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マックの文弊録

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2010.09.02
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カテゴリ:小言こうべえ
☆ 9月2日(木曜日) 旧七月二十四日 乙卯(きのと う) 赤口: 下弦

今日は米国海軍戦艦ミズーリ号上で、日本帝国が太平洋戦争降伏文書に調印した日である。1945年(昭和20年)のことであった。私たちの頃の歴史の教科書には、この調印式の様子の写真が載っていた。艦橋に鈴なりになった、如何にもリラックスしてお行儀の悪そうな米兵たちの見下ろす中、正装に威儀を正し、如何にも緊張した様子の重光葵外相以下日本側の代表団の姿が、痛々しく、哀しくも滑稽に眼に映ったことを覚えている。

日本帝国では、8月14日にポツダム宣言を受諾することを公に通知し、翌15日に昭和天皇による終戦の詔勅がラジオを介して国民に発せられた。そういうわけで8月15日を終戦記念日としている。

ソ連は日ソ中立条約のもと、日本帝国に対しては中立の立場であったので、ポツダム宣言には参加していない。ところが、終戦間際の8月9日になって、日ソ中立条約は破棄され、ソ連軍は大挙して満州国、樺太南部、朝鮮半島、千島列島に攻め込んだ。既に消耗していた日本帝国軍は、これに抗する力を持たず、日本は原爆に続いて最後の止めを刺される結果になった。

この辺の事情から、「ソ連は日ソ中立条約を一方的に破棄して、突然攻撃してきた。」とか、「日本の敗戦がはっきりしてからノコノコ出て来た、火事場泥棒のような国だ。」とかいう、ソ連への印象が出てきたのだ。

実際には、ソ連は1945年2月に米国からの参戦要請を受けて、これに応じていたようだ。その際には、戦後ソ連による南樺太と千島列島の併合も密約されたらしい。
そして、同年5月には、8月中にソ連軍による攻撃を開始することと、併せて日本占領をソ連が担当することなどが、当時のスターリン首相によってポツダム予備会談の場で表明された。

この時点で戦後の冷戦構造、つまり社会主義対資本主義の対立構造は明らか予感されていた。それでアメリカとしては、連合国の一員ではあるが、将来の敵になるはずのソ連に、日本の占領を任せるなどできない。ルーズベルト大統領は、アメリカの手で日本に原爆を投下(当時原子爆弾はアメリカしか持っていなかった)して終戦を確実にし、それによってソ連の要求を圧封できると考えたようだ。
戦争の早期終結が原爆投下の理由付けとして、今でも言われる。それは事実だったとしても、事実のすべてでは無かったようだ。

1945年4月にソ連は、1946年(昭和21年)4月に満了する予定の日ソ中立条約の延長をしないことを日本帝国に通告していた。だから1945年8月当時は、まだこの条約は形式上有効だが、最早「死に体」であったのだ。そして8月8日の夕方(日本時間では同日深夜)、ソ連のモロトフ外相は日本の駐ソ大使に対日宣戦布告を発する。
だから、ソ連の対日開戦は「突然の攻撃」ではなく、形式上は宣戦布告という手続きを経ている。しかし、日本帝国の駐ソ連大使が本国に連絡しようとしても、領事館の電話回線は既に切られてしまっていたそうだから、実質的に不意打ちであることには変わりない。ソ連軍による攻撃は現地時間で8月9日午前0時に開始されたから、宣戦布告後数時間程度で戦争状態に入ったわけだ。

ソ連の参戦が伝わっても、既に日本帝国政府はポツダム宣言受諾の件でてんやわんやの状態で、それどころではなく、結局日本帝国からはソ連に対する宣戦布告は行われていない。従って日本の正式な戦史上では、対ソ戦は国家の正式な意思決定による戦争ではなく、「対ソ防衛戦」として扱われているのだそうだ。

戦争はどんな大義名分を立てても、所詮は国のエゴのぶつかり合いだから、日ソ戦も様々な見方があり得る。しかし、形式というものは、後になって自らを正当化するには必要だ。だから、ソ連は8月15日ではなく、戦艦ミズーリの艦上で降伏文書に署名が行われた9月2日、つまり今日を対日戦の終結の日としているのだ。

北方四島さて此処からが実はこのブログの本題である。
ソ連の後継国であるロシアは、対日戦の先勝記念日を祝うことを、今年から始めたのだ。
対独戦勝記念日は、ロシアの重要な記念日の一つとしてこれまでも祝われてきた。しかし、対日戦勝記念日(ロシアでの正式名称は「第二次世界大戦終結の日」だそうだが)は、今年から新たに制定されたのだ。ロシアの極東の各地では祝賀大会が開催され、その様子はテレビでも放映された。

ロシア軍兵士が、儀礼用軍装に身を包み、粛々とした足並みで花束を掲げて進み、慰霊碑らしきものに献花する。そして、市長とかいった政治家が演説をする。内容は、「ここに、祖国と連合国に対する義務への献身を発揮した同胞たちの記憶をとどめ、ソ連軍の参戦の結果、満州、南樺太、千島列島を解放し、大戦終結を早めたことを記念する。」と、概ねそういう内容だった。千島列島には、勿論我が国が固有の領土として主張している北方四島が含まれている。

因みに、ソ連が千島列島への攻撃を始めたのは8月18日で、ポツダム宣言受諾の4日後のことである。そして、北方四島の占領をしたのは、8月28日から9月5日の間だったそうだから、これは(少なくとも占領完了時点は)降伏文書への署名が完了し、正式に太平洋戦争が終結した9月2日より後のことである。だから北方四島は「第二次世界大戦が正式に終結した後で」、当時のソ連によって占領されたことになるわけだ。つまり火事場泥棒どころか、火事が消えた後にまで領土の奪取が行われていたことになるのだ。

この辺りが日ロ間の積年の外交問題の一つになっているのは、周知の通りである。
私はここで、領土保有の正当性の問題や、当然絡んでいるはずの漁業権や埋蔵資源などの問題に立ち入る積もりはないし、そうするに充分な知見も持ってはいない。
しかし、日本の国としての立場は充分に分かっている。日本は1951年(昭和26年)に調印された「サン・フランシスコ平和条約」で、千島列島・南樺太を放棄した。しかし、日本が放棄した千島列島とは、ウルップ島より北の島のことで、歯舞群島、色丹島、国後島、択捉島の四島はその中に含まれていないのだ。それが日本の外交的な立場である。

ところが、日本の外務省は、ロシアの祝典の中での演説に触れ、「日本の国名が名指しされていないことには、一定の配慮が認められる」とコメントした。そして、岡田さんだったか又は他の大臣か、或いは副大臣だったか定かでないが、「最近ロシアのビザを取得してサハリンに行く観光客が見られるが、これはかの地がロシアの領土であることを追認することにもなるので好ましくない。」という主旨の発言をなさり、各旅行会社や企業などには注意を促したと仰った。
それだけである。

これは、大いにおかしい。
「国名の名指し」云々は、外務省の発言としては一定の理解は出来る。外務省の役人としては、原則自らは政治的な発言を控えるべきであろう。しかし、政治家はどうなのだ。政治家はこういうときこそ毅然とした態度表明をし、事実としての時系列を無視した(或いは敢えて歪めた)ロシア側に対して敢然抗議をすべきものではないのか?国益を守る、その矢面に立つ、それこそ政治家であって、我々国民もそれを政治家の姿勢として期待するのではあるまいか?第一本来自分の家に行くのに、よそ様に玄関の鍵を貸してもらって入るなどという馬鹿なことがあるものか。「好ましくない」などと悠長なことを言っている場合ではないだろう。
この点、マスコミも(全てではないだろうと思うが、少なくとも私の知る範囲では)「そういう祝典が行われました」という報道はしても、本質に迫ることは何も言っていない。何より、民主党も他の政治家も私の耳に入っている限り、目だった発言は皆無である。

何だか皆解説者である。政治家のこういう体たらくが、ひいては国民の間に政治に対する閉塞感や失望感を醸成しているのではないか。
政治家は、少なくとも事国家間の問題に関しては、自らの旗幟を鮮明にして、敢えて誤解を受け入れる覚悟をすべきものである。だから、国民の気持ちを鼓舞することが出来、誇りを喚起することも出来る。
しかるに、最近の政治家は国民に阿るばかりで、敢えて自分はどうするのか、どうしたいのかという事を言わない。

鳩山さんの話を聞いていて、いつも気になったのは、あの方は何かというと「ある意味では・・・」と仰ることだった。それが最近では菅さんにもうつったようで、菅さんも事あるごとに「ある意味では・・・」と連発なさるようになった。
「ある意味ではこうだ」というのは、「別の意味ではこうなるが」ということになる。これは解説をしているのに過ぎないのであって、何かを主張していることにはならない。政治家はいつから解説者になってしまったのか?

こういう風だから、為替の問題だって大臣が何を言っても市場には馬耳東風ということになってしまうのだ。歯がゆいし悔しいこと夥しい。

と思っていたら、9月2日付けのワシントンポスト紙に、「首相に向けての選挙戦開始」と題した記事があった。
民主党の代表選挙についてあらましを述べた後、「国民が4対1で菅を好ましいと思っているにも関わらず、伝統的なbackroom dealerである小沢が、選挙で世話をした新人議員を中心として票を集め、その結果菅は蹴り落とされるかもしれない。」と予想する。
しかし、小沢は「日本で最も人気がない政治家であり、彼ほど人々が嫌う政治家はいない。」、「彼は前世紀の人間であり、彼のすることで日本を利するものは何もない。」と断じる。
そして小沢の立ち位置は、「ワシントンから距離を置こうとした鳩山のそれを踏襲するもので、沖縄の基地問題にしても、小沢のスタンスはオバマ政権にとって現実の大問題となりかねない」とする。
そして、「日本では過去4年間に5人の首相が交替した。それぞれは等しく、財政赤字、高齢化、経済不振に取り組む姿勢を示したが、それらを克服する方法を何ら見出せなかった。」とし、「日本には決断力のある政治家は居ない。」小沢は決断力ある政治家を求める日本人からは(嫌いだけれど)、「決断力があるかもしれない『残り物』の一人だと思われているようだ。」という。

概してワシントンポストは、菅さんには「米国に対するより実践的なアプローチを開発してきた。」と、やや好意的なような気がする。しかし、菅さんが「ある意味では・・・」と繰り返しているせいもあってか、彼も決断力のある政治家だとは看做されてはいない。

国民の多くに嫌われ、アメリカにも散々に言われ、警戒もされている小沢さんを、小沢傘下の150名の議員(と鳩山派の議員60名)は、民主党代表、つまり次期日本国総理大臣として選ぶのだろうか?150名といっても大半は新人議員である、小沢さんに対する忠誠心は堅いといっても、選挙地盤の有権者大衆の嫌悪感を跳ね返してまで小沢さんに投票できるのだろうか?小沢さんと共に奈落に堕ちていく覚悟はあるのだろうか?

ワシントンポストは、選挙の結果がどうであれ、民主党は分裂か分派という結果になり、とても選挙後の挙党協力体制などは望めないだろうという専門家の意見で、記事を締めくくっていた。

やはり日本の政治家は、アメリカからもしっかりとは認められていないようなのだ。






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最終更新日  2010.09.04 17:58:46
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