カテゴリ:よもやま話
☆ 1月2日(土曜日) 旧十一月十八日 壬子(みずのえ ね) 仏滅: 初荷、初夢、書初め
昨日は元日から所用があって、飯田橋の近所に行ったので、その足で靖国神社に詣でようと思った。そうしたら酷い人混みで、参拝も長蛇の列だった。 元来列に並ぶのは大嫌いなタチなので、早々に初詣の行列を横切り、「振る舞い甘酒」(靖国神社も新年から中々気風がいい!)のテントに入り込んだ。 タダの甘酒(「お気持ち」といってお金を入れる箱は置いてある)を、ふぅふぅ言いながらいただき、遠くの行列を眺めながら考えた。 靖国神社はご承知の通り以前は招魂社といい、戦没者の英霊を祀る神社だ。しかも祀られているのは天皇に殉じた御霊に限られる。つまりは、戊辰戦争の幕軍の戦死者や、上野の彰義隊、会津戦争の犠牲者、新撰組などの皆さんの霊は仲間はずれだ。 そういうところに初詣をして、一体何を祈り、何を願うべきか。恐らくはあぁして行列している連中は、考えもしないで並んでいらっしゃるのだろう。中には会津若松の人すらいらっしゃるかもしれない。 まぁこの世の確執や怨念は、神になれば大らかに昇華されておわすはずだから、世俗の人間はあれこれいうことも無いのかもしれないが。 甘酒でほんのり温まった後は、拝殿の裏手を廻って南門から出ようと思ったら、この南門が閉められていた。察するに此処から入って近道し、参拝の行列に横から入る人を防ごうというのだ。この点靖国神社もセコイ。 早々に靖国神社を出ると、人混みを抜けて田安門を入り北の丸公園に行った。 枡形の内部には、これまた大勢の人間が並んでいた。「おいおい、皇居よお前もか!」と思ったら、夕方からT.M. Revolutionの「新春パーティ」があるということで、そのグッズを買おうという連中の行列だった。いやはや、あちらもこちらも早々にご苦労様なことで! 此方はT.M.ナントカなどにはご縁が無い。 先日徳川家の末裔の人の本を読んでいたら、「田安門脇には、隠れた階段があり、其処を登ると祠などがあって、そこから遥か下に牛ヶ淵が望める。今では珍しい昔の江戸城を偲べる数少ない場所だ。」と有ったので、実は其処へ行って見たかったのだ。 それらしき階段への入口は枡形内門をくぐって直ぐ、武道館の事務所寄りの所に見えた。しかし其処には柵がしてあって、その脇にT.M.ナントカの警備か交通整理に雇われたらしき兄ちゃんが、パイプ椅子に所在無さそうに座っていて通れない。残念!今度T.M.ナントカも矢沢永吉も警備の兄ちゃんも、誰もいない時に、こっそり行ってやろう。 しょうがないから準備中のT.M.ナントカのグッズ売り場を横に見ながら、芝地に向かった。横長のテーブルに並んだグッズを見ればT.M.ナントカの肖像漫画をプリントした三枚組みのポチ袋が500円だと!この間孫へのお年玉用に買った動物漫画模様のポチ袋は五枚入って100円だった!しかもこっちには「金色シール」まで付いているぞ! 同じような模様の描かれた絵馬は1200円だった!ペラペラな杉板に印刷してあるだけの、如何にも安っぽいものなのに。 まことに価値というものは、人それぞれに相対的なものである。 北の丸公園の芝地は日当たりもよく、流石に此処には人もまばらで、またぞろ人混みや行列を見ないで済んだ。 その代わり雀が沢山居た。(カラスも少し枝の上などに居たけれど、無視した)それが、芝の上に群がっているのだが、皆揃って「ふくら雀」になっている。お正月だからお洒落しているのではない。晴れて陽射しはあっても、風は随分冷たい。だから雀たちは精一杯羽毛を立てて、体温が逃げないようにしているのだ。 寒空の中、芝に群れ散らばって、紛れた何かを一生懸命ついばんでいるのはいじらしい。雀にはお正月のお屠蘇もおせちも無いものなぁ。 ついほだされて、偶々持参していたパンを少しむしってやってみた。そしたら見る間に二十羽以上が集まってきて大変な騒ぎになった。それでも遠慮(警戒心)があるからある範囲内には近寄らない。皆で私の周囲の地べたに群がって、揃って横目でパンくずが飛んでくるのを待っている。皆の眼差しには猜疑心と催促が透けて見える。「ホントに餌をくれる積りかい?ただそういうフリをしているだけじゃないのか?フリだけだったら承知しないぞ!くれるんなら勿体つけずにさっさとしてくれよ!」・・・何だかヤな目付きだ。 パンくずが飛んでくると、必ず小さな鳴き声を上げて我勝ちに獲りに来る。中にははしこいのが居て、パンくずが未だ宙を飛んでいる内に空中でキャッチする。中々の技だ。 試しに、パンくずを掌に載せたまま突き出してやると、流石にためらう様子で、ただ遠巻きにして例の目付きで見上げている。しかし、その内勇気のあるヤツが一瞬手に止まって咥えていった。他の連中は地べたから見上げたまま、仏頂面だ。 考えてみれば、私は彼らに無用な諍いと食糧事情への擾乱を持ち込んだだけかもしれない。芝をついばんでいる間は、喧嘩をしている雀などいないのだ。人間の驕りと、一時の気紛れで親切ごかしに余計なことはするものじゃない。餌をやるなら、これからも続けてやり続けるべきだろう。 雀さんたち、ごめんなさい。でも掌に感じた一瞬の儚げな重さと、小さな足の感触は、悪いものではなかった。 雀に限らず、鳩でもカラスでも、最近は鳥を見ると必ず「彼らは恐竜の直系の子孫だ」と思う。羽毛に包まれていれば可愛いとも思うが、頭の中で羽毛を取り去って裸にすれば、立派に恐竜の面影を残している。ダチョウなどを想像すれば、なお更その印象は強い。 北の丸公園のあの雀の横目に見上げる目つきも、決して素直に可愛いなどというものではない。獲物を伺う恐竜の、油断すべからざる目付きだといえなくも無いのだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010.01.03 13:13:38
コメント(0) | コメントを書く
[よもやま話] カテゴリの最新記事
|