カテゴリ:そこいらの自然
☆ 9月22日(水曜日) 旧八月十五日 乙亥 仏滅: 十五夜
今日は旧暦の八月十五夜。お月見は本来今日の晩のことであった。ススキの穂を飾り、お団子を並べるというお月見の行事は、旧暦だから風情がある。今年は特に新暦の8月15日など、暑くてあつくて、汗まみれの中お月見どころの話じゃなかった。 今年の夏は稀に見る猛暑だったとはいえ、先日伊豆高原をドライブしていたらススキも穂を出していたし、萩の花も咲いていた。自然は弾力性と冗長度に富んでいて、記録的猛暑などものかは、ちゃんと季節ごとに節目を刻んでそのきざしを届けてくれる。 日本のお月見は、旧暦八月十五日の晩を「十五夜」、同じく旧暦九月十三日を「十三夜」と称して、古来年に二度行われていた。十五夜のほうはススキと共にお団子や里芋など丸いものを三方に盛って月の見える場所、縁側などにお供えした。それで「芋名月」と呼ばれる。 日本人は昔から満月には独特の思い入れがあったようで、月をめでる習慣は縄文時代にまで遡ることができるそうだ。十五夜そのものはご他聞にもれず中国からの伝来行事だ。 旧暦八月の満月を中秋(仲秋)の名月というが、これは旧暦の七月を初秋、八月を中秋、九月を晩秋といったことから来ている。この晩は望むらくは晴れていて欲しいのだが、雲で月が隠されていれば「無月」、雨が降れば「雨月」と称して、こうなると全天候型の行事である。曇っていても、雨が降っていても、雲の向こうに名月のほの明るさを観るあたり、さすが日本人の感性だと思う。 江戸時代は、十五夜と十三夜の両方を祝うのが習いであったそうだ。どちらかだけしか祝わないのを「片月見」といって、特に遊郭では嫌われた。 当時の吉原などでは、今日の晩上客に電話して、・・・あ、あの頃は電話もメールも無かった!じゃぁどうやって連絡したのだろう?まさかお客の旦那のところに使いを立てるのも憚られただろうに。 何れにしても、「十五夜の晩にはお月見にいらしてね」と勧誘して回ったのだそうだ。そうしてやってきたお客は、「廓のしきたり」に囚われることになる。「十五夜だけ来て十三夜に来ないなんて、片月見で粋じゃありんせんよ」とかなんとか・・・。 そうなると遊女としてはリピートの約束を確実に出来るというわけだ。 今は遊郭など無いし、家にも縁側が無くなってしまった。三方など用意してある家は、神主さんのお宅位のものだろう。第一「三方」といっても、「それってワタシ的には知らないしぃ~。」と切り捨てられそうだ。それに窓越しに見えるのは、隣のビルかマンションの壁というところも多いだろう。サッシの窓は夜になれば締め切ってロックしてしまうから、お月見の習慣自体も殆ど廃れてしまったようだ。こうして日本人は段々日本人であることを忘れていくのだろうな。 因みに、今日の月齢は満月ではない。天文上の満月は明日の宵である。予報だと首都圏は(甲信越も同じらしいが)今晩からまとまった雨になるそうだ。だから今晩はほぼ確実に「雨月」になる。 それでもこの雨は秋を運んでくる使者になってくれそうで、9月も下旬になって漸く本格的な秋の到来を期待できそうだ。 芋名月。今晩はきぬかつぎでもいただきながら、ぬる燗で一杯といきたいところだが、ま、ちょっと無理そうだな(自分で拵えない限り)。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010.09.22 14:13:23
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