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マックの文弊録

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2010.09.05
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カテゴリ:よもやま話
☆ 9月5日(日曜日) 旧七月二十七日 戊午(つちのえ うま) 先負: 

電車で高校生のグループと乗り合わせた。
郊外を走る電車で、駅の間隔が長い。有り体に言えば田舎の電車だ。高校生たちは下校の途中(それにしては時間帯が早かったが)らしく、茶髪も居ないし袴様の無様なズボンも穿いていない。極普通のまともそうな少年少女たちだった。

学校の話題のようで、一人の女の子が「ネギが、ネギが」と言っている。
どうも厳しい先生が一人いらっしゃるようで、この先生が何かというと生徒をつかまえてお小言を仰るようだ。彼女は神妙な態度を保とうとするのだが、内心では小さな反抗心が出ては引っ込んだりしている。何しろこの先生のお小言は相当頻繁なことらしい。

それでネギなのだ。
彼女はお小言の攻撃を受けながら、その先生を「ネギだ」と思うようにしているらしい。目の前でネギが、おっかない顔をして何やらしゃべっている。これは先生じゃない。人間でもない、ネギがしゃべっているんだ、そう思ってお小言をやり過ごしているというのだ。

中学くらいまでは、先生は遥かに年長だし、無条件でエライと思うようなところがある。
今では、子供も目や耳だけは随分早熟になっていて、つまり世間ずれしていて、最早先生はエラくない存在なのかもしれない。最近では中学校や小学校で、いじめや授業妨害が報じられるのがむしろ普通になってしなっているのも、子供の耳目だけの早熟化の所為かもしれない。
それに昔は、親と先生たちとの間に暗黙の連帯があったものだ。そして先生は敬うべきものとして、家庭でもしつけられた。しかし今では、親は子供と徒党を組んで、むしろすぐに先生や学校に対して利害共同体を張るようなところがある。クレーマー・ペアレントとか、中にはモンスター・ペアレントといわれるような怪しからぬ変物が沢山出てくるようになった。

ともかく、私の子供時代には、中学校くらいまでは先生は冗談やからかいの対象にはなり得なかった。
それが高校に進学すると、途端に先生をあだ名で呼ぶのが倣いになった。先生を本名で呼ぶのは「公式」の場においてのみで、それ以外は全てあだ名であった。それも、代々の先輩から受け継がれてきた、「伝統あるあだ名」が多かったのだ。

七三に整えた前髪が始終額に落ちてきて、それを手で跳ね上げるのが癖になっていた先生が、「ダランピン」。
当時新聞の広告に頻繁に載っていた、蓄膿の点鼻薬の広告の絵に顔がそっくりだというので「ミナト式」という数学の先生。・・・あだ名はすぐに出てくるが、ご本名が何だったかは殆ど忘れてしまった。それぞれ、ご本人の特徴を見事に捉えていて、どこかそこはかとない愛情も秘められていたような気がする(実は全く無かったかもしれない)。

しかしネギというのは・・・。
野菜でもカボチャやキウリ、或いはジャガイモくらいは、あだ名としてはあったかもしれないが、ネギとは・・・・。あだ名としてはかなりユニークだ。
そのネギに喋らせてしまう発想は、もっとユニークだ。

田舎の高校だと、野菜が身近な畑に普通にあって、あだ名の素材にもなるのだろうか。そうすると、彼女の学校の先生には、「ショウガ」とか「ダイコン」、或いは「ヤマトイモ」とか「ミョウガ」や「レタス」というあだ名を冠せられた先生がいらっしゃるのかもしれない。

しゃべるネギの話でひとしきり沸いていたが、そこでそれまでは黙っていた男の子の一人が、ポツンと「ズガイコツ」と言った。頭蓋骨だ。
いきなり何だと思ったら、彼は続けて、「相手がしゃべっている時には、顔の造作を素通しして頭蓋骨を想像する。」「○△先生がしゃべっている時は、頭蓋骨がアゴの蝶番をカタカタ動かしていると思うことにしているんだ。」と。

しゃべるネギなるほど、これもユニークで面白い。それに、あだ名のレベルを超越している。
これは中々参考になるかもしれない。そう思って首を伸ばして高校生たちの顔を見ながら、それぞれの顔の表面を透かして頭蓋骨を重ねてみた。科捜研などでやっているスーパーインポーズだ。そうすると、なるほどこれは頗る面白い。

骸骨には表情が乏しいから、笑い転げていても、口角泡で一生懸命何かを主張していても、ただ骸骨のアゴだけがカタカタ動くのみである。これならこっぴどく叱られていても、ガミガミお説教をされていても、スケルトン・コミックとして眺めていることが出来る。これじゃぁ腹も立たず、反抗心も起きないだろう。

試しに、他の乗客にもやってみた。
ある骸骨は頚骨を前に傾けて、うつろな眼窩を下に向けている。つまり居眠りをしている。
別の骸骨は頭骨を上に向けたり、頚骨を傾げたりして落ち着きが無い。
更に別の骸骨は、指骨の間に挟んだ携帯電話を、眼窩が覗き込んでいる。頭骨にはヘッドフォンが引っかかっている。

私は今まで乗り物に乗って退屈な時は、前の人の鼻をつぶさに観察することにしていた。鼻はそれぞれに意外なほどの個性があって、長かったり平べったかったり、小鼻が張っていたり、左右の対象性が破れていたり・・・、電車に揺られながら微細な部分まで観察するのは面白く、退屈しのぎには随分役に立ってくれた。
しかし、このスケルトン・コミックの観察の方が、鼻を観察するよりはるかに面白い。骸骨は表情に乏しいだけに、逆に妙に表情に富んでいるのだ。
お蔭で、降りるべき駅を一つ乗り過ごしてしまった。

これから、どんどん活用させてもらおう。先ずは最近方々で熱心に語りかけていらっしゃる、あのお二方の演説を、スケルトン・コミックにしてしまおう。
意外とどちらが嘘くさいか、透けて見えてしまうかもしれない。

かように、巷の高校生に教えられることもあるのだ。





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最終更新日  2010.09.07 17:02:38
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