カテゴリ:小言こうべえ
◇ 11月1日(日曜日) 旧九月十二日 庚戌(かのえ いぬ) 大安:
【立憲君主制と独裁制】 その二 わが国も王制を廃して、別の政治体制になるかもしれない時期があった。太平洋戦争に負けてアメリカ軍に占領された時期である。 アメリカは伝統的に反王制の立場をとっている。だから、アメリカは太平洋戦争を引き起こした元凶を天皇制に結びついた軍閥の蠢動に求め、天皇の戦争犯罪を追及し、日本に彼らの言うところの「民主制」を持ち込もうとした。日本はまかり間違えば、天皇制を廃して大統領をいただく共和制に変わっていたかも知れないのだ。 これがそうはならなかったのは、当時の日本の政治家の気骨もあったろうし(当時は吉田茂や白洲次郎など、気骨とPrincipleのある日本人が未だ少し残って居た)、何より天皇家というものを崇敬する大多数の日本人の気持ちもあっただろう。そして、アメリカ側にも王制の廃止に関与して大失敗した記憶があった。 1918年、アメリカはドイツのカイゼル(ドイツ最後の皇帝はヴィルヘルム二世である)追放の先鋒に立った。アメリカは第一次世界大戦の終結によって、それまでの債務国から債権国に転換したため、戦後ヨーロッパの政治的安定が、自国の利害に叶うものだった。ドイツの帝政はそれに反するところであったのだ。しかし、その結果として誕生したのがワイマール共和国であり、ワイマール憲法は世界でも稀な民主的憲法として知られている。しかし、それは理想ではあったが、同時にシンボルの喪失でもあったため、ワイマール共和国の末期には国情騒然として権力の真空状態が生じてしまった。そこに付け込んでまんまと権力奪取に成功したのは、ナチス党のアドルフ・ヒトラーであったのだ。 ヒトラーは、自らシンボルとしての権威と同時に権力をも掌握し、その後全世界で5千万人以上(戦闘員、非戦闘員を含む:英国タイムズ誌、日本厚労省資料による)の死者を出した第二次世界大戦へとドイツを導いていったのは周知の歴史である。 恐らくはそういう記憶も影響してだろう。1945年、アメリカは日本の天皇制廃止を思い止まった。その結果、わが国はアジアで最も安定した民主主義国、反共産主義国、親米国家としての歴史を歩んできたのだ。 わが国は象徴天皇制により、天皇を国民統合の象徴として戴くと共に、議院内閣制を採用した。 議院内閣制(Parliamentary System)とは、立法権を持つ議会と行政権を持つ政府(内閣)が分立しており、内閣は議会の信任を受けて存在すると定めた政治制度である。 逆に、内閣は議会の解散権を持っている。つまり制度上、議会と内閣との間には、牽制・抑制と均衡を基盤とする相互関係が築かれることになるのだ。 議院内閣制には更に一元主義型と二元主義型の二つの型がある。 一元主義型では、内閣は国家元首(王様や大統領)では無く、専ら議会にのみ責任を負う。二元主義型議院内閣制では、内閣は国家元首と議会の二者に対して責任を負う。これで分かるとおり、歴史的には二元型の方が古い。何れにしろ議院内閣制においては、大統領や君主などの元首は儀礼的な役割しか持たず、内閣が実際の行政権を持っているのが普通である。 一元主義型議院内閣制を採用している国家は、現在わが国の他には英国、フランス第三・第四共和制、ドイツ、スペイン、スウェーデン、オランダなどが挙げられる。日本の国会は英国議会を模倣して作られたものである。 一元主義型議院内閣制においては、議会が首相の任命に同意し、首相が内閣の他の大臣を指名する。内閣は議会に対して一致連帯して責任を負い、閣内が分裂した状態で議会に対することはない。重要問題で首相と他の大臣が対立した場合には閣内不統一となり、大臣が閣内にとどまったまま、議会に対して首相に反対することは許されない。その場合当該大臣は、首相に従うか辞任して反対派になるかを選ぶことになる。 つまりは、福島みずほさんは、沖縄の基地問題に関して、社民党党首として民主党の政策に異論を掲げるのは全く問題がない。しかし、閣僚の一員として議会に臨むまでには、閣内での意思統一が為されている事が必須になるのである。これは、同じ問題に関する岡田外務大臣と北澤防衛大臣においても同様である。 ついでに言ってしまえば、自民党が上記をして「閣内不統一だ」とか「閣内不一致だ」と糾弾するのは当たらないと思う。議会への上程前の段階で、閣僚同士が議論を闘わせ、そしてそれが報道によって我々にも知らされて来るのは、僕はむしろ好ましいと思う。 さて、この制度では内閣は、当然議会の多数派に依拠することになる。議会は、内閣不信任決議を行うことによって、いつでも内閣を変えることができる。このとき内閣は不信任決議に従って総辞職するか、或いは議会を解散することで多数派を再構成するかの選択をする。解散の後の選挙で多数派形成に成功すれば不信任された首相が引き続き政権を担当し、失敗すれば再任を諦め別の首相が任命されることになる。 これがわが国の現行の政治制度である。 因みにソビエト連邦の末期に、共産主義政権が崩壊し、経済が危殆に瀕し、政治的・経済的利権を巡ってマフィアなどが暗躍した頃、西側諸国では危険な人物が台頭し国家元首を僭称して、独裁国家が誕生することを怖れて、ロマノフ王朝を再興することを真剣に考えたことがあるという話もある。 さて、一元主義型議院内閣制が理念通りに運用されていれば(そして、わが国では曲がりなりにも現在そのように運用されていると思う)、独裁制に陥る心配はない。 ところが、この制度には欠けている大事な要素が一つある。それがシンボルである。政治的な主義主張を超えて、日本を日本としてまとめ、其処に暮らす国民の帰属意識を維持していくには、選挙によって選ばれるタダの人の集団や、紙に書かれた法律だけでは弱く脆い。 ここにタダの人でない王様、わが国では天皇が存在する意義がある。万世一系(色々議論はあったとしても)の皇統というものは、万民に敬愛され得るものである。「国民統合の象徴」とはまことにいい得て妙である。 健全な立憲君主制の下では、君主と議会の間で権威と権力は分立し、議会がしっかりしている限り君主に権能が集中する事はない。日本では明治期には天皇親政が、大正デモクラシーの時代には二元型議院内閣制が布かれていた。この結果が軍と軍に繋がる所謂軍閥の増長を許してしまったとも言える。 現在の一元主義型議院内閣制は、制度上軍閥などの増長は防ぐことが出来る。しかしそれもこれも、議会がしっかり機能する事が前提であって、従って議会の責任と議員の自覚は重い意味を持っているのだ。 つまりは、立憲君主制と一元型議院内閣制による政治制度は、現状相対的に最も優れたものであると、僕は考えるのである。 すなわち、「立憲君主制は独裁制とは本質的に相容れない」と云い得るのである。 ところで、何故長々とこんな事を書いてきたか。 先頃鳩山総理大臣が国会で初めての所信表明演説を行った。 各党、特に自民党は独特の思いでそれを聴いたのだろうが、マスコミに印象を求められた自民党総裁の谷垣さんの発言に、僕は大いに驚いた。「これは相当問題になるぞ」と思ったけれど、その後問題になっている様子が全くない。その事に余計驚いているのだ。 「まるでヒトラー・ユーゲントがヒトラーの演説を聴いて喝采しているようだった。」谷垣さんの発言はそんなものだった。 ヒトラーは当然鳩山首相で、ヒトラー・ユーゲントは初当選者が多数を占める民主党議員のことだ。 民主党の幹部にも、議場での同党議員の喝采はいささか元気過ぎると響いたようで、長老の誰かは「だって自民党を離れて16年間も雌伏してきたのだ。その思いが皆の気持ちを溢れさせたのだろう。」とおっしゃった。 谷垣さんの発言に対する民主党の反論は、このいささか弁解じみた述懐でしかなかったように思う。民主党はこの、充分暴言と言える谷垣発言に、もっと怒るべきだったと思う。 民主党新政権は、麻生時代の、或いはそれ以前の自民党の政策を次々とひっくり返している。それに対して自治体の長や利害を被る住民から、「地元の意見を聞いていない」、「拙速で独断的だ」という主旨の批判が相次いでいる。 これらの批判を極端に引っ張って行けば、行き着く先は独裁政治批判になる。そういう状況下だから、独断専行だとか独裁だとかいう言葉が谷垣さんから飛び出したのだろう。逆に言えばだからこそ、民主党は彼の発言にもっと敏感であってしかるべきだ。事もあろうに、自らの党首をヒトラーになぞらえるような谷垣さんの暴言に対しては如何にも反応が鈍いではないか。 上に書いたように、よしんば日本の政治が独裁制に傾くようなことになった場合、それを防ぐ責任はいつにかかって議会と政治家にある。谷垣さんは議員としても、また最大野党の党首としても、その責任を負託された張本人の一人である。その人の発言としては、余りに稚拙だといわざるを得ない。野党に転落した憤懣が、ついそれを言わせたのだとすれば、余計にお粗末だ。 どうして誰もこの事を問題にしないのか。 僕としては、この点憤懣やるかたない思いである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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