カテゴリ:小言こうべえ
☆ 8月22日(日曜日) 旧七月十三日 辛丑(きのえ たつ) 先勝:
【このブログは実際には8月27日に書いています。】 民主党の代表選挙は9月14日(火曜日)に投票が行われる。 菅さんが立候補することは既定のこととして、昨日(9月26日)の朝になって、小沢さんもとうとう立候補するということになった。つまり今度の民主党の代表選挙は、菅さんと小沢さんの二人で争われることになるのは、これで概ね間違いない。 「何だかなぁ・・・」というのが、そのニュースを聞いた私の印象だった。「何だかなぁ・・・」というのは文字通りそのままの意味で、期待するとか驚くとかいう感情は入っていない。本来民主党という一政党の中でのリーダーの選挙だ。私は民主党員ではないから、そういう意味では特段の関心なんかは無い。 日本の総理大臣は天皇陛下によって任命される。しかし、これは形式上のことであって、陛下がご自身で人選をされるわけではない。国会議員の選挙によって首班に指名された人物を陛下が任命される。陛下は淡々と(だと拝察する)これを受けて正式に任命なさるわけだ。ここで、「ちょっとこの人はどんなものかねぇ」と仰れば、中々面白いとは思うのだけど、恐らくはそれは出来ないだろうし、陛下もそんなことはおくびにもお出しになったことは無い(と思う)。 国会議員の選挙になれば、最大議席数を占める党の推挙する人間が選ばれる。今までの場合、それはその党を代表する人間であった。だから、民主党の代表選挙とは日本の総理大臣を決める選挙だということになる。 この過程で、議員を選ぶ選挙は有権者国民の投票によって行われるが、党の代表選挙や国会の首班指名の投票には、国民は参加しない。ここには「多数の玉突き」という理屈が適用される。「有権者国民の多数が選んだ議員の、多数を占める政党が、多数の党内有権者で選んだ人物だから、国会では多数の議員によって政府首班に選ばれる。天皇はその通りに任命なさる。だから結局は間接的だけど有権者国民が選んだのだ。」と、そういう論理である。 しかし、我ら有権者国民としては、国の代表となって政治を動かす人物の選定まで、○△党に頼んだという積もりは実際には余りないから、何だか直接自分たちにかかわる人物を勝手に決められているような気分になる。 だから「何だかなぁ・・・」なのである。 それにしても、小沢さんはどうして立候補するつもりになったのだろうか?自分の政治資金問題には、ご自身は「清廉潔白」だと思っていらっしゃるのだろうし、立候補する事によってそれを公に表明することにもなるのだろう。しかし、検察審査会の云々は未決であることには変わりない。日本人はこういう面には(自分のことは棚に上げて)非常に潔癖症だから、どうも小沢さんのイメージは良いとはいえない。 それに小沢さんには「胡散臭さ」が付いて回る。ご本人には失礼でお気の毒だとは思うが、小沢さんが動いたとなると、どうしても「ウラに何かあるぞ」と思わせてしまう。あの方は慶應大学のご出身だそうだが、小沢さんと「慶應ボーイ」のイメージは結びつけるのは難しい。本当に失礼だとは思うが、そうなんだからしょうがない。 だから、小沢さんが民主党の代表戦に勝利し、従って内閣総理大臣に就任すれば、自民党や他の野党の中から人を集め、小沢流大連立政権を作る。そういう挙国内閣なんてものを作っちゃうんじゃないか、などという感じがしてくる。それも「未曾有の国難に直面するに際し・・・」などと外に向けては仰りながら、実際は密室で根回しを進めていく。そんなことを思ってしまう。鳩山さんや菅さんにはそういう雰囲気はなく、その辺が「小沢さんにはリーダーシップがある」と思わせる要因なのかもしれない。 ほぼ一年前に民主党が第一党になり、政権政党になって、鳩山さん、菅さんと二人の首相を我々は経験した。色々どたばたギクシャクしてきてはいるけれど、少なくとも共通する印象はある。それは、「以前より政治の世界が見えるようになった」という印象である。 自民党の時代の政治も政治家も、基本的姿勢は「民は依らしむべし、知らしむべからず」だった。それが民主党政権になって「開かれた」という感じに変わったのは確かだ。 しかし我々日本人は独特の感性を持っている。 秘密にされると無闇に知りたがる。同じ秘密を共有している感じがもてないと僻む。しかし、秘密が一旦明らかになると、すぐに飽きる。そして「あの人は口が軽い」と謗りすらする。 だから日本においては「云わず語らず」が権力とか権威の源泉であった。国民の側では「知れ、悟れ」が、期待される条件であった。 つまり日本は、言葉は軽んじられ、寡黙であることが尊ばれ、表情を読み、ハラを探り、密やかにことを進めることが好まれる国だったのである。我々はそういう感性を持っている。 いわゆる先進諸国と呼ばれる国々では、言葉が自己主張や交渉、ひいては相互理解の道具である。それに対して、日本では言葉を惜しむことが権威や力の表象であるとされるのだ。 だから今までの民主党政権は国民の間に「頼りない」という印象を強くしてしまったのである。 この点、鳩山さんも菅さんも大した違いはない。「開かれた」という印象を与えると同時に、「有限不実行」、「頼りない」という印象も与えてしまったのである。 その点小沢さんは余りものを仰らない。すぐにどこかに雲隠れなさる。人の話を聞くときには、瞑目なさっていて何だかよく分からない。この辺はまさに旧世代の政治家だ。つまり怪しげである。その怪しさが、却って「力がある」、「豪腕だ」、「強いリーダーシップがある」とされるのである。言い換えれば日本人の伝統的な感性では、小沢さんの方が指導者らしい雰囲気を持っているのだ。 つまり、民主党の代表選挙は、日本人の政治に対する旧感性と新感性との葛藤でもあるといえるのだろう。自民党の大島さんが仰るように「コップの中の争い」よりも、もっと大きな意味が有ると思う。 それにしても、今度の代表選挙は菅さんにとっても小沢さんにとっても、その後政界に残れるかどうかの分かれ目になるだろう。だからご両所にとっては、本音では代表選挙というよりは生存競争としての意味の方が強いだろうと思う。 国民の側も、これでより政治への期待喪失に向かうのか、或いは渡辺喜美さんの党になだれ込むのか、今度の代表戦の結果、何らかの胎動が始まるような気がする。いずれにしても最近は、国民の側に政治リテラシーというものが折に触れて問われているように私には思えるのだ。 因みに、 菅 直人 1946年(昭和21年)10月10日生まれ、 戌歳 てんびん座 62歳 小沢一郎 1942年(昭和17年)5月24日生まれ、 午歳 ふたご座 68歳 ついでに、 渡辺喜美 1952年(昭和27年)3月17日生まれ、 辰歳 うお座 58歳 である。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010.08.27 08:57:42
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