性格を持った所が多いが、厚木市はこの点事情が異なる。何しろ昼間人口の方が夜間人口を1割程度上回っているのだ。
ところがご他聞に漏れず、近年大型店舗や大学の撤退が相次ぎ、市内の産業空洞化が問題となっている。地の利交通の便に優れているのに、誘致した学校や企業には捨てられてしまう。これは厚木人にとって哀しいことであろう。

比較的古い時期から発展した地域であるため、組織、企業、施設等に厚木、アツギ、あつぎ、ATSUGI等を冠するものも多いが、そのいくつかは厚木市内に登記されておらず所在地もない。その所為でしばしば誤解を受けるし、厚木人自身も当惑してしまうことが多い。

極め付きは厚木飛行場である。
厚木飛行場は太平洋戦争敗戦後、米国の進駐軍が日本占領の緒にした場所である。かのマッカーサー元帥がコーンパイプを咥えて軍用機のタラップから降り立ち、「日本人の精神年齢は六歳程度だ」と、今考えれば中々正鵠を得たともいえる発言をなさった場所でもある。正に日本の戦後は厚木飛行場から始まったといえる。
ところがこの戦後日本の歴史を画したともいえる厚木飛行場だが、実は近くの大和市と綾瀬市に跨って存在するのであって、厚木市にはそのかけらもない。それなのに何故厚木飛行場と呼ばれるのかについては、一薀蓄を傾ける必要があるが、それはともかく、現存する米海軍の厚木基地はまだUS Naval Air Facility Atsugiであるし、此処を共同使用している海上自衛隊でも相変わらず正式名称は海上自衛隊厚木航空基地である。
厚木飛行場と厚木市の間は相模川や海老名市で隔てられており、厚木とは陸続きですら無い。厚木市には付帯施設も関連施設も全く無い。要するに厚木はここでも名前だけ使われてしまっているのだ。

因みに、厚木出身の我が畏友も、厚木飛行場は「見たことはないけれど、厚木のどっかその辺に有る」位に思っていらしたようで、僕から初めて事実を知らされて愕然となさっていた。どうも厚木人は、厚木ナイロンも厚木飛行場も厚木と云う名前があるから厚木なのであって、それが何処にあろうと別に気にしないという鷹揚な気持ちをお持ちのようである。
《まだ続く》





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最終更新日  2009.10.14 11:35:01
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