カテゴリ:日ノ本は言霊の幸はう国
☆ 5月21日(金曜日) 旧四月八日 辛未(かのと ひつじ) 大安: 小満、上弦
今日は二十四節気の「小満」。暦を見ると「陽気いよいよ高調して、万物ほぼ満ち足りる頃」とある。 今日はこの辺りは、良く晴れて暑い。予報では30℃くらいまで気温が上がる真夏日になりそうだといっている。しかし、同時にこの頃は一年の内で最も雹害の多い時期でもある。 雹は積乱雲で形成される。積乱雲は地表などが熱せられて激しい上昇気流が起こるところで生じる。積乱雲の中の水蒸気は氷結し、乱気流の中で激しい上下動を繰り返すうちに、氷の塊へと成長していく。それがやがて地上に落ちてくるのが雹である。 真夏になると気温が高いため、氷の塊は落下する途中で融解し、大粒の雨となって降り注ぐ。しかし未だこの季節は、融解しきらないままの氷の粒が落下してくることが多いのである。 雹は固体であるため、農作物に甚大な被害を与えるので、そんな気配があるときには警戒が必要だ。 さて、昨日のブログにはおばあさん仮説を紹介した。 我々の異母兄弟ともいえるネアンデルタール人が滅亡し、我々の祖先が急速に人口を増やし、世界中に広がるようになったのはおばあさんのお蔭だと。 ここにもう一つ、現生人類がほかの種族を凌駕し、今の「繁栄」を築くきっかけになったのは、「声帯」にあるのだという説がある。 つまり現生人類は、当時の異母兄弟と較べて、発声・発音能力に優れていたというのだ。 我々が外界を「分かる」とか「認識する」というのは、あくまでも最初は個人的な体験である。こうした体験は個人に留まっている限り、その個人には役に立っても、集団や社会に伝播するには時間がかかる。 しかし、われらが祖先はやはりDNAの悪戯で、それまでのヒトの仲間より格段に声帯や舌が発達していた。つまり音声を介して自らの習得した知識や経験を他の個体に伝達することが出来たのだ。 最初は叫び声の調子で注意を促したり、簡単な信号をやり取りできる程度だったろうが、優れた声帯と舌のせいで、段々複雑な情報をやり取りできるようになっていった。それは、更に大脳の対応する部署を刺激し、言語能力は発声器官と大脳で並行的に進化していった。 このことにより、集団での情報の迅速な共有化が可能になり、それは集団での狩りなどの際には大きな威力を発揮したであろう。更には結果として、大脳内でのネットワークが複雑化し、外界を、言葉を媒介としたイメージとして脳内に定着させ、それをも、やはり言葉を媒介として他の個体と共有できるようにもなったであろう。 こうなると種族としての力は相乗的に増大する。脳の中の概念も徐々に高度に抽象化されたものになり、時間的にも広い視野と理解を可能にしていったはずだ。 その最初の所産が、狩りにおいては毎年獲物となる獣の出没時期と経路を予測しての、集団での待ち伏せ攻撃であったろうし、やがては人類史のとって非常に重要な出来事になった農耕の発明であったろうと考えてもいい。 農耕も元々は食べられる草の実を発見し、それを採集するところから始まった。やがて、食べ残した種子が発芽したのを見つけ、それが育つと又同じ実をつけることを発見した。それを太陽の動きや、雨風など季節や気候の変動と関連付け、元々生えていた場所に近い環境に適切な時期に種を蒔いて置けば、予想された季節に実がなることを覚えた。 こういう一連の発見と、手段の習得は、経験と智恵の賜物である。それは、外界に対する認識と抽象化、普遍化の過程でもある。 こういう過程に際しては、事象の理解の共有化、個別の経験の共有化が、共に強力な推進剤になる。 その結果、集団で有為な作物を育てるという、農耕の発明と普及が実現できたのである。 人類史において画期的な出来事は農耕の発明であった。 狩猟や採集は他の動物でもやっていることだ。しかし、農耕は他の動物には見られない。何より農耕の発明によって、人類は定住を可能にし、それは再び出産や育児を促進し、人口増を可能にしたはずである。 もう一つは、農耕によってそれ以前の「自然の流れの中で生きる」という形態から、自然の一部を改変し、資源や物質の循環に介入し、意識的に自らのために簒奪するという生活形態に変わったのである。 狩猟も他の生命を簒奪するという点では同じだが、狩猟の場合、獲物の誕生や育成には関わらない。狩猟が「農耕化」した養牧や、家畜の育種、肥育はこの点で他の動物の狩りとは異なり、そしてそれは人類だけに見られる専売特許である。 これらは現生人類の秀でた言語能力によるものだというのだ。 ネアンデルタール人は、発声・発音能力において現生人類より劣っていたため、情報の交流や共同作業の高度化が図れず、絶滅していったのだと。 ところが声帯は軟骨組織であるし、舌は軟組織であるから、化石としては残らない。だからネアンデルタール人とわれらが祖先の発声・発音能力を化石から検証することは出来ないのだ。 しかしどちらの機能ともに、応分の筋肉に影響を及ぼすはずだ。筋肉は硬い骨に付着しているものだから、当然化石として残る骨にも何がしかの痕跡を見出すことは出来るだろう。 この辺、司法人類学の泰斗ギデオン・オリバー先生にも、伺ってみたいものだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010.05.21 17:07:15
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