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マックの文弊録

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2010.03.02
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カテゴリ:小言こうべえ
☆ 3月2日(火曜日) 旧一月十七日 辛亥(かのと い) 大安:

ネルソン・デミルの「ゴールド・コースト」(文春文庫、上田公子訳)の中にこういう一節がある。

・・・この国の法と秩序の番人がベラローサ排除のためにベラローサのレベルまで身を落とさなければならないとは。政府がそこまでやけくそになっているとは思いたくない。・・・

ベラローサとはニューヨークを本拠とするマフィアのドンである。それがアメリカでも屈指のセレブの住むロングアイランドの、その中でも超高級な邸宅地であるゴールドコーストに引っ越してきた。期せずしてマフィアのドンを隣人に迎えてしまったのは、この土地の歴代の金持ちの家の娘を妻にした、ワスプの弁護士である。上はその弁護士、ジョン・サッターの述懐である。

ま、この小説の話は非常に面白く、私の好きなものの一つだが、それが此処での話題では無いので、また別の機会に譲るが、上記の言葉には妙に強い印象を受けた。何故か。

『この国の政治を指揮していた当事者が、新政権を追い落とすだけのために、自分自身に唾し、謗りや揚げ足取りや、果ては井戸端会議のレベルまで身を落とさなければならないとは。彼らがそこまでやけくそになっているとは思いたくない。』
こう言い換えてみると分かっていただけるだろうか?
左様、暫く前からの自民党の体たらくである。

自民党が言い立てている事柄は色々有るが、根底は民主党にまつわる「政治とカネ」の問題だ。この問題は世界共通のものであるが、我々日本人も既に随分以前から馴れてしまっている話題でもある。
政治というものが、選良達による、立法府の場で議論され議決されて予算化され、執行されていくというのは、建前としては正しい。それは教科書に書かれている通りだ。しかし、我々は日本の政治が、純粋無垢で無欲な処女の如き愛国家達によって行われているなどとは、とうの昔に思っていない。

我々は、政治とは公的な表舞台とは別に、様々に利害の異なる団体や法人・個人の間に「折り合い」を付けていくものであることも知っている。そういう「折り合い」は、多数決ではなく、「情」や「恩」、そして「貸し借り」、そして極しばしば「利権」や「カネ」という具体的な形をとって付けられて行くものであることも知っている。民主主義というものがメカニズム上「数を頼む」というものである以上、こういうものも「民主主義」であると認めなければいけない。

「白河の水の清きに魚住まず。もとの濁りの田沼恋しき」。
我が日本人は江戸時代の昔から、現実の政治というものが多面的で弾力的であり、単純な建前や杓子定規な理想論などというものが通用しないものであることを既に理解している。だから、政治の背後の闇や薄暗がりでカネが動くことはある程度までは必要悪であり、受容した方が良いものだとは皆分かっている。日本の大衆有権者は、一点の曇りも無い清廉潔白な人間を政治家としての理想像として描くほどナィーブではない。政治に金など不要であると思い込むほど単純でも無いのだ。

我々は政治家たちに「問題の解決能力」を期待している。それも目先の問題に対するものだけでなく、この国そのものや、子供や孫などこの国の後継者たちの将来までも見据えた上での解決能力である。目先の問題を超えたところに、政党としての、また政治家として見識や理念が有るべきだと期待している。切実に期待しているといっていいと思う。

政治家たるもの、国政に携わるほどの者であれば、カネに対して多少の裁量権は持っていて然るべきだ。時に清濁併せ呑むほどの器量が有ってもいいし、むしろその程度の器量は持っていて欲しい。その程度は大目に見てもいいから、その代りに大いに国の現状を憂え、憂国の気持ちを心底に置いて、一介の民草が成し得ない目標に果敢にチャレンジし、具体的な行動を通じて、この国と民草の為に、今より明るい将来へ道筋を切り拓いて欲しいのである。

国家百年の計とは云わない。長期間にわたる経綸に関しては、今や政治家独りでは到底無理だ。科学者や専門家などによる広範な知恵を集め、それに基づく、地球規模にわたる戦略が必要になってきている。だから政治家にはそんなものを求めても無理だ。しかし、百年は望まないけれども、それでも2年や3年程度、或いは「次の選挙まで」という近視眼では幾らなんでも困るのである。

有権者大衆は民主党に清廉潔白さなど求めてはいない。民主党の重鎮を始めとして大多数の連中は、その出自は自民党だ。由紀夫さんだって、一郎君だって例外じゃない。あからさまに云えば自民党で日干しにされて不遇をかこっていた連中が集まって結成したのが今の民主党だ。簡単に言えば「小泉革命」の時のあの雰囲気(雰囲気であって政策などでは無い)の再現を、我々は自民党外に求めたということなのだ。

有権者大衆の多数は、金権と利権に加え、地縁、人脈や閨閥が乱麻の如くに入り組んでどうにも動きの取れなくなっていた自民党の現状に愛想を尽かし、そういうしがらみの外で不遇をかこっていた元自民党員の多くが所属する民主党に期待を託したのだ。そこには「民主党であれば、急進革命もなく、自民党の魑魅魍魎に囚われない新味を出してくれるだろう」という期待が有ったのであって、民主党になれば何から何まで清廉になり、真っ白で清新な政治をやってくれるだろうなどという幻想を信じたのではないのである。我々日本国民はそれほどのオボコではない。

そういう期待を担って誕生した民主党政権は、今のところ重大な失点を犯しては居ないと私は思う。米軍基地の問題や、事業仕分けなど、如何にももたもたしているし、政治の玄人のみならず、普通の国民の目から見ても、抜けていたり歯がゆいところが一杯ある。しかし、それらは全て自民党の残したツケを背負っての事であるし、経験の浅い連中の集団なのだから、今のところ未だしょうがない。

色々不満足はあるにしても、鳩山政権になってから、政権内の議論が有権者国民に透けて見えるようになったのは事実だ。「民は依らしむべし。知らしむべからず。」を徹頭徹尾実践してきた自民党と較べれば、何となく薄っぺらで重みがないのは事実だ。しかし、本来の民主主義が目指すべきところには、民主党の方が遥かに近い。

国政が安定を欠いていると観るのは、我々有権者大衆もその責を負うべきものだという考えに、そろそろ我々自身も馴染まなければならない。政治とは、任せておけば「お上」がやってくれるものではないのだ。この日本もそろそろそういう方向に変化しているのだ。

それに対して、一番そういう変化に付いていけず、慌てふためいて愚かな行いを政治家たちは繰返している。特に自民党の政治家のそれは目に余る。彼らはひたすら昔日の栄光、つまり圧倒的多数を占めて自民党の政策を推進する事が出来た時代を何が何でも取り戻したいように見える。

昨日まで自らに向けられていた「数の横暴」を、忘れた振りをして対手に言い立てるラッキョウ頭がいる。殊更に沈痛な面持ちで、政治倫理や自浄能力の必要性を語る、悪徳代官顔負けもいる。この国にグローバリゼーションという名の下で米国同化、そこまで言わずとも米国流追従の風をもたらした男の倅が、「衆議院議長の偏向」と「数の暴力を」言い立てて議会をサボる片棒を担いでいる。
それが全て「国民の重大な関心事」という事にされている。

本当かい?そういうところに「国民」を持ち出すのは料簡違いというものだろう。理念も政策も無い井戸端会議的な話に、「国民大多数」や「庶民の常識」などというものを軽々しく持ち出さないで欲しい。

国民は議会を集団でサボったりしないで、政策の本論に関して議論を展開してくれるのを期待しているのだ。この国を正しく方向付け、我々が明るく思えるような将来に向ける為には、幾らでも熾烈な議論を展開してくれて構わない。
誰かがカネを貰った「疑いがある」という口実で詰め腹を切らせようとしたり、老いた母親まで「お白洲」に引き出してさらし者にすることなど、「国民大多数」は国会の場に期待などしていないのだ。

挙句の果ては「首相公邸の改装疑惑」だった。
風呂場や便所には住んでいる人間の癖や臭みを最も感じるところだ。これが都度徹底的に掃除され、殺菌消毒されるホテルのような場所では、バスルームやトイレと片仮名で呼ぶ。首相公邸ではやはり風呂場や便所が相応しい。そこに引っ越さざるを得なくなったら、風呂場や便所は出来れば改築して前住民の痕跡を消してしまいたいと思うのは、私もそうだ。

自民党の女性議員は、こういう。
「関係者」の話として、首相の夫人が公邸への引越しに際して浴槽を取り換えさせた。その他の改修を含めて、官邸機密費から一千万円ものカネ(税金)が支出された。
風呂釜を取り換えさせた理由が、「麻生さんの入ったお風呂なんか気持悪くて入れないわ!」だったそうだ。財政超赤字の中で、これは税金の無駄遣いでは無いか。国民に対して説明をすべきだ。
これを、彼女は質問趣意書という形で国会に提出したという。
こうなるともう三流週刊誌のスキャンダルのレベルだ。

この話、結局浴槽は取り換えたのではなく、清掃をしたのであって、その他に寝室用に洋室を和室に改装したりして、一千万円ではなく〆て471万円だったと、一国の総理大臣が国会で答弁して竜頭蛇尾になった。
この女議員、品位において国権の最高機関に一議席を占める選良と云えるか!?根拠も曖昧で、ロクに自ら調べもせず、誰かの噂を国会に持ち込んでおいて、再び「国民」を仲間扱いして持ち出す。
私は鳩山夫人の発言が事実であったとしても、それは正直な気持ちの吐露であったろうと思うし、私だって麻生さんの入った同じお風呂に入るのは遠慮させていただきたい。
この女議員どうして問責されないのか?

官邸機密費といえば、首相官邸が代替わりする際に先の官房長官が2億数千万ものカネを持ち出して、それが行方不明になっている。この官邸機密費をいわば「持ち逃げ」した張本人は、女議員と同じ自民党員だったはずだ。彼女はまさかそれを知らなかったのだろうか?あるいは忘れたフリをしているのか?

あえて分かりきった、或いは偏った、果ては憶測だけの根拠の無い質問をし、言葉尻を捉え、まぜっかえし、最後は「国民の視線」とか「国民の常識」を振りたてて、ちゃっかり国民の側にまじってしまう。肝心な議論はちっとも深まらない。数の暴力を非難しつつ数の抵抗で国会をサボる。そうしておいて、論議不充分だから採決は先送りにすべきだ。と、こういう。

国会の開催の為に消費される国費、つまり正真正銘の国民の税金は、1日あたり1億3千万円~2億円だそうだ。たった一日あたりである。そういう場で下らない言葉のやり取りばかりしている者こそ「国民の視線」や「国民の常識」を真摯に畏れるべきである。
そうではないか?

一日一日大枚の税金を消費している議員諸賢は、せめてもう少し品位・品格なるものを身に付けて欲しい。それこそ「国民の大多数」が切に望んでいるところなのだ。





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最終更新日  2010.03.03 17:37:51
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