カテゴリ:小言こうべえ
☆ 5月19日(水曜日) 旧四月六日 己巳(つちのと み) 先負:
お蔭様で風邪もほぼ治ったようだ。 喉の奥に居座っていた「赤ポチ」はどこかへ退散し、咳にも「粘り」が出てきて、その後それもほぼ収まった。しかし、未だ咳は時々ぶり返す。痰に粘りが出てくると、咳をするには余計に力が要る。前にも書いたように、咳が長く続くとマイコプラズマ肺炎の疑いがあるそうだから、それは勘弁して欲しい。とはいえ、特段の処方も無いのだから、まぁ自愛を続けるほかは無いのだろう。 ところで、このところ再び事業仕分けが話題になっている。例の白服の淑女辺りは又大活躍だ。対象となっている公益法人からの出席者は、皆真面目そうな人ばかりで、それが色々問い詰められるのは見ていてお気の毒な気持ちがするけれど、答えを聞いていると随所にお粗末さがポロポロ出てくる。 そんなものがあることも知らなかったが、塩を管理している法人があって、万が一に備えて塩の備蓄をしているのだそうだ。その量10万トン。この備蓄量が問題になっていた。 塩は人間にとっては絶対必須のもので、これが無いと体内のバランスが崩れて、ひどい時は死に到る。だからこの法人は、非常時に備えて塩を備蓄しており、いざとなった時はその備蓄から塩を緊急に放出したりするのだそうだ。・・・なるほど。まことに公益のための深慮。不慮の事態にも民のことを考えて対処していくにはこういう組織も必要なのか。・・・とそこまでは良かった。 件の白服の淑女が「それでは、今まで実際に備蓄から塩を拠出したことはあったのですか?」 法人側、「先の阪神淡路大震災の時には、緊急拠出し喜ばれました。」 淑女、「その時にはどれほどの量を放出したのですか?」 法人側、(脇の事務方らしき人と書類を見た後)「14万トンです。」 ・・・えっ?備蓄量は10万トンじゃなかったの?それに塩が14万トンなんて、あの震災が如何に大変だったとしても、そんな大量の塩が必要だったのだろうか?塩なんてそのまま舐めたりはしないし、料理に使う量だって高が知れている。被害地域の人たちが14万トンもの塩を舐めたら、確実に病気になるか死んでしまうだろうに。 そう思っていたら、案の定離れているところに座っていた別の事務方が何やら耳打ちするような様子があって、法人側、「申し訳ありません。14トンの間違いでした。」 おいおい、何だよ。14万トンと14トンでは大変な違いじゃないか! なんともお粗末な話だが、他の大多数の公益法人もこういう辺り、大同小異なのではなかろうか。つまり、ミッションには高邁な精神が宿り、本来公益に資するものであって、仕事としてやりがいもあるのだろうが、運営に関する逼迫感に欠ける。 コストといっても自分たちのお金ではなく、国からの支給だから余り気にせずとも良い。彼らには定性的な面だけが意識にあって、定量的・計数的な面でのモチベーションは弱いということなのだろう。 要するに、法人側の善意悪意というより、ただ呑気なのだ。それが事業仕分けの対象となっていきなり計数面を問われる事態になり、慌てふためいているということなのだろう。 世界で最大の債務国になり、税収は落ち込み、少子化の傾向は留まることがない中で、無駄な出費を切り詰めるのは喫緊の課題であることは言うまでもない。だから事業仕分けが必要な作業であるのは充分理解できるのだが、その適用範囲が余りに広く、対象の選択基準に一定のポリシーが見えないため、私は概して余り好感が持てない。このことは前にも書いた。 塩や運転免許に関する公益法人と、基礎科学を追及する法人とが同列に扱われてしまっていることにはどうにも納得できない。 日本は狭い国土に多くの人口を抱え込んでいる。この国は従って、これから何十年か先の世界の状況を先取りしているともいえる。だからこそ、この国の存在意義は、他の国に先んじて将来の地球社会に指針を示すところにある。そしてそれを牽引していけるのは、基礎科学(人文科学、自然科学を問わない)だと思う。 ところがそれを担うべき法人に対しても、白服の令嬢辺りが見識もなく(と思える)切り込んでいくのは、いかにも僭越でかつ不遜であると思う。 20世紀は遍く右肩上がりの「成長」を享受することが出来た時代であった。しかし21世紀は地球という有限な世界を前提に考えなければならない時代である。CO2の問題も根本はこういう視点によるものであるはずだが、それが排出量の売り買いという経済の話と連動してしまっているきらいがある。 そういう中で、政権与党も野党も、この国の将来ということになると、どうしても「経済成長を如何に復活・継続させるか」という議論になってしまうようだ。特に自民党はこの点を盾にとって民主党政権を攻め立てる。対する民主党も、観光の振興などを言い立てるが、やはり「経済成長」を是としている点では同じである。 「経済成長」というのは、端的にいって「自分以外の国に損をさせる」か、或いは、「地球内部の資源を他の国に先んじて専有する」というのに他ならない。 物理の分野には「保存則」というルールがある。これはある系を考えれば、その系が閉じている限り、その中でのエネルギーの総量は一定であるということだ。経済の場合、エネルギーを「富」と考えれば同じ法則が成り立つ。 この点は太陽エネルギーにしても同じである。太陽エネルギーは地球の埋蔵資源を使わないから、クリーンでエコなエネルギーだというのは、間違っている。 太陽エネルギーを使うというのは、地球上に降り注ぐ太陽のエネルギーの一部を集約する、或いは本来地球には届かず、宇宙空間に拡散して行く太陽エネルギーを集約し、それを地球上に持ち込んで使うということだ。 前者の場合には、それによってこれまで太陽エネルギーを享受してきた場所や環境が影響を受ける。後者の場合は、今まで自然に地球に降り注いでいたエネルギーに、新たなエネルギーが加算されることになる。いずれの場合も地球の環境には歪や擾乱をもたらすことになる。 つまりは、今や将来に向けてのあらゆる事柄は、地球という観点から考えなければならない、或いはそう考え直すには絶好の(恐らくは未だやり直しが効く最後の)チャンスだというべきである。 そうやって、今の事業仕分けの実情を見てみると・・・・何をかいわんや!という気分になってしまうのである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010.05.21 14:19:10
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