カテゴリ:そぞろ歩き
☆ 2月27日(土曜日) 旧一月十四日 戊申(つちのえ さる) 友引: 「日頃の鬱屈をせめてちょっとでも晴らすために、温泉に行こう!」 優しい友人が無理やりというように誘ってくれて、出かけた。 山梨県は甲府の市街の外れにある、坐忘庵という温泉宿である。 甲府市街の中心地から北寄りのところに、武田神社があるが、その神社の背後の要害山というのを登っていくのだ。道はつづら折にカーブしながらどんどん高度を稼いでいく。途中に「←坐忘庵」と標識が出るが、車2台がすれ違えないほどの幅だし、いきなり急勾配になるので標識に従うのが少しためらわれる。それでも宿は矢印の先に有る筈だろうからとにかく本道を逸れて細い坂道に入ってみる。 両側に山が迫る道を、対向車が来ないように祈りながら行くと、やがて視界が開け、広くも無い平坦な広場があってその向こうに二階建ての建物がある。それが坐忘庵だ。ここは要害山の中腹、標高780メートルの位置にあり、眼下に甲府の市街を望めるというのが、「売り」の一つである。 この坐忘庵、正式には「坐忘という名の隠れ宿 積翠寺温泉古湯坊」という長ったらしい前句が付く。こういう勿体ぶった修飾語が付いているところは、得てして泊って見るとがっかりする場合が多い。建物も外から見た限り、近代風の普通の造りで、古民家風とか数奇屋風とかいった、一般の気を惹くようなものではなく、ごく当たり前の姿である。 ところが実際にご厄介になって、翌日帰るときには、私自身すっかり気に入りファンになってしまった。 その理由を挙げてみよう。 (1) 先ずは当然の事ながらやはり温泉である。ここは法律的には「温泉」ではなく、「鉱泉」に分類される。今の温泉法では、源泉の採取場所での温度が25℃以下だと温泉とは呼ばないそうだ。 ところで、温泉の監督官庁は何処なのだろう?環境省なのだろうか?それとも厚生労働省?何れにしろお役所がどういおうが、25℃以下であろうと、加温すれば立派な温泉である。 源泉が発見されたのは鎌倉時代に遡るそうで、武田信玄の時代には、川中島の合戦などで傷ついた将兵の治療にも使用されたという伝説が残る、所謂「信玄公の隠し湯」の一つである。 お湯にはメタホウ酸が多く含まれ、美肌効果もあるそうだ。源泉は41℃ほどに加温され、微かな硫黄臭を感じるほかは普通である。温泉は何処でもそうだが、少しぬるめだなぁと感じても、お湯に浸かっている間に、じわじわと汗が出てくる。これが気持ち良く、出てからも体のぬくもりは長く残る。 坐忘庵では、大浴場の他に貸し切り露天風呂が二つあり、家族やワケアリの二人連れ、或いは今回のように友人同士で行っても、水入らずでゆっくり温泉を楽しめる。(ここは加水はしていないから文字通り水入らずだ。) 貸し切り露天風呂には洗い場は無い。ただひたすらお湯に浸かるだけである。大浴場にも貸し切り露天風呂にもバスタオルが豊富に置いてある。温泉宿では部屋にタオル掛けはあるが、バスタオルを掛けるところは無いのが普通だ。だから湿ったバスタオルを鴨居にかけたりしなければならない。その点坐忘庵では常に乾いた新しいタオルを使用できるので、これは気持ちが良い。 大浴場の脱衣場には着替えの浴衣も置いてある。これも一晩寝た後に、皺になった浴衣をパリッとした新しいものに着替えることが出来て、嬉しいサービスだ。 お湯は能書きはともかく、それほど特徴を感じないが、それでも充分に堪能することが出来た。 (2) 次は食事である。 坐忘庵では四季折々に夕食のメニューを変えて出しているそうだ。我々が戴いたのは、冨士桜ポークのせいろ蒸のコースだった。冨士桜ポークというのは甲州ブランドの豚だそうだ。 せいろ蒸というのは、宿の側では基本的に材料を刻んでせいろに並べるだけだから手間がかからない。その代わり素材の良さが決定的になる。当日は、こごみやたらの芽など山菜、そして大塚人参というこれも地物の人参などが野菜のせいろに並べられており、これら野菜が非常に美味しかった。甲州ブランドの豚も大いに美味しかったが、豚は豚だから大感動するほどのものでは無い。野菜のせいろを下に、甲州豚の薄切りを水菜を敷き詰めた上に並べたせいろを上に重ねて蒸す。 他には、鯉のあらい、馬刺しのマリネ、刺身の盛り合わせ、煮物などの小鉢が並び、せいろが蒸しあがるまでのしのぎになる。 総じて美味しく、量も適当で満足であった。注文した「無濾過生ワイン」の赤もメルローと甲州のブレンドで、中々結構だった。但し無濾過だから、最後の一杯には澱が混じる。だからこれは、「The last is the best!」などといって、他の人に飲ませるのが良い。 朝食は、「薬膳」と銘打ったもので、土鍋で炊き上げた鯛めしが主体であった。旅館の朝食には焼き海苔に納豆、卵などが定番だが、そういうものは此処では並ばない。友人によれば旅館では夕食は板前の職人が調理を担当するが、朝食は板前より格の低い料理人(仲居さんという説もある)が食膳を整えるのだそうだ。だから、中々「朝食の美味しい」旅館は希少である。坐忘庵はその点「鯛めし」を目玉にしているので、上手い作戦だといえる。 (3) 三番目にこれを掲げるが、客としては最も温泉宿の印象を左右されるところである。 坐忘庵では、何より働いているスタッフの人たちが非常に良い。私は人も指摘する偏屈男で(自分ではさらさらそうは思っていないが、人がそういう。)、ちょっとでも言葉遣いや、客のあしらい方に引っかかるとつい絡みたくなる。絡むといっても、ねちねち苛めたり、怒鳴ったりなどはしない。高度な(!)冗談でどぎまぎさせたり、あえて相手が当惑するようなことを訊ねたりする程度のことだ。私はこれを「tough love」だと思っている。つまりは、相手を少しキツく教育しているのだ。それもこれも「愛」あればこそである。しかし、同行の友人はそう解してくれない。「そんなに苛めなくても」と却って顰蹙を買ってしまうのが常なのだ。偉大なるものは並みの大衆には常に誤解されるものである。 坐忘庵でも私はこれをやらかした。一度は仲居さんが部屋に案内する際に、私の荷物だけ無視したからだ。大抵の温泉宿では、仲居さんが泊まり客の荷物を持つ。仲居さんが若いほっそりした女性であってもそうだ。こちらは、色男だと云っても、箸だけではなく自分の荷物くらいは自分で運べる。かよわげな女性に運ばせるなど男性として潔しとしない。・・・とはいえ、自分の荷物だけが無視されるとやはり面白くないのだ。 他には・・・・他にも一杯tough loveを行使したので忘れてしまった。 しかし、どんな時でも、又どのスタッフであっても厭な顔一つしないで笑顔で応接してくれた。のみならず、小気味の良いとすらいえる切り返しをしてくる。これは中々できるものでは無い。ついつい厭な顔をしてしまったり、或いは緊張してそれが態度に出てしまったりするのが普通である。宿の教育が行き届いているのは当然だろうが、仲居さんを含めて良い人柄の人ばかりを選りすぐったのであろうと思われる。 温泉宿であっても、温泉と食事だけでは良い印象は得られない。 温泉そのものは宿ではなく自然の賜物である。食べ物は突き詰めれば近郊のお百姓や漁師さんたちの賜物である。そう考えれば、接客に係る宿の人たちこそが宿の手柄である。 その点坐忘庵は大手柄だといえると思う。 後、館内の方々に書の額がかかっている。この宿のご主人の直筆になるものだそうだ。夕食時に銘々に配られるメニューも同じ書体で書いてある。ご主人は板長でもあるのだそうだ。 私は書には造詣も何も無いので、ただ金釘流の下手糞な字に過ぎないじゃないかと思った。聞けば、メニューに描かれた食材の絵もご主人の筆になるのだそうで、それらは素朴でありながら中々に味がある良い画であった。そうなると、書の方も観る人が観れば良いものなのだろう。少なくとも方々に飾られていても、私の目の邪魔にはならなかった。 信玄ゆかりの宿(といっても大半はインチキに決まっているが)と云えば定番の、古めかしい鎧や風林火山の旗指物がわざとらしく飾ってあるよりも、宿のご主人の金釘流(?)の方が遥かに結構である。 坐忘庵、「隠れ里の宿」とはいえ、隠しておくのは勿体ない。それなりの人にはお薦めしたいお宿である。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010.02.28 17:07:26
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