カテゴリ:日ノ本は言霊の幸はう国
◇ 10月23日(金曜日) 旧九月六日 辛丑(かのと うし) 友引: 霜降
【霜降】 今日は二十四気の霜降である。太陽の黄経は210度。この位置にはさそり座が有る。 夏の夜、さそり座の一等星であるアンターレスは、南の空に真紅の怪しい光を煌かせる。暑さにうだりながらそれを眺めたのは、未だついこの間のことのように思えるのに、さそり座は夜空から消え、今は太陽の居所になっている。時はそのように過ぎていく。 霜降の次にやって来るのはもう立冬である。日本の平地の紅葉は、霜降の頃に始まり立冬の頃に最盛期となる。 【鳩は木の枝にとまれるか?】 ある駅頭で人と待ち合わせをしていた時の事。 相手が少し遅れてくるとの連絡があったので、改札口付近の雑踏を避けて、すぐ近くにある小さな公園に行ってみた。鳩が沢山いた。 これはその駅だけではない。日本ではごく当たり前の光景だ。駅だけではない。神社の境内や公園などにも当たり前のように沢山の鳩がいる。 この鳩は普通ドバト(土鳩)と呼ばれる。鳩には少し可哀相な呼称だ。 元々この鳩は、ヨーロッパから、北アフリカ、そして中央アジアにかけて分布する鳥で、日本には奈良時代に持ち込まれたという。つまりは外来の鳥なのだ。 元々の野生種はカワラバトという.。どうも最初は狩猟の対象として、わが国に持ち込まれたようだ。繁殖能力が高く、繁殖期は特定の時期に限定されいないので、どんどん数が増えた。それが再野生化して、神社仏閣に多く住み着くことになった。それで、かつては「堂鳩」とか「塔鳩」などと呼ばれていたらしい。それが訛って「ドバト」となったのだそうだ。 ドバトというと、何となく土にまみれて生きているようで、ご本人(鳥)たちは聖域から地に堕ちたような思いをされているかもしれない。 ドバトは人を余り怖れない。加えて持ち前の繁殖力のせいで、日本中そこいらじゅうに普通に見かける。件の公園でも、ベンチに腰を下ろす僕の足下近くまで、横目でこちらを窺いながら、首を前後に振ってひょこひょこ歩き寄って来る。 あの首に、割り箸で添え木を当てて、首振りを出来なくすると、鳩は歩けなくなってコロコロ転ぶのだそうだ。想像すると可笑しいけれど、これは誰か実際にやってみたヤツがいるに違いない。 周りの鳩は、地べたを歩いているか、塀や地下鉄の駅の入口の屋根に、つまり何れにしろ平らな場所にばかり居る。そういえば鳩が木の枝に止まっているのは見たことが無い!遥かな枝の高みに鳩が颯爽と止まって、鳴き交わしている図は見たこともないし、想像し難い感じもする。 鳩は木の枝に止まる事はできるのだろうか?近くまで寄ってきて横目でこちらを窺っているヤツの足下を見ると、どうも華奢な造りで、枝を掴んで体重を支えるのは覚束なさそうである。 この公園でも鳩の糞害には悩まされているようで、餌をやらないでくれという主旨の看板が立っている。しかし、その看板の傍が鳩にとっては殊更に居心地の良い場所らしく、特に数多くの鳩が集まって休息しているのも可笑しい。アイツら、全部分かっていて、わざと看板の傍にたむろしているのかも知れない。彼らの表情を見ているとそんな気がして来る。 待ち合わせで何もする事が無いと、そんな事を考えて独りで面白がっている。 アグネス・チャンという女性タレントが居るが、彼女が初めて日本に来て一番驚いたのは、そこいらじゅうに鳩が群れていることだったそうだ。 彼女の出身地である香港では鳩は立派な食材なのだ。だから鳩を見かけると皆捕まえて食べてしまう。彼女は、その鳩が日本では悠々と、人を恐れる風も無く、そこいらに平気で群れているのが信じられなかったそうだ。 鳩料理は僕も何度か食べたことがある。特に、羽毛をむしった鳩の皮に飴を塗りこんで油で挙げた、広東料理の「脆皮鴿」(チョイペイガッ)は、香ばしくも美味しくて大好きだ。要するにペキンダックの鳩バージョンだといえるが、鳩の場合は丸ごと骨まで食べられる。日本では鳩を捕獲して食用にするのは法律に触れるのかもしれないが、まだ食べたことが無い。あぁ中国の鳩料理を又食べてみたい! 中々待ち人が来ないと、鳩を眺める目にもそんな邪な思いも入り込む。 それにしても、鳩は枝に止まれるものかどうか、駅や公園にいる鳩は夜には何処で眠るのか(まさか地べたで眠るわけではないはずだ)、どなたかご教示いただければ嬉しい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009.10.29 16:22:53
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