カテゴリ:小言こうべえ
◇ 10月17日(土曜日) 旧八月二十九日 乙未(きのと ひつじ) 赤口: 伊勢神宮神嘗祭
【電池依存】 最近は、自由時間にちょっと思い立って出かけるときにはデジカメを持参する。行きがかりの景色や季節の草花を撮影しようという魂胆だ。 郊外や観光地へ行く時には、小さな単眼の望遠鏡も持参する。これは以前ドイツの空港の売店で目に付いて買ったものだ。ミノックスの製品で長さが7センチほど、縦横が3センチほどの矩形で小さくて軽い。倍率は6倍だが、レンズはさすがにドイツ製でくっきり見える。これを持っていると昔のスパイの端くれにでもなれた様な気分がする。これには、更にデジタル式の時計と温度計と高度計まで付いているから、自分の居る場所の高度を測ったりでき、結構注目を惹き、仲間同士の話のタネには出来る。高度計は時々とんでもない数値を示すことがあって、普通の里山にいるのに非常な高地に居ると教えてくれることもあるが、それはまぁご愛嬌である。 そして勿論現代人の必携品である携帯電話も持っていく。 ところがこれらの携帯用電子機器の電池がどんどん消耗してしまう。 ミノックスの電池は余り消耗しないが、これは時計や高度計などの測定表示くらいで、機械動作はしないからまぁ当たり前だ。 しかしカメラと携帯電話の電池の消耗がひどい。携帯電話などは数回の通話や、インターネットアクセスを行うと、もう電池切れの警告が出て使えなくなる。 どちらも充電式の電池であるが、暫く前から一晩かけて充電しても、すぐに電池切れになってしまうようになった。もともと充電式の電池は劣化するものだというのは知っていたが、これ程だとは思っていなかった。リチウム電池には当たり外れがあって、僕のは外れの方が回ってきたのかもしれない。 カメラの方はとっくに諦めて、市販の使い捨ての電池を使っている。携帯電話は常に「哺乳瓶」を持ち歩かないとだめだ。コンビニで売っている、単三電池入りのケースにコネクターがついたアレである。 加えて、それぞれの電池の規格が全て異なる。 ミノックスはCR2016というボタン電池で、デジカメのは2CR5という枕のような形をしている。2CR5という電池はちょっと珍しいようで、そこいらのコンビニには中々置いていない。そして携帯電話の哺乳瓶は単三の電池を2本使用する。 かくして外出する時にはそれぞれの本体と共に、予備の電池と哺乳瓶を併せて持ち歩かなければなら無い事になる。それぞれの本体はどんどん小さく軽くなっているが、予備の電池まで持ち歩くのはなかなか大変だ。これは車がガソリンスタンドを連れて走っているようなものだ。 もっと云えば、万歩計の電池はLR44というボタン電池だし、電子辞書のは単四の電池だ。僕は持っていないが、最近電車内で皆がピコピコやっているゲーム機の電池まで入れたら、我々の身の周りは様々な規格の電池だらけという事になる。 おまけに、充電式の電池が劣化したからといってこれを買い換えようとすると、これが結構高価である。そうなると、「もう結構使ったし、買ってから暫く経ったから、高い電池を買うより本体を新型・新製品に買い換えようか」などとつい考えてしまう。 電池がダメになったから本体を買い換える・・・これはいかにも本末転倒の話だ。或いはこれはメーカーの陰謀では無いだろうか、という気もする。デジカメも携帯電話も、それぞれに充電式電池の形を微妙に変えておけば互換性はなくなるから、買い替え需要を促進するにはなかなかうまい(そしてズルイ)作戦だといえる。 まさかとは思うけれど… 【厚木語辞書】 先ずは始めに 「あ」 - あは厚木のあ!それに決まっている。ついでに、日本語の五十音の最初の字。 「いっきとうせん = 一気当選」 小田急本厚木の駅前の路地の居酒屋ではよく行われている行事、一気飲みのコンクールで一等賞になること。この時に供されるおつまみの定番は「シロコロ焼き」というゲテモノに決まっている。 いい加減酔っ払っているので、一等賞を貰って気が大きくなってしまい、つい無敵の気持ちで見ず知らずの他所の人たちに奢ったりしてしまう。転じて威勢の良いこと。→『一騎当千』 「おうまがとき = お馬が時」 夕方。そろそろ暮れて薄暗くなる頃。 畑や田圃で仕事を終えたお百姓がお馬サンを引いて帰ってくることから。厚木ではつい先ごろまで日常見られた光景であった。→『逢魔が時』 「おだわらひょうじょう = 小田原表情」 小田原は今では小田急の急行や特急に乗れば厚木からは程近い。しかし以前は厚木人にとっては身近では有るが遠くにある憧れの町であった。何しろ厚木には無いお城がある。晴れ着を着こんでおめかしして出かける場所であったが、しかし行って見れば小田原にはお城しかない!後は蒲鉾屋しかない。拍子抜けするけれども、しかし帰ってくるときには「小田原に行ってきたよ!良かったよ!」という表情を無理に作って周りに自慢する。 だから未だ小田原に行った事が無い厚木人にとっては、小田原帰りの人の表情から察するに小田原は謎めいた街であった。 この事から、何となく釈然としないこと。物事がはっきりしないで不明瞭なことをいう。→『小田原評定』 「かいとうらんま = 解答乱ま」 試験の際に答えが分からず、「えいっ!まぁどうでも良いや!」と、滅茶苦茶な解答をしてしまうこと。 どうせ勉強もしていないのに、分からないのは当たり前だと、潔く割り切ってしまうことから、ばっさりと黒白を明確にすること、或いは錯綜した事態をてきぱきと整理していくことなどを云う。 尚、厚木語の「乱ま」「ま」は、感嘆の接尾辞で本来は「まぁ」であったと考えられる。つまり「解答乱マァ!」というのが正しい。→『快刀乱麻』 ※ 厚木には昔「ランマ」という怪盗が居て、これが庶民の味方の義賊としてバッタバッタと悪代官を懲らしめたという。痛快に物事を切り分け、事態をどんどん進めていくという意味の、「怪盗ランマの如し」はこれから出たという俗説もある。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009.10.18 13:17:58
コメント(0) | コメントを書く
[小言こうべえ] カテゴリの最新記事
|