カテゴリ:薀蓄
☆ 8月18日(水曜日) 旧七月九日 庚子(かのえ ね) 先負:
佐藤春夫の詩に有名な「秋刀魚の歌」というのがある。1922年(大正11年)、春夫が30歳のときの詩だ。 他のたいていの人も同じだろうと思うが、私はこの詩が、何かの理由でやもめ暮らしをしている中年の男が、一人で秋刀魚を焼いて食べるという、物悲しくもしんみりした秋の情景を詠ったものだと思っていた。 「男ありて 今日の夕餉に ひとりさんまを食ひて・・・」とか、「さんま、さんま そが上に青き蜜柑の酸をしたたらせてさんまを食ふは、その男がふる里の習いなり。」とか、特に「さんま、さんま、さんま苦いか塩つぱいか。そが上に熱き涙をしたたらせて、さんまを食ふはいづこの里の習いぞや。」とかいう辺りは、そういう情景にぴったりではないか。 時は秋の夕暮れである。独り家を離れて暮らしている男が、軒先に七輪を出して秋刀魚を焼く。恐らくは広くもない庭の向こうには夕暮れの明かりを彼方に残した海が見える。(その方が絵としては良い。)男はやがて焼きあがった秋刀魚を皿に乗せて卓袱台に運び(これも卓袱台でなければならない)、青々とした柑橘類の汁を搾りかけて、独りきりの夕餉の膳とする。男の脳裏にははるか昔に離れてきてしまった故郷の夕餉の膳がよみがえる。 ・・・と、まぁそんな情景を詠ったのだと思っていた。 ところが、実際のところは違うようだ。 佐藤春夫はこの時、知人の奥さんに想いを寄せていたのだそうだ。知人とは文豪谷崎潤一郎である。潤一郎は常套的に女性に恋をするたちだったようで、この時も娘までもうけた千代夫人をほったらかして別の女性に走っていた。 春夫はこの時期前妻と離婚してバツイチである。千代夫人に対する同情が、やがて恋心に変わっていった。この日も春夫は潤一郎が女性を追いかけて留守にしている小田原の家に上がりこんだ。そして亭主のいない家で、春夫は千代夫人の幼い娘も交えて、三人で夕飯を食べるのである。 食卓の上には秋刀魚の塩焼き。千代夫人は、春夫の故郷(彼は今の和歌山県新宮市の出身である)では焼いた秋刀魚に青い蜜柑を搾りかけるのを聞き知っていて、この日もそれが用意してある。 ところで、この蜜柑というのは紀州蜜柑であろうか?蜜柑の果汁は秋刀魚には甘すぎて合わないような気がする。やはり酸味が強く、香りの高いすだちの方が秋刀魚の塩焼きには相応しいと思うのだが。それとも紀州蜜柑でもまだ青いうちにもいで来ると、充分な酸味があるのだろうか?その場合、東京の店でもそんな未熟な蜜柑が手に入ったのだろうか? まぁ、あまり詮索するのはやめておこう。 食事をしながら、千代夫人と谷崎の娘(だろうと思うのだが)は、覚束ない手つきで箸を操り、秋刀魚のはらわたの部分を春夫に「あげる」というのだ。秋刀魚のはらわたは大人には大いに美味だが、小さな子には苦くて、ぶよぶよで敬遠される。それにしても小さな子がそんなことをしてくれるのだから、その子は春夫に既になついていたのだろう。一緒に食事をするのも初めてではなかったはずだ。 そういう擬似家族的な情景の中で、春夫はこの詩を得たのだ。 何だか、私の想像上のイメージとはえらい違いだ。 独り暮らしの男のもの哀しさなどではない。秋刀魚をつつく母娘を前にして、春夫は「この先二人をどうしようか」と、とつおいつ考えていたことになってしまうのだ。 ものの本によると、この後谷崎潤一郎は親しい友人でもあった春夫に対して、「千代を君に譲るから貰ってくれ」ということになる。そして、「かくかく斯様な次第で、谷崎は妻千代を佐藤春夫氏に譲ります。」と挨拶状を方々に出してしまうのだ。それもあろうことか、挨拶状は谷崎、千代夫人、春夫の三者連名であったのだ。 昭和5年(1930年)のことである。これは文豪の大スキャンダル「細君譲渡事件」として新聞でも大々的に報じられたそうだ。 1930年といえば、ロンドンで海軍軍縮会議が開かれ、翌昭和6年には満州事変が勃発する。この頃から日本はどんどん戦争に向かっていくのである。そういう時局下にあっての「細君譲渡」だ。一体世間はこれをどう受け止めたのだろうか。 ただ、春夫は千代夫人と再婚し娘(名前は鮎子というのだそうだ。秋刀魚に鮎か、フム・・・・)も引き取って、その後は家族として円満に仲良く暮らしたそうだ。鮎子はやがて春夫の甥に嫁いだ。 谷崎潤一郎のほうは、その後も延々と女性遍歴を続けたのは、周知の通りである。 まぁ何だかなぁ・・・。何れにしても私の「秋刀魚の歌」に対する、脳天気な位に素朴なイメージは大きく変わってしまったのだ。 ところで、その秋刀魚。 いつも今頃になると東北沖で秋刀魚の初漁獲の報が入ってくる。ところが、今年は海の沖には秋刀魚の群れらしきものも見えず、大いに不漁だったという。初入荷の秋刀魚はせりの段階で一匹400円にもなったそうだ。原因はまだ分からないようだが、このところ平常事になりつつある異常気象の影響で、日本の周辺での潮の流れに変化が起こっているのかもしれない。 これがこのままで推移すると、秋刀魚は高級魚になってしまう。一品270円の居酒屋チェーンの店では、先ず食べられなくなってしまうだろう。 日本の秋の食卓には秋刀魚は欠くことが出来ない。焼き上がったばかりの、薄い皮がまだフツフツいっているのに、すだちを存分に搾りかけ、醤油を少し垂らして熱々の身を箸でほぐして戴く・・・。願わくば今年の秋もそうであって欲しいものだ。 さて、以下にその「秋刀魚の歌」を掲げておく。 スペースの都合で、オリジナルの段落は私の勝手で変えてある。往年のイメージを壊してくれた佐藤春夫先生へのささやかな意趣返しである。 上の話を聞いた後で、皆さんにはこの詩、変わらずに響くだろうか? ・・・・・・・・・・・・ あはれ秋風よ 情(こころ)あらば伝へてよ ――男ありて 今日の夕餉に ひとりさんまを食(くら)ひて思ひにふける と。 さんま、さんま そが上に青き蜜柑の酸(す)をしたたらせて さんまを食ふはその男がふる里のならひなり。 そのならひをあやしみなつかしみて女は いくたびか青き蜜柑をもぎて夕餉にむかひけむ。 あはれ、人に捨てられんとする人妻と 妻にそむかれたる男と食卓にむかへば、 愛うすき父を持ちし女の児は、 小さき箸をあやつりなやみつつ 父ならぬ男にさんまの腸(はら)をくれむと言ふにあらずや。 あはれ秋風よ 汝(なれ)こそは見つらめ、 世のつねならぬかの団欒(まどゐ)を。 いかに秋風よ いとせめて 証(あかし)せよ、 かの一ときの団欒(まどゐ)ゆめに非ずと。 あはれ秋風よ情(こころ)あらば伝へてよ、 夫を失はざりし妻と、 父を失はざりし幼児とに伝へてよ ――男ありて 今日の夕餉に ひとり さんまを食ひて涙をながす と。 さんま、さんま、 さんま苦いか塩(しょ)つぱいか。 そが上に熱き涙をしたたらせて、 さんまを食ふはいづこの里のならひぞや。 あはれ げにそは問はまほしくをかし。 ・・・・・・・・・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010.08.19 16:20:09
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