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マックの文弊録

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2010.01.14
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カテゴリ:小言こうべえ
☆1月14日(木曜日) 旧十一月三十日 甲子(きのえ ね) 仏滅: 十四日年越し、大阪四天王寺どやどや、仙台どんと祭り

【魯山人】
生来のへそ曲がりで、本でも人物でも人に先鞭を付けないと納まらない。新刊本でも奥付の出版日より以前に書店に並ぶのを買うのが、無上に好きだ。そして話題になるより遥かに先に読み切って、話題になる頃にはニヤニヤしているのだ。
だから、既に評価の定まった偉人や有名人には、近寄るのにはかなりの抵抗感がある。北大路魯山人もそういう人の一人であった。

魯山人といえば美食家で陶芸家として知られている。世の中の食通や粋人と称される(殆どは自称だが)連中が、彼を讃えるのを見聞きしたり、高ビーを気取った料理屋で、棚に「魯山人作」などと麗々しく器が飾られていたりすると、いわれもなく反感を掻き立てられて、わざと無視したりしていた。
厄介な性格だと思うが、そうなんだからしょうがない。

それがひょんなことから「魯山人味道」という本(中公文庫:平野雅章編:1995年)を読むことになった。
読んでみるとこれが面白い。最終的に「何だ。彼はとどのつまり私と同じような感性の持ち主じゃないか。」と思ってしまった!
食わず嫌いで遠ざかっていたのに、いざ接してみると大いに共感して、挙句の果てに感化されてしまうのだ。要するに理由もなくわざわざ遠回りして、同じ場所に辿りついたようなものだ。

魯山人は京都生まれの人だから、魚は瀬戸内、豆腐は京都、出汁を引くのは昆布が第一と、どうしても贔屓が西の方に傾くのは、これはしょうがない。

しかし、色々な話を総合してみると、彼は詰まるところ食材を大事にしなさいと言っているのだ。これは大いにその通りだと思う。

魚でも野菜でも、素材が一番大事で、その味を良く心得ておくこと。そうすれば、いつの時期が一番良く、どう味付けして、どのように料理すれば美味しく戴けるかは、自ずと分かって来る。彼はそういうことを言っているのだ。

これなど夏目漱石の「夢十夜」の中の「運慶」という話に通じるところがある。
材木の中に元から仁王が埋まっているので、運慶はただそれを掘り出しているだけだ、という。それなら自分にもできるはずだと、手近な材木を掘り進んでみたが、一向に仁王は現れて来ない。それで、この材木の中には仁王は居なかったのだと思う、という話である。

料理でも「仁王の埋まっている」食材を知ることが肝要で、それさえ見極めれば、後はそれを「掘り出してやる」だけだということだ。

そうなると、海の幸も山の幸も、それが採れるところへ丁度良い頃に行く事が、「仁王の埋まっている」ものに出会う秘訣だろう。そしてそういうものは、地元の人にはごく当たり前のものである。しかし、こういうものを、喩えば東京辺りで食べようとすると、高い運送費を費やして即座に持ってこなければならない。つまりは畢竟高価なものになる。そうして持ってきても、やはりそれなりの時間が経過しているから、やはりその土地でじかにいただくものには及ばない。それでもありがたがって大枚を費やして喜ぶ人種を、最近は「グルメ」と呼んでいる。

もう一つ、食には土地柄というものが大事である。
私はメキシコとテキサスの境界の町、エル・パソで飲んだマルガリータというカクテルがえらく気に入って、地元の人にねだってその材料を戴いて持ち帰り、日本で指示通りに作ってみたらちっとも美味しくなかったという経験がある。やはりメキシコの缶ビールで、ライムを搾り、塩を少し振り入れて飲むと大変美味しい「テカテ」というのが有るが、これも青山のショットバーで見つけて飲んだら、べら棒に高いだけで不味かった。要するにマルガリータもテカテも、あのカラカラに渇ききった土地で飲むからこそ美味しかったのだ。
これはビールも同じだ。ニューヨークではバドが美味しくて、キリンはそれに劣る。日本ではその逆である。

これは食べ物も一緒で、ほたるいかは富山湾で戴くのが一番美味しいし、桜海老も駿河湾でそれを戴くのが最高である。

つまりは、美味しいものを戴くには、金を遣うよりも、そこまで出掛けて行くという労力を使えということだ。(結局其処へ行くのにお金も遣うが、それでもこのお金は普段とは違う場所に自分を運んでくれるものでもあるから、お得である。)これはその土地々に敬意を払い、自然の生り物に対して謙虚に繊細であれということだ。
なるほど、大いに共感できる。

魯山人はもう一つ言っている。
それは、「あの料理屋はあれが美味しい」というのは続かない、ということだ。
食材を吟味し、包丁で形を整え、味を調えていくというのは、極めて個人的な仕事であり、それは創造的な作業だというのだ。これはある面で芸術に似ている。
画でも彫刻でも、誰かの弟子だといっても、師匠の模倣をすることでは無い。最終的には自分の技量と才能で自分の作品を創るという事になる。ロダンの弟子はロダンの作品を継承して創るのではないし、それはゴッホでも同じだ。もっと言えば三遊亭円生も何代目かということで、全く芸風が変わるのである。

つまりは料理屋でも料理は板前・職人個人に拠るものであり、職人が代替わりすれば、同じ料理屋の同じ料理であっても、それは別物になるということだ。これも大いに納得できる。

もう一つ。
これは、魯山人は言っていないが、一緒に食べる人も美味しさの大事な要素だ。いくら良い食材を使った、立派な料理屋の料理であっても、一緒に食べる相手によってはちっとも美味しくなくなる。逆も真なりで、質素な食事であっても、相手さえ良ければ山海の美味とはいわないまでも、大いに美味しく戴けるものだ。

魯山人には大いに共感するが、それでも良い食材と良い職人と(そして彼は「料理の着物」として、良い器という事を言っている)を両方ながら揃えようとすれば、やはりどうしても結構な出費を余儀なくされる。それが中々儘ならないとすれば、せめて良い相手を選んで、そちらの方から美味しくいただく工夫が必要になるかもしれない。

それにしても、魯山人の「魯山人味道」は一度読んでみる価値のある本だと思う。


【泣いてもいいから馬謖を切れ!】
「母心による資金援助」の件が少し下火になったと思ったら、今度は小沢さん絡みの政治資金の問題が大きくなった。

前にも書いたが、由紀夫さんのお母さんの件は、金額面で庶民感覚を逸脱したものだとはいえ、一種の美談と言える。それに由紀夫さんはもう税金も納めた。(くどいようだが、邦夫さんは税金をどうしたのか、気になる。誰かご存知だったら教えて欲しい。いっそ本人に訊いてみようか?)

それに較べ小沢さんの一件は、どう見ても胡散臭い。実に古典的な「土地・不動産」と「政治資金」が絡まりあって、「陸山会の慣習だったから」とか、「帳簿の付け忘れ」などがぞろぞろ出てくるのだから、昔の「自民党物語」をまたぞろ聞かされているようでしょうがない。

小沢さんはどこかの講演会での演説で、「まだ検察の捜査が続いているようですから、この件に付いては・・・」などとおっしゃった。「続いているようですから」などとはまるで他人事で白々しい。「ようですから」どころじゃなくて、歴然と捜査が続いていることは皆知っている。
検察は事情聴取を申し入れているのに、小沢さんはそれには応じていないのだ。全く、「続いているようですから」も無いもんだ。

「この件は一切弁護士に任せていますから」というのも、「だからアンタたちなんかに話す義理はないのだ」という事と同じだ。政治家という公人で、公党の幹事長という立場の人の態度としては、余りに傲岸不遜である。

「私も意識して法に触れるようなことをした覚えは全くありません」というのも、曳かれものの小唄染みた台詞だ。じゃぁ「意識しないで」やっちゃったんだな、きっと。
覚えも無くして結果的に悪いことをしてしまうのなら、それじゃぁ今度は政治家としての資質の問題になるな。法律ではこれは「未必の故意」といって、一般人でも誰でも立派に罪になる。

同じ演説の中で、「何より私は国民の生活第一でして・・・」とおっしゃった。こんな事を同じ口で云われると、江戸っ子ならずとも「・・・ってやんでぇ、べらぼうめ。てめぇのケツもちゃんと拭けねぇ野郎がお為ごかしを言うんじゃねぇやい!」と啖呵を切りたくなる。
あの人に「国民の生活第一で」などと云われると、国民の一人としては無性に気持が悪い。

自民党の大島さんが、「何しろ強制捜査はこれで二度目ですからねぇ・・・」と、わざと沈痛な面持ちでおっしゃるのを聞くと、「なぁ小沢屋よ、おぬしもワルよのぉ~。うりゃうりゃうりゃ」と続けたくなる。

どっちにしても、小沢さんの雰囲気も「小沢流」も、昨年の選挙で大勢が投票した時の、「清新」と「変化」のイメージには、最早どうしようもなく遠いものである。

泣いて馬謖を斬るという故事がある。
民主党では多分小沢さんの方が「格上」で先輩だから、この故事は正確には該当しない。しかし、そこはそれ、由紀夫さんは立派な党首だ。それに何より、国会で選出され、天皇陛下の認証を受けた総理大臣である。此処は一つ、腹を据えて敢然馬謖を切るべきだろう。
そうして後顧の憂いを絶ち、山積する問題に注力して、堂々と参議院選挙に臨むべきだろうと思う。

そうでないと、小沢問題に引きずられ、再びお母さんの件までこれを増幅するようになり、普天間問題やその他も輻輳して、参議院選挙では負けてしまう恐れもある。
参議院選挙で単独過半数を大幅に割り込むことになれば、大姑小姑にかき回されて、折角の「開かれた政府」も「変化」もおかしくなってしまう。

国民はそろそろ民主党の資金問題(特に小沢問題には余計に)には飽きが来ているぞ。
今こそ、内閣支持の最大の理由である「他の内閣より良さそうだから」という点を、由紀夫さんは真摯に受け取って欲しい。
今民主党がおかしくなると、またぞろ古臭い自民党に政権を渡さなければならないのだよ。そんなこと、大半の国民は望んでいないのだから。





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最終更新日  2010.01.14 17:46:18
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