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マックの文弊録

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2009.10.31
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カテゴリ:小言こうべえ
◇ 10月31日(土曜日) 旧九月十一日 己酉(つちのと とり) 仏滅: 

【立憲君主制と独裁制】その一

最近読んだ本に、「立憲君主制と独裁制は本質的に相容れない」と書いてあった。「なるほど、そうだ。その通りだ!」と思った。

小石川後楽園のカモ国が国たり得る条件は三つあるといわれている。
つまり、(1)区画された領土がある。(2)領土内に継続的に居住する複数の人民がいる。(3)領土内に施行され、強制力を持つ権力が存在する。
これらは国際法上の通念として広く了解されている。

つまり、あなたが一念発起して独立国の主になりたいのなら、この三つの条件を実現すれば宜しい。
ただこうして「国」を作っても、ちゃんと認めてもらうためには、幾つかの「外国」からの承認が必要になる。つまりは、上の三条件を満たした上で、協定とか条約、或いは契約の形で外国との間に法的な関係を樹立すれば良いのだ。詳しい方法に関しては、井上ひさしという人の書いた「吉里吉里人」という本に書いてある。

(1)の領土と(2)の人民(国民)は、共に物理的な存在なので分かり易い。しかし(3)は「権力」という抽象的なものだ。これは「統治権」とも云われる。簡単に言えば、統治権とは「領土内に行き渡って、人民に強制力を持つ個人、又は集団、あるいは仕組み、更にはその総体」ということになろう。

人間の性として、抽象的なものには何らかの象徴的な実在を求めたい。つまりはシンボルである。
大抵の宗教では、教祖や始祖の彫像などが祀られ、具体的な信仰や祈りの対象とされる。
仏教徒は仏像をあがめ、キリスト教徒はキリストの像に祈る。モスリムは偶像を掲げないが、天を指す多柱式のモスクそのものがシンボルの役割を果たしている。
更に言えば、平和のシンボルは鳩だし、五大陸融和のシンボルはオリンピックだ。広島も長崎も原子爆弾の被爆地としての記憶を永続させるために、原爆ドームや天主堂をシンボルとしている。
事程左様に、人間は抽象的概念に具体的で有形のものを対置させることで得心し安心するのだ。

そしてその具体的な有形物は、人々やその集団に遍きシンボルとして受け入れられるものでなければならない。そのためには、神話、伝説など、俗世間や大衆を超越した何がしかが必要になる。そういうもので補強されて、人が帰依し、更には服従できる条件が整う。つまりシンボルは犯し難い権威を仮託出来るようなものでなければならない。

国を統べる統治権に対しても、このシンボルが必要になる。
国旗や国歌はこのシンボルの一部を構成するが、国民全体を束ねる力は弱い。やはり生身の人間がシンボルとして存在すれば、統治権の基礎は安定し、より磐石のものとなる。これを特定の一族に仮託し、それを補強する神話・伝説を血統に求めたものが王様や君主である。

王様や君主は世襲制である。世襲であることによって神話や伝説を守ることができ、民衆を帰依せしめることが出来る。従って、この場合血統の正統性を保証するための理論的根拠が大変重要になる。

ここで少し余談に走る。
英国では現在も紋章院という立派な機関があり、ここでは王家継承者の正統性や、複数の王統間の関係を検証したり研究したりするのを専らとしている。紋章院の創設は、リチャード三世の時代(15世紀中頃)にまで遡る。もう6世紀もの歴史を持つ堂々たる機関である。

実は英国では、国内に王位の継承者が絶えて、外国から王様を迎えた事が過去に三度ある。
先ず、ジェームズ一世(在位1603年~1625年)。この人はthe Virgin Queenとして生涯独身を通されたエリザベス一世の後、スコットランドのスチュアート家から招かれて英国の王になっている。

二度目は、ウィリアム三世(在位1689年~1702年)。ジェームズ一世の四代後のジェームズ二世は、英国最後のカトリック信者の王様だったが、その宗教政策などが議会による反対を招き、名誉革命によって追い出されてしまった。ウィリアム三世は、オランダのオレンジ公ウィリアムズであったが、英国議会の要請でオランダから英国に渡り、英国王ウィリアム三世となった。この人もスチュアート王朝の一人とされている。

そして三度目は、ジョージ一世(在位1714年~1727年)である。先代のアン女王が、後継者のいないままに崩じられた後を受けて、ドイツから(再び英国議会の要請を受けて)英国に渡り、英国王に就いた。この方は英国王でありながら、殆ど英語が出来ず、閣僚とはフランス語で話をしたそうだ。又、元々ドイツのハノーファーの出身であるため、大陸政策には熱心であったが国内政治には無頓着で、彼自身ドイツに滞在されることが多かったそうだ。それで、国内政治は専ら内閣に委ねられることになった。その結果、内閣は首相に率いられ、国王ではなく議会に責任を持つという形が定着した。これがわが国でも現在行われている「責任内閣制」である。又、有名な「国王は君臨すれども統治せず」という考え方もこの時点で定着し、王様はここで名実共に「国民の統合のシンボルとして、民衆の崇敬を集める国家元首」になったのである。

ヨーロッパでは王家同士の結婚はごく普通に行われており、直接の王家継承者が絶えても、血統の迷路を辿って有資格者を他国から招くことには余り抵抗がなかったようだ。そして、こういう際には紋章院は大活躍をしたはずである。国境を跨った王家間の混血による親近感が、時代が下って欧州連合を可能にした一つの要因ではないかとも思う。

さて、上に見られる英国の例のように、議会制度を整備充実し、統治権の中味を権威と権力に分離する。そして、権威をシンボルとしての君主に、権力を議会に割り当て、憲法を最高の規範に仰いで、行政においては議会を優先させるという仕組みが、現在世界に見られる立憲君主制である。立憲君主制では王様は国家元首の地位にあるが、政治権力としては機能しない。政治権力は憲法の下で民衆によって選出された議員による議会に委ねられるのが普通である。

王制を廃した国、或いはアメリカ合衆国のように最初から王様がいない国では、普通大統領制が布かれている。大統領は国民による選挙によってか、或いは軍事的な力などを背景にしてのし上がった者が自ら国家元首を僭称することによって、その地位に就く。
つまり大統領は元を糺せばタダの人だ。そういう人が国民に広くシンボルとして受け入れられるのは、生半の事ではない。また、タダの人とはいえ、自らを頼んで、或いは選挙という戦いを勝ち抜いて国家元首の地位に登り詰めるのであるから、無視できない力を持っている人である。これはシンボルというよりむしろカリスマというに相応しい。実際にそういう大統領は枚挙に暇が無い。

而して、国家元首の地位を襲ったカリスマ指導者は、預言や異言を駆使して、民衆を信頼或いは恐怖せしめ、更には服従・帰依せしめるのである。

勿論、議会の力が充分に強く、大統領を実質的にシンボルとしての国家元首としている国もある。しかし、「天与」の血統に支えられた王様に比較すると、そのシンボルとしての基盤は相対的に脆い。そして、権威と権力が分離しにくいことも大統領制の内包する危険だともいえる。

(この稿続く)





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最終更新日  2009.11.01 22:53:59
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