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マックの文弊録

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2010.03.08
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カテゴリ:何か変だね

☆ 3月8日(月曜日) 旧一月二十三日 丁巳(ひのと み) 大安: 下弦

捕鯨に反対するシー・シェパードの船長が日本の船に押し入って捕まったそうだ。この船が日本に入港次第海上保安庁によって逮捕され、海上での日本船に対する妨害行為に対して、日本の法規に基づいて審判が下されるのだという。当たり前だと思う。
他所の家に無断で侵入すれば罪になるのは世界何処でも共通だ。動物の世界では殺し合いになる行為だ。他所の船に無断で乗り込むのも同様である。背後に「クジラの保護」という口実が有ろうが無かろうがそんなものとは無関係だ。

最近はエコだの環境保護だのという動きが世界中で活発で、「自然を守る」と云えばそれだけで「正義の印籠」を振りかざすような具合になっている。おかしな話だと思う。
何よりたかが人間ごときが、自然を「守る」などというのはおこがましい限りでは無いか?人間は自然のほんの一部に過ぎない。そのほんの一部が全体を「守る」などというのは、発想自体が論理矛盾だ。自然は(若し自然に意識というものがあったらだけど)別に人間如きに守って貰おうなどとは毛ほども思っていないはずだよ。
ほんの一部分が全体を「守る」などというから、やることはちぐはぐになってしまう。

森林保護のために「My箸」などと言うのが流行っている。
箸というのは専用の木材があるのではない。端材を捨てずに利用しようというのが本来だ。これに使用するのは基本的に間伐材である。つまり、森や林は放って置けば樹相の遷移を繰返していって原始林に戻っていく。それを、人が入り適当に間伐し、余計な下草や枝を払うことで、森や林は健康になり、所謂美林が維持される。その上で人間と森林との健全な交流が継続するのだ。「自然に帰る」というのが原始林に戻ることならともかく、人間と自然環境の共生と言うのが目的ならば(そして我々にとっての「自然」とはそういうもののはずだ)、そういう意味で「里山」や「里林」を懐かしく思い、それを取り戻し維持していこうとするならば、割り箸は有用なものである。
最近食堂やレストランなどでも割り箸を遣わないで、「当店は森林保護に協力しています」と澄ましているところが増えているが、誰とも知らない他人の使った箸を使い回しするのは、如何にも不衛生だし、洗浄・殺菌消毒するための洗剤や薬剤、そしてその為の水や排水、そして洗浄機に使われる電気などのエネルギーを考えれば、目先の「森林保護」が実はむしろ逆効果だろうとは素人にも想像できる。
それに何より、間伐のために人が山に入らなくなったおかげで、山が荒れ、日本の松茸が私の口にほとんど入らなくなってしまったことも、ないがしろに出来ない大問題である。

「レジ袋を使わない」、「ペットボトルより水道水を飲む」、「石油をやめバイオエタノールに」、「生ゴミを堆肥にする」、「古紙のリサイクルをする」等々・・・・こんな例は挙げればきりが無い。
世の中の「エコ産業」などというものの大半はこの類だろう。結局「正義の印籠」のニセの輝きに目晦ましされて、一部の金儲けに利用されているようなものだ。これも、部分の分際を履き違えて、全体を考える視野を失っているか奪われている所為である。
「エコ」とは誤解や利害が絡むと途端に単なる「エゴ」になってしまうのだ。





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最終更新日  2010.03.14 17:07:20
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